5.
「おはよう、颯太君。よく眠れた?」
「おはようございます。全く眠くも疲れてもなかったので寝てないです!」
「はは、やっぱオールしたくなっちゃうよね。俺もよくやってたな」
「今はやってないんですか?」
「オールも楽しいけど、寝具使い比べも楽しいよ」
山崎さんから貰った紙に書かれた住所を手に、颯太たちは歩き出した。
歩けば歩くほど、中心街のざわめきは遠くなり、道は木々に囲まれ、自然あふれる場所へと変わっていった。
やがて、小さくこじんまりとした木造の小屋が見えてきた。
朝の光が窓ガラスを淡く照らしている。
「すみません」
三浦が先に扉を開けて声をかける。
すると、中から男性がゆっくりと歩いてくる。
「…はい」
細い目、彫りの深い顔立ちに、最初は少し身構えてしまう。
体は細身だが腕にはしっかりとした筋肉があり、長身の威圧感が漂っていた。
しかし、男性のエプロンにはカラフルな絵の具がついており、ここが絵画教室であることを示していた。
「あの、山崎さんというおじいさんが、ここに飾られていた桜の木についてお話してくれたんですが、分かりますかね」
「はい」
「あの絵って、どなたが描かれたものなのかとか、教えていただくことってできませんか。どうやら、この子の知り合いの子が描いたものらしくて」
「その子なら、1回しかここに来てないので詳しくは分かりません。名前も知りません」
「…そうですか。分かりました、ありがとうございます」
「…え?」
「…?」
「もう帰るんですか?」
「あ、はい、そうですけど…」
「教室、受けてください」
「…ええ?」
「情報をお伝えしたので。今日は誰もいませんし」
「あ、ええと」
「三浦さん、せっかくだからやってみましょうよ」
「ま、まあ、颯太君が良いなら全然いいよ、じゃあお願いします」
扉を押して中に入ると、木の床がかすかにきしみ、静かな空気が広がっていた。
壁際には完成済みの絵が額に入れられて立てかけられ、机の上には水彩絵の具や筆、スケッチブックが整然と並んでいる。
棚の隅には使いかけの絵の具や筆洗いの瓶が置かれ、ほんの少し絵の具の匂いが漂った。
ふと横を見ると、水道で筆の手入れをしている男性がいた。
先ほどの人とは真反対の印象で、くりっとした目に長いまつげ、ふわふわにセットされた髪。
見るからにかわいらしさがあふれていた。
足音を聞き、こちらを向くと、子犬のようにぱあっと顔が明るくなった。
「初めまして!!体験教室をされる方ですか!?」
「ああ、はい。三浦と言います」
「桜井颯太と言います!お願いします!」
「高田翔太です!おいくつですか?僕はこう見えて20歳、大学生です!」
「あ、14歳です、中3です」
「うわあ!久しぶりに年下に会った…!どうぞどうぞ!」
言われるがままに体験教室が始まった。
どうやら、絵を教えてくれるのは先ほどの男性ではなく翔太の方だったようだ。
「あの、あちらの長身の男性は…」
「ん、岩崎さん?あの人はこのアトリエのオーナー的な人だよ」
「岩崎絵画教室、ですもんね」
「めっちゃ絵がうまかったからアトリエ開いたほうがいいよって僕がおすすめしてあげたんだ。絵画教室も最初は岩崎さんがやってたんだけど、あの通り人相悪いから評判悪くて、僕美術系の大学行ってたから、今僕が講師をしてるんだ」
「なるほど…!だからこんなに教えるのがうまいんだ」
「ええ!…ありがとう!」
しばらくすると、岩崎も部屋の隅に置いてあるキャンバスを取り、黙々と絵を描き始めた。
颯太と三浦がちらりと見ると、高田の言う通り、鮮やかで力強く、しかしどこか静かな雰囲気を持った絵が、次々と生まれていった。
「わあ、すごいですね」
「…ありがとうございます」
部屋を見回すと、木々や川の流れ、野原の風景など、自然をモチーフにした作品が多く並んでいる。
岩崎のパレットはほとんど緑に染まり、筆に宿る力強さが伝わってくる。
「あの、えっと」
「岩崎と申します」
「岩崎さんは、自然が好きなんですか?飾ってある絵のほとんどがそういう絵なので」
「おそらく、田舎に住んでいたんだと思います」
「思います…」
「僕、『記憶の象徴』を見つけていないので、生前の記憶がありません」
「え!?そうなんですか」
「もったいないですよねえ。ちなみに僕はもう思い出してますよ!」
翔太の純粋な声と明るい笑顔が、教室の空気をさらに和ませた。
「完成した!」
颯太と三浦はそれぞれ簡単な水彩画を描き終えた。
「ええ!とっても素敵な絵です!じゃあ、ちょっと休憩しましょうか。外でゆっくり散歩でもしましょう」
裏口から外に出ると、木々の間から光が差し込み、木製のベンチやテーブルにまだら模様を描いていた。
「わあ…」
「このテーブルとかベンチとか、全部岩崎さんが作ったんだよ!」
「ええ!?すごい…、なんでもできる方なんですね」
颯太が素直に岩崎の方を見ると、無表情ながらも嬉しそうなオーラが顔の周りにふんわり漂っているように見えた。
翔太はブランコに座り、足を軽くぱたぱたさせながらぽつりと口を開いた。
「実はね。僕、足が不自由だったんだ」
「そう、だったんだ」
「生まれつきじゃなくて、普通に病気で。高校までずっとバレーやってたんだけど、動かせなくなって」
「え!俺もバレー部でした!」
「ええ!マジで!?今度やろうよバレー!」
「やりましょう!…あ、それで何でしたっけ」
「ああ、それでね、バレー一筋だったからこれから何すればいいんだろうって悩んでた時に、とある絵を見たんだ」
翔太はブランコを軽くこぎながら話す。
「たまたま新聞に載ってて、それに衝撃受けて絵を描き始めて、美大受けたらまさかの1発合格!こっから僕の人生はまた始まるんだって思ってた」
翔太は勢いよくブランコから降りた。
「そしたら、いつのまにか死んじゃった。足は戻ってきたけど、それじゃ満足できなくて。…僕も、あの人みたいに、誰かの生きがいになってみたかったな」
初めて見せる曇った表情に、明るい笑顔の裏で複雑な感情を抱える翔太の姿が浮かぶ。
その背後で岩崎がそっと近づき、低く穏やかな声で言った。
「僕は、翔太さんに出会えてよかったですよ」
「…え、な、なんですか突然~」
「…生徒さん。この道を進むと、川が流れています。気分転換に行きませんか」
岩崎が指差した先には、木々に囲まれた小道が静かに続いていた。
さくさくと土を踏む音が4人分、周囲に静かなリズムを刻む。
時折、どこからか鳥のさえずりが聞こえ、木々の間を抜ける風が葉を揺らす。
「この世界って、人間しかいないわけじゃないんですか?」
颯太がきょろきょろと周囲を見渡す。
「人間以外の生物も、俺たちと同じく、現世で命を落とすとこの世界に来ていると言われているよ。実際のところ、俺たちとしゃべれないから分からないけどね」
「この世界には弱肉強食がないんだ。だから、生き物の種類ごとに住む領域がはっきりしているんだって。人間の住む場所に動物はあまり来ないんだけど、僕と岩崎さんは自然が大好きだから、こうやってほかの生き物が住んでいる地域にお邪魔してるんだ」
「まあ、人によるよな。俺は虫が大の苦手だったから、助かってるけど」
「…たしかに、そういう人もいますよねえ」
やがて木々の間を抜けると、開けた場所に出た。
澄んだ水がゆるやかに流れる川が現れ、陽射しに反射してキラキラと輝く。
秘密の場所に迷い込んだような気分が颯太を包んだ。
「きれいな川だなあ…」
「颯太君も遊ぼうよ!えい!」
翔太は迷わず靴を脱ぎ、川へ飛び込むと、颯太めがけて水をはじき飛ばした。
「つめたっ!俺もやりたーい!」
颯太も慌てて靴を脱ぎ、水に足を入れる。
「はは、気を付けてよ。…いいなあ、子どもは楽しそうで」
「…楽しそうな顔を見ると、命を落とした事実が悔やまれます」
岩崎は川のほとりに立ち、やさしい目で2人を見守る。
「岩崎さんって、意外と優しい人ですよね」
「…どういう意味です?」
「そのままの意味ですよ。よし、岩崎さんも入りましょう!川!」
「え、あ、ちょ」
三浦は岩崎の腕をしっかりとつかみ、水遊びをしている子供たちの方へ向かった。
「まあいいじゃないですか、おっと」
「ちょっと、危ないですよ」
でこぼこした岩の上に足を乗せた三浦のバランスが崩れ、岩崎は咄嗟に腕を掴む。
水に足を入れると、ひんやりとした感覚が下半身に伝わった。
その瞬間、岩崎の頭の中に、記憶の断片のような光景がふわりと浮かぶ。
心臓がどきんと高鳴った。




