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辺境伯家の三男(5)、現代物理で魔法を再定義する。

「ねえリョウくん、今度の週末ここ行かない?新作のパンケーキ、すっごい美味しそうなの!」


隣を歩くサキが、スマホの画面をキラキラした目で見せてくる。

僕、相川リョウと、幼馴染のサキは、学校でも有名な公認カップルだ。


家は隣同士。

親同士も仲が良く、物心ついた時からずっと一緒だった。

高校に上がってすぐに付き合い始めた時も、周りの反応は「やっとかよ」「知ってた」という祝福ムード一色。


「はいはい、わかったよ。サキは甘いもの目がないなぁ」


「むっ、いいじゃない!リョウくんだって、この前大盛りラーメン食べてた癖に!」


「あれは男のロマンだからいいんだよ」


「なにそれー!ずるい!」


サキが頬を膨らませて、僕の腕を軽く叩く。


そんないつもの放課後。

何気ない会話。

幸せな日常。


僕はこの時間が、おじいちゃんおばあちゃんになっても、ずっと続くのだと信じて疑わなかった。

横断歩道の信号が赤に変わろうと点滅を始める。


その時だった。


キキキッ!!


空気を切り裂くような、異常なブレーキ音。


「えっ?」


音のした方へ視線を向ける。

大型のトラックが制御を失い、蛇行しながら歩道へ向かって突っ込んでくるのが見えた。


「嘘でしょ……」


サキが息を呑む。

トラックの進行方向。


そこには、ボールを追いかけて飛び出したのだろうか、小さな男の子が一人、呆然と立ち尽くしていた。

運転手の悲鳴のようなクラクションが響く。

けれど、間に合わない。


「危ないっ!」


考えるより先に、体が動いた。

隣を見ると、サキも同じように駆け出している。

僕たちは示し合わせたように、同時に子供の体へ飛びついた。


(間に合えっ!)


必死に手を伸ばし、子供の小さな体を突き飛ばす。

直後。


ドンッ!!


背中に、トラックの鉄塊が直撃する強烈な衝撃。

視界が反転し、空が回る。


コンクリートに叩きつけられた痛みが、一瞬遅れて全身を駆け巡った。

激痛はすぐに麻痺し、冷たい闇が広がっていく。


「……リョ、う……くん……」


かすれた声。

少し離れた場所に、サキが倒れていた。

彼女もまた、子供を庇って弾き飛ばされたのだ。

朱に染まっていく彼女の制服を見て、僕は必死に手を伸ばす。


(嫌だ……離れたくない……死にたくない……!)


震える指先が、彼女の冷たい手に触れた。

強く、握り返される。


「……一緒、だ……よ……」


「ああ……ずっと、一緒だ……」


薄れゆく意識の中で、僕たちは誓った。


もしも次があるなら。


もう二度と、君を離さない。


神様がいるなら、どうか。


僕たちを、引き裂かないでくれ──。


***


「アレン様!リズ様!あまり遠くへ行ってはいけませんよ!」


メイドの呼び止める声が、春風に乗って聞こえてきた。


僕はアレン。

辺境伯家の三男として、この世界「アーゼル」に生を受けた。

今は5歳。


なぜだか分からないけれど、僕は生まれた時から、隣に住む騎士団長の娘・リズのことが大好きだった。

それはもう、理屈じゃない。


魂が彼女を求めているような、強烈な引力。

そしてリズもまた、僕を見ると花が咲いたように笑うのだった。


「アレン!こっちこっち!見て、おっきな蝶々!」


「待ってよリズ。転ばないようにね」


陽光が降り注ぐ、屋敷の裏庭。

リズが黄金色の髪を揺らして走っていく。


その笑顔を見ているだけで、胸が満たされた。

自分がかつて「リョウ」という名の高校生だったことも、「サキ」という恋人がいたことも、今の僕には記憶の彼方。


ただの平和な子供時代。

けれど、そんな穏やかな時間は、唐突に終わりを告げる。


バヂヂッ……!


不快な音が響いた。

屋敷を囲っていた「対魔結界」の一部が、青白い火花を散らして消滅する。


「……え?」


僕が立ち止まった瞬間。

結界の裂け目から、異様な気配が滲み出してきた。


腐った肉の臭い。

そして、大地を震わせる重低音。


「グルルルル……」


茂みの奥から現れたのは、大人の背丈よりも巨大な、血走った目の熊──「レッドベア」だ。

本来なら、辺境伯家の厳重な結界で侵入できないはずの魔物が、なぜここに?


護衛の騎士は遠い。

メイドも気付いていない。


「あ……」


リズが恐怖で腰を抜かし、その場に座り込む。

熊が、涎を垂らしながらリズを見下ろした。

太い腕が振り上げられる。


「リズッ!!」


僕は無我夢中でリズの前に飛び出した。

恐怖で足が震える。

魔法なんて習っていない。

剣も持っていない。


ただの5歳の子供に、何ができる?

死ぬ。

また、死ぬのか。


嫌だ。


守るんだ。


今度こそ、守るって誓ったんだ!


パリンッ。


脳内で、何かが砕ける音がした。


溢れ出す記憶。

あの日のパンケーキの話。

トラックのブレーキ音。

血の匂い。

サキの冷たい手。


『──個体名アレンの精神覚醒を確認』

『ユニークスキル【天界の端末スマート・リンク】をインストールします』


無機質な音声システムボイスが脳に響く。

直後。


僕の左手首に、青白い光の輪が現れた。

それは瞬く間に形を変え、前世で見慣れた「スマートウォッチ」のような形状へと収束する。


(……なんだ、これ?)


ブゥン。


小さな起動音と共に、スマートウォッチから空中にホログラムの画面が投影された。

そこには、見慣れた「アプリアイコン」が並んでいた。

まるで、前世で使い古したスマホの画面のように。


【敵性生体を検知しました:レッドベア(Lv.25)】

【排除しますか?YES/NO】


時間は止まったように遅く感じる。

震える指で、僕は迷わず【YES】のボタンを叩いた。


【攻撃手段を選択してください】

【火属性アプリ】【水属性アプリ】【風属性アプリ】【土属性アプリ】……


直感で【火属性】のアイコンをタップする。

すると、画面が切り替わり、複雑な魔方陣……ではなく、「シンプルなスライダーバー」が表示された。


──Target:Single

──Temperature(温度):■■□□□□□

──Range(範囲):■□□□□□□


(温度設定……?)


この世界の魔法は、精霊への祈りや詠唱で発動すると絵本で読んだ。

だが、この画面は違う。


これは「物理現象」のパラメータ設定だ。

僕は理系の高校生だった前世の知識をフル動員する。


火とは何か。

それは急激な酸化反応であり、熱エネルギーの放出だ。

魔力という燃料を使い、酸素濃度を操作し、一点に熱量を収束させれば……。


「燃えろ……いや、貫け!」


僕は【温度】のスライダーを指で右端まで一気にスワイプした。

MAX設定。


表記が『Temperature:3000℃(Plasma)』に変わる。


「グルァッ!?」


レッドベアが爪を振り下ろした、その瞬間。

僕が突き出した左手のひらから、魔法とは思えない現象が発生した。


火の玉ではない。

収束された、青白い光の線。

超高熱のプラズマビームだ。


ジュッ!!


一瞬だった。

音もなく放たれた光線は、レッドベアの分厚い毛皮も、筋肉も、骨も、すべてを蒸発させて貫通した。

巨体の胸に、ぽっかりと直径50センチほどの空洞が空く。

断面は炭化し、血すら出ていない。


ズゥゥゥン……。


遅れて、巨体が地に伏す音が響いた。

静寂。


僕は呆然と、自分の左腕を見る。

空中に浮かんでいたホログラム画面は、スッと時計の中に収納され、ただの黒いリストバンドに戻っていた。


(……すごい。なんだよこれ、ゲームかよ……)


詠唱なし。

魔方陣なし。


ただ、画面を操作しただけ。

現代科学の理屈を、魔力で強制執行するチートツール。


「……ぅ……」


背後で声がした。

振り返ると、リズが涙を溜めた瞳で僕を見上げている。


その瞳に、5歳児特有の無邪気さはない。

あるのは、深い驚きと、懐かしさと、愛おしさ。


「……嘘。あんなデタラメな魔法……」


リズがふらりと立ち上がり、僕に抱きついた。

その温もりは、夢の中で何度も求めたものと同じ。


「リョウ、くん……?」

「……サキ、なのか?」


「うわああああん!会いたかったぁ!もう会えないかと思ったぁ!」

「サキ!ごめん、怖かったよな、遅くなってごめん!」


僕たちは、魔物の死骸の横で、子供のように──いや、子供の姿で泣きじゃくりながら抱き合った。

騒ぎを聞きつけた屋敷の兵士たちが駆けつけてくる足音が聞こえる。


これから、大騒ぎになるだろう。

5歳児がAランク相当の魔物を瞬殺したのだ。


「神童」だの「賢者」だの、面倒なレッテルを貼られる未来が目に見えている。

けれど、今はどうでもよかった。


左腕には、謎のスマートウォッチ。


腕の中には、最愛の幼馴染。


二度目の人生、これ以上のスタートはない。


「……ふふ、リョウくん、その腕のやつ、何?」

「これ?なんか『天界の端末』らしいよ」

「なにそれ、ウケる」


涙を拭いて笑うリズ。

僕の異世界生活は、こうして「物理演算魔法」と「最強の幼馴染」と共に、幕を開けたのだった。

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