3.
「実は、長男の名前だけ、思い出せない。これだけは、忘れてはいけなかったのになあ」
「俺に、協力させてください!息子さんのお名前、一緒に探しましょう」
「…ありがとう、颯太君」
教会を後にした3人は道を歩きながら手がかりを探していた。
「息子さんのお名前の由来や、どなたが名付けたなど、何か記憶はあります?」
「どうだったかな…。とりあえず、わしが覚えていることと言ったら…」
山崎重雄。
2人の子宝に恵まれた家族は、決して裕福ではなかったが、温かな日々を送っていた。
『父さん!俺、大学受かった!』
「ああ…!よかったな…」
電話越しに弾む声を聞き、山崎は涙がにじむのをこらえきれなかった。
「山崎さん、息子さんからのお電話ですか?」
「ああ、受験受かったって」
「ええ!?おめでとうございます!だったら今日は早上がりしてくださいよお!」
「ははは、ありがとう」
小さな工場のエンジニアとして地道に働いていたが、家族も職場も温かく、毎日が幸せだった。
「はあ、次は次男の受験が待ってるのか…。あいにく塾に行かないといけない頭だから、俺もまだまだ大変だ」
「ははは、ぜいたくな悩みですね~」
1年半後。
いつも通りの仕事中、胸ポケットの携帯が鳴りやまなかった。
「なんだよ…ちょっと外していいか」
「大丈夫ですよ!」
駆け足で工場の外に出ると、妻からの着信履歴がびっしり並んでいた。
何か事故でも起きたのか、嫌な予感が頭をよぎり、すぐに電話を掛けた。
「もしもし」
「あなた、ああ、仕事中にごめんなさい」
「なんだ?何かあったか」
「今すぐ家に帰ってこれないかしら、実は…」
妻から話を聞いた後、すぐに工場長に頼み込み、仕事場を後にした。
玄関の扉を勢いよく開けると、見慣れない靴が3足置いてあった。
急いで靴を脱ぎ、そのままリビングの戸を開けた。
「あなた…」
リビングを覗くと、正座する妻と長男の前に、スーツ姿の男性とワンピースの女性、その間には長男と同い年くらいに見える女の子が座っていた。
「お前…」
全員の顔を見た後、息子への怒りが最初に湧いてきた。
息子の胸ぐらをぐっとつかみ、こぶしに力を入れた。
「お前何やってんだ」
「山崎さん、気持ちは分かりますが、今は冷静にお話を」
スーツを着た男性にぴしゃりと指摘され、我に返ると、息子の襟から手を放し、ゆっくりとその場に座った。
「山崎さん。その様子ですと奥様からお話は聞いているとは思いますが、お宅の息子さんがうちの娘を妊娠させました」
「…誠に申し訳ありません」
「今朝産婦人科に行ったところ、中絶は娘の体も大きな負担となり、危険だという判断を下されました。この子としては、産みたいと申しております」
「私は会社を継がせるつもりでした。こんな若いうちに、しかも学生の身で…どう責任を取るおつもりですか」
山崎は立ち上がると、その場に深く頭を下げた。
「申し訳ございません…。娘さんの人生を、お身体を傷つけてしまい、本当に申し訳ありません」
すると、相手の娘が口を開いた。
「私、出産も大学もパパの会社も、全部頑張りたい。おなかの子は、2人で責任もって育てるじゃダメなの…」
「ダメだ。現実を甘く見るな。父さんや母さんが手伝っても、大学に行きながら、仕事しながら育児をするのは本当に大変なんだぞ」
「じゃあ、私が大学辞めるから…」
「せっかく入った大学を辞めるなんて駄目だ」
山崎は顔を上げ、息子の頭を掴んで押さえつけた。
「こいつに、息子に大学を辞めさせて子供の面倒を見させます。責任はうちが…」
「もちろんそうしてもらいたいのですが、1つお願いがあります」
「な、なんでしょう?」
「娘と結婚しておなかの子の父親になるならば、婿入りして、こちらの姓を名乗っていただきたい」
「婿入り…?それは、なぜ?」
「あなた、海岸の工場のエンジニアをなさっているんですよね?あそこはうちの会社の傘下だ。子会社の関係者と結婚なんて、評判に関わります。うちの家にそういった話を持ち込みたくない」
「そんなの、いっつもパパは家柄のことばっかり…」
娘が声を荒らげる。
「黙りなさい。どれだけ努力して会社を作り上げてきたか、お前はまだ知らないだろう。そういうところから会社の評価はつくんだ」
そして男は山崎を睨み据えた。
「あなたの工場がうちとの契約を切るか、息子さんにこちらの姓を名乗ってもらうか、どちらかにしてください」
「そんな、お金は払います、なにか、別の方法は…」
「ない。来週また伺いますので、その時にお返事を」
「人様の娘さんに、何をしているんだ!!!」
怒鳴り声が、狭いリビングの空気を裂いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
壁に掛かった写真立てが、わずかに震える。
「あなた、もうどうしようもないから…」
「どうしようもないって、お前こそ、こいつにどんな教育してたんだ!人の人生に関わることがどれだけ責任のあることか分かってんのか!?」
山崎は机を拳で叩いた。
乾いた音が部屋に響く。
「ごめんなさい…」
「あなた、落ち着いて、話し合いましょうよ」
「何をだよ!?こいつはもううちの息子なんかじゃない。とっとと出ていけ!!」
「…父、さん…」
「あなた!!いい加減にしてよ!」
「それはこっちのセリフだろうが!!」
山崎は堪えきれず、家を飛び出した。
「その後、息子を家から追い出して、エンジニアを定年退職した後、1人で花屋を始めたんだ」
「どうして花屋を?」
「昔から植物が大好きでな。小さい頃は研究者になりたかったんだが、あいにく頭が悪くてな、はは」
「そうしたら、お花屋さんに行ってみませんか?」
三浦の声が弾む。
「いいですね!行きたいです!山崎さんのお話ももっと聞きたいですし!」
「ちょうどよくお邪魔しているところがある、そこへ行こうか」
3人は、通りの角にある花屋へと向かった。
扉を開けると、ふわりと花と土の匂いが鼻をくすぐった。
「山崎さん!こんにちは~、あら、今日はお知り合いの方と?」
カウンターの奥から店主の女性が明るく声をかける。
「ちょっとな、暇つぶしに『想いの象徴』探しをしておる」
「まあ、それは素敵ですね、良かったらうちの子たちを見ていってくださいね~」
店主は柔らかく微笑みながら、水差しを手に花々の間へと戻っていった。
「山崎さんは、どんなお花が好きなんですか?」
颯太は色とりどりの花を見回しながら尋ねる。
「あまり派手ではない花が好みかな」
「奥様にお花をプレゼントとかは?」
三浦はにやりと微笑んだ。
「ああ、プレゼントか…。プロポーズの時が、最初で最後かな」
「ええ!ロマンチックですねー!」
「まあ、わしみたいなもんには花しか浮かばないんだよ…。そういえば」
「あ、どうしました?」
「結婚する前、よくカフェに行っていたな…。プロポーズも行きつけのカフェでやった」
「それ、素敵ですね!じゃあ、次の行き先はカフェですね!」
山崎は目を細め、外の夕方の光に目をやった。
風に揺れる花弁が、まるで昔の記憶に手を振っているかのようだった。
小さなベルの音と共に、コーヒーの香ばしい匂いがふわっと広がった。
山崎と三浦はコーヒーを注文し、颯太はパンケーキを注文した。
「ブラックコーヒーをひたすら飲んで、妻の話にとことん付き合っていたな」
コーヒーの味と共に浮かんでくるのは、若い頃の笑顔ばかり。
「いつからだったかな、あいつと出かけなくなったのは…」
午後の柔らかい陽光がコーヒーカップの影をはっきりとテーブルに描いている。
しかし、かつての妻の顔はかすんだままだった。
「感謝を伝えるのを、ずっとためらってしまった。あいつと本気で向き合えていなかったのかもしれん」
子どもが生まれる前から、結婚する前から、素直になれなかった。
妻のことが大好きだったのに。
もっと息子と一緒にいたかったのに。
もし、あの時、あの時より前からずっと、素直になれていたら。
幸せだったのは、貰ってばっかりだったのは自分だけかもしれない。
自分の少しの勇気で、もしかしたら、もっと幸せな人生が待っていたかもしれないのに。
胸に重い後悔が募る。
でも、もう後悔しても遅い。
死人には、どうすることもできない。
「どうして、人は素直になれないんだろうな。あの時だって、わしは何も変わらないまま、ぼけっと生きていたことを痛感したよ」
「どうして、失ってはじめて気づいてしまうんでしょうね。難しいですよね」
「でも…」
颯太がパンケーキを飲み込み、少し考えるように言葉を続けた。
「人生は有限ですけど、転生し続ければ永遠に生きられるじゃないですか。少しずつ後悔のない人生に近づいていけば良いんじゃないんですかね」
「なかなか良いこと言うね。そっかあ…、そうだよね」
「ま、次生まれる頃には全部忘れちゃいますけどね、うはは」
そう言うと、颯太はまたパンケーキを口に含んだ。
颯太のおおらかな雰囲気に、少しだけカフェの空気が軽くなった。
「…そうだ、ひとつ思い出した」
山崎は目を細め、ゆっくりとうなずいた。
「お、何ですか!」
「妻は本を読むことが好きでな。小説の登場人物から名前を取ろうかと考えていた気がするな」
「え!本当ですか!」
「しかし、どんな本を読んでいたか、何も覚えとらん」
三浦がちらっと窓の外を見た。
「うーん、今日はとりあえず、ここまでにしておきましょうか?空が赤くなってきましたし」
雲と夕日が溶け合い、空はくすんだ色へと変わっていく。
その濁った色は、心の奥に潜む不安を呼び起こす。
けれど、やがてまた澄んだ空へと戻るだろう。
だから、焦ることはない。




