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ホタルイカ  作者: 大藪鴻大
19/65

楓5

「今日は俺のおごりだ、好きなだけ食え。」

 杉山が売店で買ってきたパンを屋上の床に広げる。十個以上はあるだろう。しかし、悲しいことにそれは全てアンパンだった。毎朝、お弁当を作ってくれる母親に対する感謝の念は、多分今日が一番強い。

「というか、ここ、寒くないか?」

 杉山が大げさに両手で肩をさする。私はご飯に箸を伸ばす。

「だったら帰れ。」

 冷たいこと言うなよー、蛍。そう言いながら、杉山が向井の肩を軽く叩く。向井は気にせず空を見上げている。何かを心配している。人生の最高傑作を生みだした画家が、その作品を売る前の日にその絵を眺めている色に似ている。

「しかし、大変だったなあ。あのクソ面倒くさい武藤に絡まれるなんてさ。」

「たいしたことじゃない。お前らがここにいることに比べたらな。」

 向井はようやく視線をこちらに向けた。その誰もかれも無理に拒絶しようとするその曖昧な色はどうも好きじゃない。素直じゃないなあ、と杉山もつぶやく。

「なあ、楓。なんかこいつの秘密知らないか?こいつの弱みを握ろうぜ。」

 杉山が悪戯じみた笑顔を見せる。二重人格。その四文字が頭によぎった。

 私は咄嗟に向井を見る。向井の色が徐々に刺々しく激しくなる。その刺々しさで私の心に釘を刺すかのようでもあった。

 しかし、私はそこから困惑のようなものが滲みだしているのを見逃さなかった。向井は私の能力に勘付いたときから私を恐れていた。けれど、今はその恐れ以上に困惑の色が強い。見たこともない食べ物を食べるときの色に近い。

 私は、向井の一番知られたくないだろう秘密を暴露することにする。

「向井君、昨日泣いていたよ。」

 マジか、と杉山が歓喜に近い声を上げる。向井の色が完全に困惑で占められた。どうすればいいか、悩んでいる。しかし、向井は顔には出さず、アンパンを一つ取り袋を開けた。

「なんでだよ。何があった?まさか武藤のせいかあ?」

「さあ、どうなんだろうね。」

 私は向井をまっすぐ見る。この間、体育館裏で会ったときにも感じたことだが、さまざまな色と混ざり合いながらも、向井はいつもどことなく落ち着いている。私に気を許し始めたのか、初めて会ったときの刺々しさもだいぶなくなってきている。

 向井はアンパンを咀嚼し、飲み込むと何かを決意したのか口を開いた。復讐心と悪戯心がその色から滲みだしていた。

「杉山は大人の本を拾って興奮していたぞ。」

 私は軽蔑の眼で杉山を見る。実際は、男の人が性的なことで興奮することなどは「空は青い」ぐらい当たり前のことでしょ、と思っていたのでその暴露話に何も感じることはなかった。

 しかし、女性として軽蔑の念をもつのは一種のマナーだと思い、杉山を軽蔑するふりをする。

「誤解だ。あれは高校生のための本で大人の本ではない。第一、大人の本はあれの比じゃない。知らないのか?」

 その発言に私はお箸を落とす。向井は食べたアンパンが喉に詰まったのか、咳き込んでいる。

「見たことあるの?」

 向井はお茶を流し込んでいてとてもしゃべれそうにないから、代わりに私が聞いた。

「いや、その、何かの間違いでちょっとな。」

 ネットで検索していたらちょっとな、と杉山は付け加えた。私の存在を忘れていたのか、今になって慌てふためいている。しかし、そんな窮地に立たされても何かを思い出したのか、ピンク色のような色を滲ませている。男は機会があれば四六時中そんなことばかり考えているのかと思うと、改めてあきれる。

「楓はどうなんだよ。お前もなんか秘密があるんじゃないのか?みんな言ったんだからおまえも言えよ。」

「いや、おまえだけだ。自ら暴露したのは。」

 向井はかろうじてそう言うとまた咳き込んだ。そういえば、私が初めてここに来たときも咳き込んでいたっけ。

「楓さんは人の心が読めるんですよ。」

 私は新たな声が聞こえてドキリとする。その声がするほうに顔を向けると先程のサイコロ男がアンパンを口に頬張っていた。あいも変わらず、眠そうな目でこちらを見ている。向井はそちらの方を向くと目を細める。

「何であんたがいるのよ。」

「お前、あのときの科学者君か?」

「そんなこと俺でも知っとるわ、一成。」

 三人の声が重なる。一成と呼ばれたサイコロ男は私たちの勢いに圧倒されたのか、体を後ろに引く。

「えっと、ひとつずつ答えます。まず、僕は『科学者君』かどうかの自覚はありませんが、たぶん向井君が考えている人物で間違いありません。次に、なぜ僕がここにいるのかというと、杉山君に呼ばれたからです。最後に―」

 サイコロ男はそこまでひと口で言うと、深呼吸した。そのとき、青縁の眼鏡がずり落ちたので慌てて指で押し上げる。

「なぜ君が知っているのですか、杉山君。」

 サイコロ男は杉山を指さす。確かにそうだ。杉山が何で知っている?杉山は口角を少し上げると、自慢げに短く笑った。

「簡単だ。楓の目を見てみたか?覗き込んでも少しも反応がなかった。あんなに目ばかり見られていたら、大抵の奴は目をそらす。だが、楓は目をそらすことはなかった。なぜか。」

「杉山君のことが好きだからよ。」

 私は適当な言い訳を口にしたが、杉山は全く気にせず、視線をサイコロ男から向井に移した。杉山は向井に答えてもらうのを期待しているのか、そのまま黙りこみ、言葉を発することはなかった。向井は軽く肩をすぼめる。

「別のところを見ているから、か?」

 杉山が指を鳴らす。その音はよく響き、もしかしたらこの校舎の一階まで響いたのではないかと思わせるほどだった。

「そうだ。楓は別のところ見ている。そこで俺は、もしかしたら楓は人の心を覗き込んでいるんじゃないかって思ったわけだ。」

 そうだろ、と杉山が私を見る。その色はあてずっぽうではなく、確信に満ちていた。

 私は驚くばかりだった。一つ。いつの間に杉山がそんな実験をしていたのか、ということ。二つ。私でも気付かなかった癖に杉山が気づいたこと。杉山はアンパンを二口、一気に喰らいつく。

「ところで、一成は何で気がついたんだ?」

 杉山は口をもごもご動かしながらサイコロ男に尋ねる。私が人の心が読めることを認めていないにも関わらず、心が読めることを前提に話が進んでいる。頬に風を感じる。髪が横に流れ、私の視界が遮られる。

「いや、ちょっと簡単なゲームをやったんですよ。」

 なぜか一成の説明はしどろもどろだった。「ああ、あれな。」と杉山はつぶやいたが、色を見る限り何のことだか分かっていないらしい。

「とまあ、みんなそろったことだし、前座はこれくらいにして―」

 杉山がアンパンを袋にしまい、おもむろに立ち上がる。風で後ろ髪がなびく。私は食べ終わったお弁当の蓋を閉じる。そんなに深刻な話でないことは色を見れば分かる。一成がなぜかきょろきょろ首を動かし、せわしない。

「俺らがここに集まったのは運命だ。俺らは運命共同体としてある目的を達成しなければならない。」

「おまえがこいつらを引きつれてここに来ただけだけどな。」

 向井の指摘を気にすることなく、杉山は続ける。杉山は目を閉じ、深く深呼吸すると一気に言葉を発した。

「ここにいるメンバーで『烏』を捕まえる。」


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