精神惑乱
「この世界は、美しくないと思うの」
毒々しいルージュを引いた唇を開いて、彼女は言った。
まだ踏切があるような都会よりの田舎の道を並んで歩く彼女の厚く化粧した顔を見ながら、俺は先程の言葉への返事を考える。
「そうだな。この世界は美しくない。」
「私も?」
「君も。」
「そう。」
俺の返事を受け流して、彼女は不自然な色の爪がついた手で口元をゆったりと押さえた。
いつしか厚化粧するようになっていた、彼女の顔。
やっぱり、美しくない。
踏切の音が近づく。
「だからね、いらないと思うの。」
「何が?」
「この世界が。」
ごう、と音を立てて、電車の残像が流れる。
通り過ぎるのを並んで待つ彼女の顔から感情を読み取ることはできなかった。
「世界が?」
「ええ。」
「……なんで?」
俺の問いかけにふふっ、と笑った彼女の吐息が遠い。
踏切を渡りきってから振り返ると、彼女は踏切の中で立ち止まっていた。
電車の発車音が聞こえる。
駅からそう遠くないここは、時間によってはそれほど間を空けずに電車が来る。
交換列車か。
「だって、あなたに美しいと思われない世界なんて、いらないもの。」
踏切が鳴りだした。
カン、カン、カン、カン。
黄色と黒の縞模様の棒が俺と彼女を隔てる。
踏切の無機質な音を聞きながら、俺は何ら声をかけることなく彼女を見つめていた。
どこかで、俺はこうなることを望んでいたのかもしれない。
「 」
血のような色のルージュを引いた唇が弧を描く。
真っ赤な海に沈む"彼女だったもの"を見て、俺は初めて"彼女"を美しいと思った。