蛍7
何が起こったのか分からなかった。左頬に衝撃が走る。僕は長い長い数学の講義の後、家に帰り、ゲーム機の電源を入れ昨日の続きをするはずだった。右頬がアスファルトに叩き付けられる。アスファルトの冷たさが右頬に伝わる。口の中を切ったのか、血の味がする。
「おいおいおい。元気ないね、蛍君。」
武藤の怒りと嘲りの微笑が目に映る。取り巻きたちも同じような顔をしている。どれも同じような顔で武藤以外は区別できないくらいだった。
「バスケもできなければ、喧嘩もできないってことですか。」
その場が一斉に笑いに包まれる。体育館裏でこんなに大騒ぎしてなぜ人が来ないんだ、と自分の不甲斐なさを周りのせいにしている自分がいることにあきれ、苦笑いする。
「おまえら本当に『烏』なのか?」
今度は小さな笑い声が場を占める。武藤は手で髪を乱す。
「おまえさあ、さっきからおまえら本当に『烏』なのかってしつこいんだよ。なんだよ。俺らが『烏』だと何かあるのかよ?」
武藤はまたカーカ―とカラスの声真似をし、両手を翼のように上下に動かす。それとともに、周りの取り巻きの笑い声が漏れる。
杉山に言われた後、僕は携帯電話を駆使し調べた。『烏』は今流行っている神隠しの使い手らしい。別に今話題の『烏』が『カイトウさん』だとは思っていない。そもそも『烏』の存在自体あやしい。しかし、この高校で『烏』の仕業に違いないという人は何人かいる。だったら、この高校で『烏』を名乗る奴らが『カイトウさん』であってもおかしくはない。火のないところに煙は立たない。ただそれだけだ。
「おまえ、なんかつまんないんだよな。どうしたら面白くなるかなあ。」
武藤は顎下に手を当て考えているふりをする。
「とりあえず、全裸にしますか。」
いいねえ、とさらに場が盛り上がる。それ本音かよ?本当に盛り上がってんのかよ?僕は胸に何かが詰まった感じがあった。息ができない。肩を大きく上下させるが、肺までうまく入ってこない。震えた空気が気管を行き来する。
「で、服は全部『烏』がとっていったってことにしましょうよ。」
違ぇよ、俺らが『烏』だろ、という武藤のつっこみでまた笑いが起こる。
その笑い声が頭を占めたとき、次々と頭の中に映像が蘇ってきた。
ズボンをおろされそうになっているとき目に映った無数の蔑みの表情。
水たまりの中の体操服。
黒い雲から落ちる雨。
赤みがかってきた空に浮かぶ白い半月。
夕陽に向かって飛ぶカラス。
遠くに思いをはせる美夜の横顔。
心臓の鼓動が速くなる。もう止められない。俺は武藤を見る。右手に力を入れ、立ち上がる。




