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夢の終わりに桜は散る  作者: りん


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7.




町に足を踏み入れると、遠くに伸びる街路樹が風に揺れ、かすかに葉の音を立てていた。

人通りは多いが、どこか穏やかな空気が流れている。

木造の店や石畳の道、屋根の上で休む鳥。

人工的なのに、自然と調和したような不思議な風景だった。


当てもなく4人は歩いていると、とあるお店が目についた。

道の角に「炭火焼き・まると」と書かれた看板を見て、颯太の瞳は輝いた。

「男4人だし、焼肉でも食べましょう!」



暖簾をくぐると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

4人掛けのテーブルに座り、岩崎と三浦が肉を丁寧に焼いていく。

「焦げすぎないように…ほら、颯太君、いい感じだよ」


「うわ、ありがとうございます!」


颯太は待ちきれず、焼けたばかりの肉をほおばった。

「うまっ!この世界に来てから一番うまいです!」


その無邪気な様子に、岩崎の口元がふっと緩む。

「僕、あまり人と食事をしたことがないので…新鮮で楽しいです。ありがとうございます」


「え、そうなんですか?じゃあ、もっとたくさん食べましょう!」

翔太が次々と肉を焼き、皿に山のように盛っていく。


笑い声が上がり、鉄板の上で肉がジュウと音を立てた。

いつのまにか、みんなの顔に自然な笑みが浮かんでいた。



焼き肉を食べ終えると、4人は店を出て外の風に当たった。

夕方の空は少し赤みを帯び、街並み全体がやわらかく染まっている。


「風、気持ちいいですね」

「うん…なんか、懐かしい匂いがする」


そのとき。

ふと、翔太が鼻をひくつかせた。


「…なんか、焦げたようなにおいがしませんか?」


「ほんとだ。あっちの方からするね」

三浦が指差した先、建物の向こうで白い煙が立ちのぼっていた。


「BBQでもやってるのかな」


だが、煙の色は次第に黒く変わっていく。


「…いや、普通の煙じゃない」

岩崎の声が低くなった。


颯太が隣を見ると、翔太の顔がこわばっていた。

唇がかすかに震えている。

「翔太君、大丈夫…?」


「あ、う、うん…」


岩崎がすぐに立ち上がる。

「ちょっと様子を見てきます。三浦さん、一緒に」


「分かりました。君たちはここで待ってて」


2人は煙の方へ走り出した。

その背中を、颯太と翔太はじっと見送った。


風がまた吹き抜け、焦げたにおいが一層強くなった。




煙の出ている方へ向かうと、広い空き地の草むらがあちこちで燃えていた。

火の勢いは強くはないが、乾いた草がパチパチと音を立てて焦げていく。

数十人の人だかりができ、ざわざわとした声が空気を震わせていた。


「タバコの不始末だってさ」


「ったく、誰だよこんなとこで吸ってたの」


「なんだ、ただのぼやですね。これだったらすぐ消えますかね」

三浦が安堵の息をつき、振り返ろうとしたそのとき。


「…待ってください」

岩崎が彼の肩をつかんだ。


「え?」


「なにか、聞こえませんか」


三浦も耳をすませる。

人々の話し声の奥で、かすかに泣き声のようなものが混じっていた。


「…たしかに。あの、段ボールの辺り…」


岩崎はすぐに駆け出した。

「ちょ、ちょっと!岩崎さん!」

三浦が慌てて呼び止めるが、岩崎は群衆を押しのけ、火の方へ進んでいく。



火の粉が風に舞い、頬に熱が当たる。

段ボール箱の側にしゃがみこみ、耳を近づけると中から小さな声が聞こえた。


「……っ、うう……」


岩崎はためらわず、手で段ボールの端を破り、勢いよくふたを開けた。

中には、すすけた服を着た小さな女の子が、身体を丸めて泣いていた。


「大丈夫か…!?」

岩崎は腕を伸ばして、女の子を抱き上げた。

小さな体は熱と涙でぐっしょりと濡れている。



そのとき、群衆の後ろから叫び声が上がった。

「小春ーっ!!どこ行っちゃったの!?」


岩崎の腕の中で、女の子がびくっと反応した。

「おかあさん…」


「小春!?…あんた!」

母親が駆け寄ってくると、岩崎を一目見て険しい顔をした。

「私の子に何してるのよ!」


「すみません、すぐ降ろします。…お怪我はないですか?」


岩崎がしゃがみこみ、女の子を地面に降ろそうとしたその瞬間、女の子が岩崎の顔に手を伸ばした。

すすにまみれた小さな指が、岩崎の頬をそっとなでた。


「おじさん、大丈夫だよ。助けてくれて、ありがとう」


灰がひとすじ、風に舞った。

裕介を抱き上げた感覚が、不意によみがえる。

女の子と目が合った瞬間、心臓がどきんと高鳴った。




気づくと、岩崎は診療所の裏手、川のほとりに立っていた。


「あ、あれ…ここは」


見慣れた景色。

風に揺れるすすき、ゆるやかに流れる川、遠くで聞こえる鳥の声。

まるで、いつも通りの朝のようだった。


今までのことは全部、夢だったのだろうか。

そう思いながら立ち尽くしていると、背後から足音が近づいてきた。


「…」

振り向くと、村の方から2人の姿が見えた。

裕介と、その父親だった。

2人は言葉を交わさず、ただ静かにこちらへ歩いてくる。


「裕介君…!」

岩崎は思わず声を上げた。

だが、彼らはまるで岩崎の声が聞こえないかのように、まっすぐ前を見て通り過ぎた。


「…そうか。やっぱり、聞こえないか」

それでも岩崎は、微笑んだ。

「でも、生きてたんだな…よかった」


2人は川の近くで立ち止まり、石が積まれた場所の前にしゃがみこんだ。

裕介は、手に持っていた小さな花束をそっと置いた。


その瞬間、風が一筋、花の間を抜けた。

「岩崎おじさん」


聞こえた。

確かに、今、岩崎の耳に届いた。


「僕は生きてるよ。助けてくれて、ありがとう」


裕介は下を向き、静かに続けた。


「でも…。でも僕は、岩崎おじさんのこと、助けてあげられなかった。僕がまだ子どもだから…」


岩崎の胸に、熱いものが込み上げた。


「…裕介」


顔を上げると、裕介の父親がこちらを見ていた。


「確かにお前はまだ子どもだが、中身はお父さんよりも立派に育っていたんだな」


川の音が静かに響く。


「俺は、俺たちは、裕介を見守っていてくれた岩崎さんの中身を何も知ろうとせずに、感謝を伝えられないまま亡くしてしまった」



あの日。

岸辺に最も近かった裕介を助けるため、みんなが一斉に手を伸ばした。

指先が届いた瞬間、村人たちの力で裕介は無事に引き上げられた。


その裏で、岩崎の姿は濁流に呑みこまれ、あっという間に視界から消えた。

岸にいた大人たちは、ただその流れを見つめるしかなかった。


子どもを優先するのは当然の判断だったのかもしれない。

そもそも、あの状況で2人を同時に助けることは不可能だったのかもしれない。


あるいは。


自分の命を懸けてまで、岩崎を。


その一瞬の迷い。


理由がどうであれ、あの瞬間の選択はもう取り返せない。

そして今、同じ場面に立たされたとしても、あの日とまったく同じ行動をとる人間はきっといない。



「ううん」

裕介が首を振った。

「僕が早く川から出てれば、おじさんを助けられたんだ」


「…」


「だから、僕が代わりになる!おじさんが生きたかった今日を、僕がちゃんと生きなきゃ」


その言葉に、岩崎はそっと目を閉じた。

頬をなでる風が、どこか優しかった。


「…そうか。ありがとう、裕介。お前は本当に…」


風にのって、花の香りがふわりと漂った。




自分は、村の人たちから孤立していた。

裕介君が、それを変えてくれた。

あの小さな手が、何の疑いもなく自分を信じてくれた。


寂しかった。

人から愛されている裕介だけ助けられて、人望のない自分は見捨てられた。

それでも、仕方のないことだと自分に言い聞かせてきた。

でも、本当は違った。


生きたかった。

死にたくなかった。

助けてほしかった。

誰かに、自分の名前を呼んでほしかった。


川の音が、遠くで静かに響く。

目の前の世界がゆっくりと滲んでいく中で、岩崎は微かに笑った。


「僕、ちゃんと、生きたかったのか。……良かった」




「…だいじょうぶ?」

女の子が小さな手で岩崎の頬をなで、涙をぬぐった。


「…え」

指先の温もりが、火の熱よりも確かに胸に残った。


「小春、良かった、どうしてここにいるの、早くこっちに」

母親が駆け寄り、少女を抱きしめる。


「おかあさん、この人のこと悪く言わないで」


「すみません、連れの者です。そこでボヤがありまして、この子が空き地の中にいたので避難させていたところです」


「ああ、そうだったんですね。…すみません、ありがとうございます」


「いえ」



ぽつ、ぽつ、と雨が落ち始めた。

焦げた草の匂いに混ざって、土の湿った香りが漂う。

「ちょっと、危ないですよ。すぐに消火されるんですから無理しなくても」


「でも、あの子と、猫が衰弱していました」

女の子は、自分よりもさらに小さな猫を抱えていた。


「猫を火から助けるために空き地に入ったら火に囲まれてしまったみたいで、息も苦しそうでした。僕も大丈夫ですし心配しないでください」


三浦が下を見ると、岩崎のズボンの裾が焦げ、覗いた肌が赤く焼けていた。

それでも岩崎の表情は、どこか穏やかだった。


「…あなたは、俺なんかよりずっと勇敢で正しい人です。ですが、自分を犠牲にしすぎですよ」

三浦は静かに続けた。

「あなたにはもう、あなたを大切にしてくれる人がいるんですから」


「大切にしてくれる人…」


「翔太君もそうですし、俺も、颯太君も。もうあなたはひとりじゃないんですから」

三浦は岩崎の肩を軽く叩いた。


雨のしずくが頬を伝い、涙と混ざる。

「…ありがとうございます」


初めて、自分らしく生きようと思えた。




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