表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の終わりに桜は散る  作者: りん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/17

2.




「実は、食べたり飲んだり、寝たりしなくてもこの世界では生きられる。だから本当は何もしなくてもいいんだけど、生きてた頃の習慣が残ってるのか、おいしいものを食べたくなっちゃうんだよねえ」


三浦は笑みを浮かべたまま続けた。


「お腹は空かないし、満腹にもならない。でも、味はちゃんと感じられるし、おいしいって感情も残ってる。だから、この世界の人はご飯を食べる人が多い」


「不思議ですね」


「でももっと不思議なのは、ここで出てくる食材とか道具とか、全部『この世界の何か』が準備してくれてるってこと。天使とか神様とか、そういうファンタジーに近いものが多分存在するんだ」


颯太は黙って話を聞いていた。


「やりたくないことは誰もしなくていい、お金もいらない、何をしても怒られないし、ルールもない。それでもしトラブルが起きたら…『この世界の何か』が、すべてを解決してくれる」


三浦の言葉にはどこか恐怖が混じっていた。

理不尽も、失敗も、争いさえも消えてしまう世界。


「でも、都合のいい夢のような世界っていうのも、良いことばかりではないよ」




三浦に案内されて、颯太は町の一角にある小さな定食屋に足を踏み入れた。

白い暖簾をくぐると、香ばしい醤油の匂いが鼻をくすぐる。

木のテーブルが並んだ店内には、ゆったりした時間が流れていた。


「いらっしゃい、三浦さん。あら、今日は新しい方も一緒なのね」


店員の女性がにこっと笑いながら、手慣れた動きでメニューを差し出した。


「俺はいつものからあげで、颯太くんは、何か食べたいものある?」


颯太もメニューを受け取り、テーブルに腰を下ろした。

三浦と店員が交わす何気ない会話と、厨房から響くおいしそうな音だけが聞こえる。


メニューを見つめながら、颯太は何を食べようかと迷った。

その中で、ふと視線が止まる。


「…じゃあ、焼き鮭定食をください」


やがて料理が運ばれ、湯気の立つ味噌汁と、艶のある白米、そしてふっくら焼き上げられた鮭が並べられた。

目の前の光景は、どこかで見覚えのある、あたたかい風景だった。


「いただきます」


2人そろって手を合わせ、食事が始まった。

一口、焼き鮭を口に入れる。


香ばしい香り、やわらかな塩気。

口の中に広がる優しい味わいに、心がじんわりとほどけていく。


その瞬間、記憶の奥がかすかに揺れた。


「…っ」


箸が止まった。

喉が詰まり、呼吸が浅くなる。

気づけば、目尻から自然と涙がこぼれていた。


「…颯太君?」


『記憶の象徴』は、焼き鮭ではなかった。

しかし、必ず触れたことのある感情が、そこにはあった。


「温かさとか、優しさとか、幸せだなとか、そういう思い出全部忘れちゃったんですね、俺は。もう二度と、家族や友人と一緒にいることはできないのに」


そう呟いた颯太に、三浦は言葉をかけなかった。

代わりに、そっとその頭を撫でた。


あたたかな手のひらが、子どものように震える体に触れた。

「…」


それを見て、店員の女性がそっと近づいてくる。

「大丈夫…?」


気づかわしげに声をかける店員に、颯太は目元を指でぬぐい、小さく笑った。


「…大丈夫です。ご飯、おいしいです」


そう答える声はまだ少しかすれていた。



食後、ふたりはまた公園へ戻ってきた。

颯太が最初に目を覚ました、あの草原。

整った芝の上に腰を下ろすと、静かな風が頬を撫でた。


「いい場所だよね、ここ。落ち着く」

三浦が空を見上げながら言った。


颯太は頷く。

さっきまで泣いていたとは思えないほど、心は不思議と穏やかだった。


「ねえ、颯太君」


「はい」


「何か、したいことはある?この世界には、記憶を取り戻すために、様々なものがそろってる。何でもできるよ」


三浦の声はやさしかった。

急かすでもなく、ただ問いかけているだけのように。


颯太は少しだけ考えたが、まだ頭の中は整理がつかない。


「正直…まだ分からないです。まだ混乱してるっていうか」


「うん、それでいいよ。ここは時間だけはたっぷりあるから、焦る必要はまったくない」


三浦はそう言って笑った。

風がまた吹いて、草の匂いを運んでくる。


「そういえば」

颯太がぽつりと言った。


「三浦さんと会う直前、山崎さんが俺に何か話そうとしていたような…」


「…三浦さんが?」


「はい。でも、もうこの辺りにはいなさそうですね」

颯太はあたりを見回すが、颯太と三浦以外の人はいない。


「この時間だったら多分、教会にいるんじゃないかな」


「教会?」


「前の世界に残していった人たちへの願いや、神様に人生への感謝を祈る場所があるんだ。行ってみる?」



数分ほど歩くと、重厚な木の扉が見えてきた。

教会の入口には色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、柔らかな光がゆらゆらと揺れている。


中へ入ると、静寂が広がった。

木の香りとろうそくの温かな灯りが迎えてくれる。

高い天井はアーチを描き、壁には古い絵画や彫刻が並んでいた。


前方の祭壇からは、聖歌隊の澄んだ歌声が響いていた。

その声は優しく空間を満たし、心の奥に静かに染み渡っていく。


颯太と三浦は木製の椅子に腰を下ろし、しばし耳を傾けた。

ここでは時間がいっそうゆっくりと流れているように感じられる。

胸のざわめきが少しずつ静まっていくのを、颯太は確かに感じていた。


やがて聖歌が終わり、教会の空気はさらに静かになった。

ろうそくの火が小さく揺れている。



ふと前の席を見ると、山崎が静かに座っているのが見えた。


「山崎さん」

声をかけると、山崎は目を開き、優しく微笑んだ。


「ああ、三浦君と、さっきの坊やか」


「三浦さんにこの世界のことを聞いて、なぜ自分がここにいるのかようやく知りました」


「そうか…」


「山崎さんは毎日ここに来ているんですか?」


「ああ…。死んだと思ったら、こんな世界が待っているなんて思わなかっただろう?」

山崎は冗談めかして言った。


「正直、あの世はもっとふわふわしてて、神様とか幻とか、そんな場所だと思ってました」


「驚くほど現世に近くてな。空の色も、風も、音も匂いも、生きていた頃と変わらん。もしかすると…ここはあの世ではなく、もうひとつの世界なのかもしれん」


「もうひとつの世界…」

三浦がゆっくりと反復する。


山崎は微笑んで、手を組んだ。


「わしらが生きていた世界よりも、この世界の方が、神様に願いが届きやすそうと思わんか?あの世も神様も、大体天の上にいるイメージだからな」

山崎はそう言って、また目を閉じた。


今までの世界では味わえない、どこか澄んだ空気と静けさが、この世界にはあった。



「ところで、坊やはこれから『記憶の象徴』を探すのかい?」


「あ!そうでした。山崎さん、さっき俺に何かを言いかけていたなと思って…」


「ああ、それでわしに会いに来てくれたのかい?」


「はい!」


「ははは、そうだったのか…ありがとう。三浦君から『想いの象徴』の話は聞いたかね?」


「…想い、ですか?聞いてないです」


「まだ記憶の方の話しかしてなかったよね。実は、自分の記憶を紐解くカギはもう1つあるんだ」


三浦の表情が少し引き締まり、声もはっきりとした調子に変わる。


「『想いの象徴』というものは、記憶を思い出した後、自分の未練や、他者との関係性などの人生についての未練を解くものなんだ。見つけられなくても転生はできるけど、あんまりそういう人はいない」


そう言って三浦は、隣の山崎に視線を向けた。

「というか山崎さん、未練あったんですね、初耳です」


「まあな…」


山崎は少し目を細めて笑った。

「この坊やの顔を見たら、息子のことを思い出してな。中学生くらいの子と話をするのは久々だったから」


颯太は胸の奥が熱くなるのを感じながら、思わず言葉を口にした。

「俺、山崎さんの未練を解消するお手伝いがしたいです」


颯太が言うと、山崎はにっこりとほほ笑んだ。

「ありがとう。わしの未練は、長男のことだ。あいつが今どんな顔で、どんな暮らしをしているのか少しでいいから知りたい。そして…」



「名前を、もう1回呼んでやりたかった」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ