第1話 5歳児の完璧な言い訳と、幼馴染の深刻な髪の毛事情
ズシン、と。
レッドベアの巨体が地響きを立てて沈黙した直後だった。
「アレン!リズ!」
屋敷の方から、血相を変えた大人たちが駆けつけてきた。
先頭を走るのは、僕の父親である辺境伯ダグラスと、リズの父親である騎士団長ガストンだ。
彼らは完全武装で剣を抜き放ち、額に汗を浮かべていたが、庭の惨状を見てピタリと足を止めた。
「な……なんだ、これは……」
「結界を破って侵入したのか。だが、このレッドベアの死体は……胸に大穴が空いているぞ」
歴戦の猛者であるはずの大人たちが、信じられないものを見る目で絶句している。
無理もない。
レッドベアの胸部には、僕の放ったプラズマビームによって、綺麗に円形にえぐられた空洞ができていた。
周囲に魔法の残滓や、剣で激しく斬り合った形跡は一切ない。
ただ、高熱で焦げた肉の臭いだけが漂っている。
僕は自分の左腕を一瞥した。
すでにスマートウォッチのホログラム画面は消え、ただの黒いリストバンドと同化して肌に隠れている。
(よし、バレてない)
僕は前世の記憶を持つ「相川リョウ」としての思考を隅に追いやり、5歳の子供「アレン」の仮面を素早く被った。
「お父様ぁ……!」
僕はわざとらしく涙目を浮かべ、ダグラス父さんの足元へ駆け寄って強く抱きついた。
「おお、アレン!怪我はないか、無事だったか!」
「怖かったよぉ。クマさんが来て、リズを食べようとしたの」
「よく無事で……いや、待ちなさい。この凶悪な魔物を倒したのは、一体誰だ?護衛の姿もないが」
ダグラス父さんの鋭い視線が僕に向けられる。
ここで「僕のスマートウォッチで酸素濃度をいじってプラズマを撃ちました」などと言えば、即座に教会の異端審問にかけられるか、王都の研究所に送られるだろう。
僕は用意していた「完璧な言い訳」を口にした。
「わかんない。僕、リズを助けてって、火の精霊さんにお祈りしたの」
「精霊に、祈っただと?」
「うん。そしたらね、僕の手からシューってすごい光が出て、クマさんにドカンってぶつかったの!」
無邪気な5歳児の身振り手振りを交えて熱弁する。
ダグラス父さんとガストン騎士団長は、顔を見合わせて大きく息を呑んだ。
「無詠唱での精霊魔法の発現……いや、それどころか上位精霊の直接介入か!?」
「辺境伯様。アレン様はもしかすると、数百年ぶりに現れた、とんでもない精霊の愛し子なのかもしれませんぞ」
「おお……我が息子に、これほどの奇跡が宿っていようとは」
大人たちは勝手に納得し、感動の面持ちで僕を高く抱き上げた。
(よし、チョロい)
僕は心の中で盛大にガッツポーズをした。
この世界では「精霊の気まぐれ」という非常に便利な言葉があり、常識外れの現象はだいたいこれで説明がつくらしい。
ちらりとリズの方を見ると、彼女はガストン騎士団長に抱きしめられながら、僕を見て呆れたように笑いを堪えていた。
◇
その夜。
僕とリズは、魔物に襲われた精神的なショックを考慮されて、僕の広い子供部屋で一緒に寝かしつけられた。
分厚いマホガニーの扉が閉まり、廊下へ遠ざかる足音が完全に消えるのを待つ。
「……行っちゃったね」
「ああ、もう大丈夫だ」
僕たちは同時に起き上がり、大きなベッドの上に胡座をかいて向かい合った。
月明かりが差し込む部屋の中で、改めて互いの顔を見つめ合う。
黄金色のしなやかな髪に、宝石のような碧眼を持つ美少女。
それが今のサキ……いや、リズの姿だ。
「リョウくん、さっきの演技サイテーだったよ」
「仕方ないだろ。あそこでプラズマビームの原理を語ったら、確実に人体実験コース直行だぞ」
「ふふっ、それもそうだね」
リズが声を殺してクスクスと笑う。
その仕草は、前世で僕の隣を歩いていた高校生のサキそのものだった。
「サキ、本当に……怪我がなくてよかった」
「うん。リョウくんが助けてくれたから。……ううん、これからはアレンって呼んだ方がいいよね」
「そうだな。ここではアレンとリズだ。よろしくな、僕の最強の幼馴染」
僕たちは小さく拳を突き合わせた。
前世でトラックに轢かれた記憶は鮮明にある。
強烈な痛みも、死の恐怖も覚えている。
けれど、不思議と悲壮感はなかった。
大好きな人が、今もこうして目の前で笑ってくれている。
それだけで、この二度目の人生は「ボーナスステージ」のようなものだ。
「で、これからどうするの?」
リズが小首を傾げて尋ねてくる。
「決まってる。将来は二人で家を出て、どこかでのんびり暮らそう」
僕は即答した。
辺境伯家の三男というポジションは、一見すると裕福で恵まれている。
しかし、長男が家を継ぎ、次男が騎士団に入るという暗黙の了解がある以上、三男の僕は「いずれ独立しなければならない厄介者」なのだ。
「アレンは貴族のお坊ちゃまにはなりたくないの?」
「面倒くさいだろ、派閥争いとか。僕はサキ……リズと一緒に、平穏なスローライフを送りたいんだよ」
「スローライフ、いいね!二人でお店でもやろっか」
リズの目がキラキラと輝く。
前世でも、僕たちは「大人になったら二人でカフェでもやりたいね」と放課後に語り合っていた。
その夢が、異世界で叶うかもしれないのだ。
「そのためには莫大な資金が必要だ。僕のこのスマートウォッチ……【天界の端末】を使えば、何か売れるものが作れるはずだ」
僕は左腕を優しく撫でた。
すると、青白いホログラム画面がふわりと空中に浮かび上がる。
「あ、それ気になってたの!ねえアレン、それでお風呂の石鹸とか作れない?」
リズが身を乗り出して僕の腕を覗き込んでくる。
「石鹸?」
「そう!この世界の石鹸って、木灰のアルカリ成分が強すぎて、髪を洗うとギシギシになっちゃうの。前世の女子高生としては、マジで耐えられないレベルのストレスだよ!」
リズが自分の綺麗な金髪を指先でつまみながら、不満げに唇を尖らせた。
なるほど、確かにこの世界は中世ヨーロッパレベルの文明水準だ。
公衆衛生や美容に関する概念は、現代日本とは比べ物にならないほど遅れている。
「リズの髪がギシギシになるのは、僕にとっても大問題だ」
僕は真顔で深く頷いた。
「ちょ、なんでアレンの大問題なのよ」
「だって、君のサラサラの髪を撫でるのは、前世からの僕の特権だからな」
「~~っ!もう、バカッ」
リズの顔がボンッと赤くなり、僕の肩をポカポカと叩いてくる。
照れているリズも最高に可愛い。
「冗談はさておき。美容品の開発は、スローライフの資金稼ぎに最適かもしれない」
貴族の女性たちは、いつの時代も美に対する投資を惜しまない。
高品質なシャンプーや化粧水を作れば、確実にバカ売れするだろう。
資金稼ぎの第一歩として、これほど優秀な商材はない。
「よし、さっそくやってみよう」
僕は空中に浮かぶホログラム画面を操作し、【天界ストア】のアイコンを指先でタップした。
【天界ストアへ接続します】
【新規インストール可能なアプリを表示中……】
画面にずらりと並んだアイコンの中から、【成分解析アプリ】と【物質合成アプリ】を選択してダウンロードする。
通信環境など存在しないはずなのに、一瞬でインストールが完了した。
「すごい、本当にスマホみたいに動いてる」
リズが感嘆の声を漏らす。
「よし、起動するぞ。リズ、そこにある花瓶の花を取ってくれないか」
「うん、これね」
リズがサイドテーブルに飾られていた、香りの強い赤い花を差し出す。
僕は左腕の端末を花に向けた。
【成分解析を開始します】
【Target:ローズマリー近縁種(魔力含有量0.02%)】
【抽出可能成分:精油、抗酸化物質、保湿成分】
「おっ、詳細な解析ができた。これと、厨房にある植物油をベースにすれば、弱酸性のシャンプーが作れそうだ」
「本当に!?アレン、天才!」
「いや、天才なのは僕じゃなくてこの端末と、現代科学の先人たちだけどね」
僕は画面の【物質合成アプリ】を立ち上げた。
このアプリを使えば、素材の分子構造を並べ替え、目当ての化合物を一瞬で精製できるらしい。
つまり、面倒な化学実験や長期の熟成期間をすっ飛ばして、最高品質の結果だけを出力できるのだ。
まさに常識を覆すチート能力である。
「明日の朝、厨房に忍び込んで油と灰をくすねてこよう。リズ、見張りをお願いできるか?」
「任せて!私、異常なほど体力と動体視力はいいみたいだから、メイドさんの動きを完全に見切ってみせるよ!」
リズが意気揚々と小さな胸を張る。
前世で共に死線をくぐり抜けた僕たちは、異世界の夜の子供部屋で、壮大な悪巧みを楽しんでいた。
目指すは、この世界初の最強シャンプー開発。
そして、二人だけの自由で甘いスローライフだ。
僕たちの異世界生活は、こうしてひっそりと、しかし確実に革命の準備を始めていた。




