蛍1
私の物語を初めて読む方、初めまして。そうではない方、読んで下さりありがとうございます。大藪鴻大です!……久しぶりの投稿です。
今回の物語は、青春ものです。派手ではないけど、どこか奇妙な日常を描いてみた物語です。登場人物たちの少し変わったやり取りもこの物語の魅力だと思うので、物語のストーリーと一緒に、そちらの方も楽しんでいただければ幸いです。
それでは、日常の中の非日常物語の始まり始まり~。
高校生の生活というものは極めて退屈かつ単調なものである。大学入試という目標のような、障害のようなものに向けひたすらに勉学に打ち込む者もいる。また、勉学をこなしつつ、ストレスの解消および自らのスキルの向上のために部活動に打ち込む者もいる。毎日、つまらないというものもいれば、忙しいというものもいる。
だが、彼らのライフスタイルは、形は異なれどある大きな枠でとらえれば退屈かつ単調な生活を送っているにすぎない。しょせんは「日常」を過ごしているにすぎない。それも、ある程度保障された日常。彼らはまだ砂漠の中のオアシスで歓喜し、落胆しているにすぎない。
「三角関数の積分」と大きく書かれた黒板を眺めながら、僕はそんなことを考えていた。先生は黒板に向かって何やらぼそぼそつぶやいている。そして、そのつぶやきを誰も聞いてはいない。黒板に向かってつぶやくという授業スタイルは先生の性格によるものなのか、誰も聞かないという事実に直面し生まれたものなのか、いまだに不明である。
こんなもの教科書を読めば十分だろ、と思っている大多数のものはひたすら問題を解いている。こんなもの分からなくていいだろ、と思っているものたちはひたすらしゃべり続けている。僕は、そのどちらの側でもない。もう理解しているし、問題を解き続けるのも飽きたからボーっとしよう、という立場にいた。
「おい、蛍。」
隣から声をかけられたので、そちらを向く。後ろ髪を女子のように伸ばしている杉山が身を乗り出していた。僕は思わず、のけぞる。杉山が机の上に開いていたものは、数学の教科書ではなく、物理の問題集だった。
「ちょっと手を貸してくれ。」
今、僕の頭は数学を解く準備をしていなかった。当然、物理を解く準備をしているはずがない。
「悪いけど、今の僕に物理はできない。」
状況によって解けたり解けなかったりするものなのか、と言われるとそんなことはない。ただ、気分が乗らない。それだけである。カレーの後にみたらし団子は食べたくない、それだけである。
「おまえにこんなつまらない問題を解くことを頼むとでも思ったか?」
悪いけど、そう思ってしまった。杉山は授業中いつも僕に話しかけると、ここが分からない、あれが分からないという。挙句の果てには、なぜspreadが「広がる」という意味になるのか、説明しろとまで言ってくる。なぜ「広がる」は「広がる」という意味になるのか、といつか聞かれるのではないかと内心、恐れている。
「じゃあ、何だよ。」
「知りたいか。どうしようかなあ。」
冗談混じりの口調といたずら心がにじみ出した奇妙な笑顔を見せる。それが人にものを頼むときの態度なのか?「冗談に決まってるだろ。」と杉山はつぶやきながら、何やら時刻と『正』の文字がたくさん書かれた紙を取り出した。
「これをグラフ化してくれないか?」
よく見ると、紙面の一番上に「時間と登校人数の関係」と書かれている。
「こんなの調べてどうするんだよ。」
「なぜ学生は遅刻するのか。就寝時間が遅い。朝起きるのがだるい。電車一本乗り過ごしたら30分待たなければいけない。途中にいる猫に餌をあげなければならなかった。その理由は様々だろう。」
いや、猫はないな。もしそんな人がいるとしたら、それは杉山だ。
「しかし、中にはものすごく早く登校するやつもいる。開門前に校門前に立ち尽くす奴だってきっといるだろう。そこでだ。この由々しき事態に対し、俺たちは授業開始時間の見直しをする必要がある。誰も損しない、みんな幸せになる時間設定が必要とされている。」
そう言うと、杉山はデータが書かれた紙を僕の真っ白なノートの上に滑り込ませる。
「おまえも協力しないか。『登校時間見直し運動』に。」
「それで最近おまえは学校に来るのが早かったのか。」
杉山はいつもホームルーム開始のチャイムと同時に教室に入ってくる。杉山曰く、「ちょうどいい時間の電車がないんだよな。」
しかし、この数日間、杉山が僕よりも遅れて登校することはなかった。
「な、協力してくれよ、蛍。おまえしか頼れるやつがいないんだよ。」
きっとそうなんだろうな。こんなくだらないこと誰もつきあってはくれまい。僕は何となく、紙面を眺める。杉山にそれを返す。
「駄目だ。」
「なぜだ。」
「これ、何時から調査している?」
杉山は腑に落ちない顔で紙を見る。
「7時半だな。」
「開門時間は?」
「7時だな。」
「データとして不十分だろ、それ。」
というより、開門前に校門前で待つ人がいると言ったのはおまえだろ。調べたんじゃないのかよ。杉山は紙面を睨み、少し考え込んだ後、つぶやいた。
「開門前に登校するやつなんていねぇよ。」
杉山は大きな欠伸と伸びをし、机に崩れ落ちる。『登校時間見直し運動』は実現しなさそうだ。
「なあ、蛍。頼みがあるんだが。」
杉山が話しかけてから黒板が二回消された後、不意に前から声をかけられる。授業中に急に振り替えられるということにはどうしても慣れない。
「今日のバスケの試合さ―」
「断る。」
即答かよ、というつぶやきが聞こえる。大方、「今日のバスケの試合に出てくれないか。」とでも言いたかったのだろう。
最近この手の頼みごとが多い。中学からずっと帰宅部であり、体育でもそんなに目立っていないはずなのに、よく頼まれる。いや、帰宅部だからこそ人手不足の時に頼みやすいのかもしれない。僕はこの手の頼み事は全て断っている。気分が乗らない。海水浴を満喫していたときに、山に昆虫採集に連れて行かれる心理である。
「おまえじゃなきゃだめなんだよ。才能は生かそうぜ。」
才能も何もバスケの試合でシュートを決めたことなんて一度もない。それはこの学校にいる全員が知っているはずだった。それでもしつこく勧誘してくるので無視することにした。都会の街中では常套手段であろうが、学校の中では効果はあるもののあまり印象のいい方法ではない。
案の定、軽い舌うちの音が聞こえる。そんなことにも、もう慣れてしまった。黒板を眺めていると先生と目が合った。ずれ落ちた眼鏡を人差し指で押し上げる。先生の倦怠感を帯びた顔色がわずかに晴れて行くのが分かった。僕は適当に相槌を打つ。
そんな日々の繰り返しだ。