楓4
その男はサイコロを振っていた。机に向かいサイコロを振っては紙コップで隠し、紙コップを開いて中を確認してはまたサイコロを振っていた。
単純作業で退屈なのだろう。男からは倦怠の色が滲みだしていた。自らの外見に興味がないのか、髪の毛は寝ぐせでボサボサだった。私は人と机の配置上、その男の目の前を通過しなければならなかった。
「すいません。ちょっといいですか。」
男の前を通るとき、呼び止められた。倦怠の色にふさわしい垂れ目で私を見ていた。どこかで見た顔だ。そう思った。
「何でしょうか?」
相手の口調が移ってしまった。丁寧語で応えてしまう。
「あなたは人の心が読めるんですか?」
その通りだ。私は人の心が「色」になって見える。だからといって、「うん、そうなの。」とは言わない。では、何と言うべきか。簡単だ。
「何言ってるの、君?マンガの読み過ぎじゃない?」
とりあえず、こう言うしかない。第一、この男が私の能力に本当に気がついたわけでもないだろう。私は足早に、しかし不自然にならないようにその場を離れようとする。
「ちょっと待ってください。手伝ってほしいことがあるのですが。」
私は足を止め、男の前に引き返す。そのまま立ち去ってもよかったのだろうが、なんとなく怪しまれるのではないかと思ってしまった。この行動自体に不自然さはないのかを考えるまで頭が回らなかった。
「何?」
「僕とあるゲームをしてください。」
まさか、さっきまでこの男がしていたサイコロをひたすら振り続ける作業じゃないよね、と思ったが、それは「ゲーム」とは言えないかと自己解決する。ルールがあり、勝ち負けがあるものが「ゲーム」だ。
男はゲームのルールを説明し始める。
「まず、あなたがサイコロを振ります。それで、サイコロが止まる前にこの紙コップでサイコロを覆ってください。そうしたら僕がそのサイコロの目を当てます。終わったら交代です。それを繰り返して、どちらかが外したらそこでゲーム終了です。」
「外した時点で?それじゃあ、先攻の人が不利じゃない。」
自分でも、細かいな、とは思ったものの、一応指摘する。
「いいんです。僕が先攻ですから。それに、長引くとお互い面倒なので。」
なんか賭博みたいだ。サイコロの目の奇数・偶数で半か丁かを当てる賭博を思わせる。大きな違いは二分の一と六分の一という確率の違いか。
「それでは、お願いします。」
男がサイコロと紙コップを渡してくる。私はそれを少し乱暴に受け取ると、紙コップの中にサイコロを入れ、紙コップを振った。そこで自分の行動が先程の説明と少し違うことに気がつくが、大差はないだろうと思い直す。 しかし、私の意に反して、男の穏やかだった色が曇った。私は構わず紙コップの口を机に押さえつける。
「半か丁か。」
あっ、と小さく声を漏らしてしまう。賭博のことを考えていた私は思わず口走ってしまった。男の色は曇りの日の灰色の海のような色をしていた。明らかに困惑していた。やはり、何かトリックがあって、やり方が違うとサイコロの目も当てられないのだろうか。
「4だとハンなんですかチョウなんですか?」
私は、男の質問に構わず紙コップを取る。サイコロには四つの黒い点があった。
「4だね。」
「4ですね。」
男はそう言うと、さっさと紙コップとサイコロを手に取り、サイコロを振った。コロコロとサイコロが机に上に転がり、そろそろ止まるかというときに男はそっと紙コップをかぶせた。
「どうぞ。紙コップを外さなければ何をしてもいいですよ。僕に質問してもいいですし。」
これはゲームですから、と最後に付け加える。何をしてもいいって言われても、適当な数字を言うしかないでしょ?
「5。」
「本当に5ですか?」
その言い方に私は少しムッとした。それと同時に私は男の色の変化に気がついた。青縁の眼鏡の奥にある眼は相変わらず眠そうだ。しかし、余裕を滲ませ、人を誘導する色が確かに漂っていた。
「じゃない。4。」
「4ですか?」
男の色がまた変化した。今度は宝物を見つけたにも関わらず、あえてそっぽ向いているときに見える色だ。ビンゴ。
「4でしょ?」
「お見事。」
男は紙コップをどかす。サイコロにはまたしても4つの黒い点があった。その4つの黒点を見ているうちに、違和感が胸に込み上げてきた。何かがおかしい。
この男はサイコロの目を知っていた?
「次、どうぞ。」
「ちょっと待って。」
私はサイコロをそのまま振る。出た目は1。もう一度振る。今度は3。目の前の男を見る。眠そうであることには変わりないのだが、気付きました?とその目が言っているようだった。
「君、何したの?」
私はこの男の色の変化を見て、サイコロの目を判断した。しかし、本来ならばそんなことはできないはずだ。なぜなら、この男もサイコロの目を見ていないからだ。そうでないなら、あの質問で色が変化するはずがない。だから、私はこのサイコロが4の目しか出ないように細工してあるのではないかと思った。
しかし、その仮説も簡単な実験で否定された。交互にサイコロを振ったから、出る目をコントロールできる、ということも考えられない。第一、そうするメリットもない。
残った可能性は一つ。この男は出る目が分かっていた。
「計算ですよ。計算で出る目を算出したんです。」
男は自慢することなく、淡々と述べる。一体、どんな計算式でサイコロの目が予測できるというのだ。にわかには信じられない。
「信じていませんね。まあ、それが自然でしょう。しかしですね、それはあなたも一緒ですよ。」
男は中指で不格好な眼鏡を押し上げる。その眼鏡の奥の目にはしてやったり、という狡猾な騙し合いに勝利した者が放つ独特の輝きがあった。
「あなたは人の心が読める。そうでなければあの方法でサイコロの目は当てられませんから。」
私は一瞬言葉に詰まったが、すぐに平常心を取り戻した。そんな日もいつか来るだろう、と小さいころからシミュレーションを繰り返してきた。今がそのとき。
「ただの偶然よ。あなたも私もね。」
目の前の男は肩を軽くすぼめる。私はいつ座ったのか分からない椅子から立ち上がろうと両足に力を入れる。すると、男が片手を伸ばし、それを制止した。
「それでは、未来を予測してあげますよ。」
「は?」
何それ?
「本当はこんなことは滅多にしないのですが。当たっていたら、あなたもその能力を認めてください。」
どうして私の秘密を暴露しなきゃいけないのよ。しかもこんな冴えない男に。小さい頃、この能力に気がつくのはもっとイケメンで、私は唯一の理解者であるその人とつき合うことになる、と少女マンガのような妄想したことがあった。
しかし、最近はそんな妄想もしなくなった。現実なんてこんなものだ。
「どうやって当てるのよ?」
まさかとは思うけど、とつぶやくと、男はさも当然と言わんばかりの、何の表情の変化も見られない顔で口を開いた。
「計算しました。あなたがこの席を立つと待ち人がやってきますよ。」
待ち人。なによそのおみくじみたいな予言は。そう思っていると先程まで隣で聞いていた騒がしい声が教室の騒音を突き抜けて廊下から聞こえてきた。
「よくぞ戻ってきた、蛍。」
私は振り返って教室の入り口に目をやる。邪魔だ、と言って肩に乗せていた杉山の手を顔色一つ変えずに静かにどける向井の姿が見えた。
「どうですか、当たったでしょう?」
「あのさ。」
私は幼稚だとは分かっているが、最後の抵抗を見せる。
「待ち人ってどっち?当ててみてよ。」
さすがにこの言葉に男は呆れたのか、肩をすくめた。
「それは未来予測ではありません。占いです。」




