第5話 退学希望の賢者と、街道に散るオークの群れ
ガタゴトと揺れる馬車の中で、僕は深い溜息を吐いた。
「あーあ。学園に着く前に退学届を出したい気分だよ」
向かいの席に座るリズが、くすくすと笑いながら僕を見る。
「無理だよアレン。王様からの直接の命令なんだから」
「わかってるけどさ。僕たちのスローライフはどこに行っちゃったんだ」
僕たち辺境伯家の三男と騎士団長の娘は、教会の水晶玉を粉砕したあの日から、あっという間に王都の『王立魔法学園』への特待生入学を決められてしまった。
『賢者』と『剣聖』。
そんなバグみたいな称号を持った子供を、国が野放しにするわけがなかったのだ。
左腕のリストバンド型端末を撫でながら、僕は窓の外を流れる景色を眺める。
僕たちが乗っているのは、母さんが美容品の売上で用意してくれた超高級な大型馬車だ。
乗り心地は最高だが、向かっている先が面倒ごとの中心地である王都となれば、気分も沈むというものだった。
「まあまあ。王都に行けば、領地にはない美味しいものや、新しい素材がいっぱいあるよ」
リズが僕を励ますように身を乗り出してくる。
彼女のサラサラの金髪から、僕が開発したシャンプーの良い香りが漂ってきた。
「そうだな。学園の図書室には、古代の魔法技術書もあるらしいし」
「でしょ。それに、アレンと一緒ならどこでも楽しいよ」
リズが満面の笑みで言う。
中身は高校生のくせに、こういうストレートな言葉を平気で口にするから心臓に悪い。
僕が照れ隠しに咳払いをした、その時だった。
ヒヒーンッ!!
馬がいななき、急ブレーキがかかったように馬車が激しく揺れて停止した。
「なんだ?」
「アレン、前方の街道から血の匂いがする」
リズの表情が一瞬にして『剣聖』のそれに切り替わる。
護衛として同行している辺境伯家の騎士が、窓をノックした。
「アレン様、リズ様。この先で戦闘が行われているようです。どうやら、貴族の馬車が魔物の群れに襲撃されている模様でして」
「魔物の群れ?このあたりは王都も近いはずなのに」
僕は左腕の【天界の端末】を起動し、【ドローン視点アプリ】を立ち上げた。
ホログラム画面に、上空数百メートルから見下ろした映像が映し出される。
そこには、絶望的な光景が広がっていた。
豪華な装飾が施された大型馬車が、百体を超えるオークの大群に完全に包囲されている。
馬車の周囲には数十人の近衛騎士らしき死体が転がり、残った数人が必死に防衛円を組んでいるが、全滅は時間の問題だった。
さらに群れの中心には、通常のオークの三倍はあろうかという巨体を持つ『オークキング』が君臨している。
「あれは……王家の紋章が入った馬車か」
「アレン、どうする?このまま見捨てる?」
リズが剣の柄に手をかけながら聞いてくる。
「見捨てるわけないだろ。後味が悪すぎる。でも、なるべく目立たずに片付けたいな」
僕はホログラム画面を操作し、オークの群れが密集している座標をターゲットに指定した。
一方その頃。
王家の紋章を掲げた馬車の中では、二人の少女が死の恐怖に震えていた。
「ベアトリス……私の魔力は、もう……」
金色の縦ロール髪を持つ第三王女シャルロットが、力なく呟く。
彼女は炎魔法の才に恵まれていたが、度重なるオークの襲撃に魔力を使い果たしていた。
「シャルロット様、どうかお気を確かに。私が最後までお守りしますわ」
親友であり、公爵令嬢でもある銀髪のベアトリスが、杖を握りしめて氷の防壁を展開し続けている。
しかし、彼女の頭脳は冷静に「生存確率がゼロ」であることを弾き出していた。
敵対派閥の貴族が、故意に結界を解いてオークの群れを誘導したに違いない。
外からは、近衛騎士たちの断末魔と、オークキングの下劣な咆哮が響いてくる。
「これまでですわね……」
ベアトリスが目を閉じた、その瞬間だった。
ズゴゴゴゴゴォォォォンッ!!
鼓膜を破るような轟音と共に、馬車の外からオークたちの悲鳴が一斉に上がった。
「え……?」
シャルロットとベアトリスが恐る恐る馬車の窓から外を覗き込む。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
つい先程まで馬車を取り囲んでいた百匹以上のオークたちが、まるで『見えない巨大な壁』に上から押し潰されたように、地面に這いつくばって血を吐いているのだ。
少し離れた場所から、僕はスマートウォッチの画面を見て満足げに頷いた。
「よし、重力場コントロールによる【質量圧殺アプリ】、完璧に動作したな」
指定した座標の重力加速度を一時的に数十倍に跳ね上げる、物理法則を応用した極悪アプリである。
オークの強靭な肉体も、自身の体重が数十倍になれば骨が砕けて内臓が破裂する。
「アレン、オークキングと数匹の上位種はまだ動いてるよ!」
リズが窓から身を乗り出して叫ぶ。
「残りは任せる。いけるか?」
「愚問だね。私を誰だと思ってるの」
リズがニヤリと笑った次の瞬間、彼女の姿が馬車から掻き消えた。
ドォォォンッ!!
遅れて、彼女が蹴り足で地面を砕いた衝撃音が響く。
音速を超えたリズの突撃。
オークキングが反応して巨大な棍棒を振り上げるよりも早く、黄金色の閃光が宙を舞った。
「シッ!」
短い呼気と共に、リズの剣がオークキングの巨体を縦に両断する。
さらにそのままの勢いで跳躍し、生き残っていた上位種たちの首を次々と刎ね飛ばしていった。
時間にして、わずか数秒の出来事である。
僕とリズによる「遠距離重力圧殺」と「超音速の剣撃」の連携により、王女を追い詰めていたオークの大軍は完全に沈黙した。
「終わったみたいだな」
僕は馬車から降りて、ゆっくりと激戦の跡地へ向かって歩き出した。
周囲には、原型を留めないオークの残骸が散乱している。
リズは剣についた血を払い、僕の隣に並んだ。
「ふふん。私の剣技、どうだった?」
「百点満点だ。怪我がなくてよかったよ」
僕たちが他愛もない会話を交わしていると、王家の馬車の扉がギィッと開いた。
中から現れたのは、土埃にまみれながらも隠しきれない気品を持つ、二人の美少女だった。
金色の縦ロール髪の少女と、銀髪の真っ直ぐな髪の少女。
二人は、絶望の淵から救い出してくれた恩人の姿を見て、文字通り息を呑んで固まった。
無理もないかもしれない。
僕たちは毎日、自作の『超高保湿魔力付与ローション』と『弱酸性アミノ酸シャンプー』で完璧なケアをしている。
さらに僕の魔力による細胞活性化の影響で、リズは女神のように美しく、僕自身も異常なほど整った顔立ちに成長していた。
血みどろの戦場に似つかわしくない、輝くような二人の少年少女。
シャルロットとベアトリスにとって、僕たちの姿は神の御使いのように見えたに違いない。
「あ、あの……!私たちを助けてくださり、ありがとうございます……!」
シャルロットが震える声で、しかし熱を帯びた瞳で僕を見つめてくる。
ベアトリスもまた、計算外の事態に思考が追いつかないのか、頬を赤らめて僕とリズを交互に見ている。
「あなた様は、一体……?その圧倒的な魔法、それに美しいお姿……まるで絵本から飛び出してきた英雄のようですわ」
シャルロットが両手を胸の前で組み、完全に恋する乙女の顔になっていた。
(やばい、これは絶対に関わっちゃいけないやつだ)
僕の危機察知センサーが警鐘を鳴らす。
王族に気に入られてしまえば、スローライフどころか宮廷の権力闘争に巻き込まれるのは確定だ。
「通りすがりの旅人です。名乗るほどの者ではありません」
僕は極めて事務的なトーンで答え、リズの腕を引いた。
「怪我がないなら何よりです。王都の騎士団がすぐに救援に来るはずですから、僕たちはこれで」
「えっ、お待ちになって!せめてお名前だけでも……!」
「ただの村人Aです。さようなら!」
僕はリズと共に全速力で踵を返し、自分たちの馬車へと逃げ帰った。
「ちょっとアレン、急に引っ張らないでよ!」
「馬車を出せ!全速力で王都に向かうんだ!」
僕は御者に叫び、逃げるようにその場を後にした。
しかし、僕のこの行動は完全に裏目に出ていた。
遠ざかる僕たちの馬車を見つめながら、シャルロット王女は頬を赤く染め、熱っぽく溜息を吐いた。
「村人A……なんて謙虚で、素晴らしいお方なのでしょう。あの青い光を放つ瞳、私の一生の宝物ですわ」
「シャルロット様。あの二人の実力、ただの平民であるはずがありません。王家の情報網を駆使して、必ずや見つけ出してみせましょう」
ベアトリスもまた、知的な瞳の奥に強い独占欲の炎を燃やしていた。
僕が面倒ごとを避けるために放った偽名と逃亡劇は、結果的に彼女たちの「乙女心」と「探求心」に特大の油を注ぐことになってしまったのだ。
王都の学園で再会し、僕が彼女たちから逃げられない修羅場に巻き込まれるまで、あとわずか数日の猶予しかなかった。




