楓3
「あーあ。蛍がいないとなんか寂しいな。この教室。」
ホームルームまでまだ時間がある。先程に比べるとずいぶん多くの人が教室に集まり、世間話に花を咲かせている。寂しいどころか、騒々しい。
「武藤はまだ来ていないのかな。」
杉山がこちらを向く。なぜか呆気にとられていた。目を丸くし、口がぽかんと開けている。見事なリアクションだった。色を見るまでもない。
「二股か?」
その言葉に今度は私が驚いた。私の発言に対して驚いたとは少しも想像しなかったからだ。とっさにそんな事を想像する杉山が不思議で仕方がなかった。
「いや、だから違うってば。」
そこまで言って、私は言葉に詰まる。一体、何が違うのか。杉山の誤解を解くためには、どこから否定すればよいのか、すぐには思いつかなかった。
それが、よくなかった。
「ははあん。分かったぞ。分かっちゃったぞ。蛍と武藤の二人に声かけておいて、ひっかかった方とつきあうつもりだったな。残念だったな。武藤はともかく、蛍はそんな簡単に女に引っかかる奴じゃない。なぜなら―」
「次元が高いから。」
私のその言葉に杉山の色はパッと明るくなった。薄暗い部屋の中で蛍光灯がつく、そんな感じだ。
「だからそんなんじゃないんだって。向井には、昨日の事件について聞きたいことがあるだけ。武藤のことを気にしたのは、本人がいないのに何で勝手に話が進んでいるのか不思議に思ったから。なんだか、もう解決に向かっている感じだったし。事件の関係者抜きで解決したりするのかなあって。」
淡々と述べていると杉山の色がますます明るくなってきた。自転車のペダルの回転を徐々に加速させ、電球の明かりがそれに比例して明るくなる感じだ。
「なるほど。確かに不思議だ。これは何かあるな。」
そう言うと杉山は人差し指を顎に手を当て考え始めた。この男から離れたほうがいいのではないか、と思ったときには遅かった。
「よし。蛍のことは俺に任せろ。おまえは武藤を頼む。」
「楓。」
杉山はまた先程と同じような呆気にとられたリアクションをとった。面倒なことを頼まれたことよりも『おまえ』と言われたことが気に入らなかった。
「私の名前。」
私は『おまえ』と言われるのが何よりも嫌いだった。なんとなく、見下されている気がするからだ。
「よし。蛍は俺に任せろ。楓さんは武藤をよろしくお願いします。」
杉山はそう言い直すと教室を出て行った。いや、私は向井に用があったんだけどな。そう思っても、その愚痴を聞いてくれる人はこの騒がしい教室には一人もいない。




