表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の終わりに桜は散る  作者: りん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/17

16.




夏休みの午後。

夢の家のリビングには、カーテン越しに強い日差しが差し込んでいた。


「颯太、この宿題やった?」


「見なくてもわかる。何にも手付けてないから絶対やってない」


「…なんだそれ。颯太、私の名前さ」


床に寝転がったまま、夢が言った。


「んー?」

颯太は腹ばいになって、夢の顔を覗き込む。


「なんで夢って名前なのか、知ってる?」


「えー、なんだろ。生まれて初めてしゃべった言葉?」


「そんなわけないでしょうが」


夢はむっとした顔をして、えんぴつを机でころころと転がした。


「ママがね、この子にはいっぱい夢を見てほしいから付けたって言ってたの」


「へー」


「夢を見てる間は、どんなにつらくても、ちゃんと生きてる証拠だからって」


「生きてる証拠…」


夢はそう言って、画用紙いっぱいに大きな花を描いた。

はみ出した線も、色の混ざりも、全部そのまま。


「だからさ」

少しだけ照れくさそうに、でも誇らしげに笑う。

「私、自分の名前、けっこう好きなんだ」


颯太は一瞬考えてから、真剣な顔で言った。


「じゃあさ、夢が無くなったら夢はどうすんの?」


「え?」


「大人になって、夢とか見なくなったら」


夢はきょとんとして、それから笑った。


「その時はさ、誰かの夢になればいいじゃん」


「…なにそれ」


「颯太の夢とか?」


颯太の耳が一気に熱くなる。


「は、はあ!?」


夢は楽しそうに笑った。


「冗談だよ。でも、名前ってそういうのだと思う」


「どういうの?」


「私がそこにいなくても、誰かが覚えてくれれば私は生き続けられるんだよ」


窓の外では、蝉が鳴いていた。




颯太と夢は、ゆっくりと部屋を出た。

扉が閉まる音が、やけに遠くに響く。


教会の入り口では、三浦が石段に腰を下ろしていた。

ステンドグラス越しの光が、床に淡く色を落としている。


「三浦さん」


声をかけると、三浦は顔を上げ、少し驚いたように目を瞬かせた。


「話、終わったみたいだね」


「はい」

夢が一歩前に出る。

「…ありがとうございます。私たちのわだかまり、ちゃんと解けました」


颯太も深く頭を下げた。

「本当に。三浦さんがいてくれなかったら、ここまで来られなかった」


三浦は小さく笑った。


「それならよかった」


一瞬の沈黙。

夢は意を決したように口を開く。


「…今度は、三浦さんの未練を解決しませんか?私、まだ三浦さんに何もしてあげられていない」


三浦の表情が、ほんの一瞬だけ固まった。


「いや」

きっぱりとした声だった。


「俺はいいんだ」


「でも」


「三浦さん、俺も…」


「大丈夫」


三浦は視線を外し、教会の扉を見上げる。


「誰かの未練を解決する役目こそが、俺の生きがいだから。十分もらったよ」


颯太は何も言えなかった。

「…そっか」


夢が静かにうなずく。


「三浦さんがそう望むのなら、分かりました。本当にありがとうございました」


「こちらこそ」


三浦は、ほんの少しだけ手を振った。



次の日。

夢遷記録局の窓口に立つと、そこには見慣れた後ろ姿があった。


「三浦さん!おはようございます」


振り返った三浦は、いつもの調子で笑う。


「待ってたよ」


窓口の奥から、淡々とした声が響く。


「相沢夢さん、桜井颯太さん。お2人とも転生可能です」


三浦が事務的な書類を差し出しながら説明する。


「転生後、記憶は持ち越せません。同じ人生をやり直すこともできません。別の人生として、新たに始まります」


夢と颯太は顔を見合わせ、うなずいた。


「…覚悟は、できてます」


「うん」


手続きは驚くほどあっさりと終わった。




そのあと2人は、颯太が最初に目覚めた公園へ向かった。


同じベンチ。

同じ木々。

でも、どこか違って見える世界。


並んで腰を下ろす。


「懐かしい。山崎さんと三浦さんとここで出会ったんだ」

颯太が笑う。


「良いところだね。眠たくなっちゃう」


「ふふ」


風が葉を揺らす音だけが流れる。


「そうだ。夢はどうして翔太さんのところ、岩崎絵画教室に行ったの?」


「パン屋のお客さんがチラシを見せてくれたの。その時、なんかぼんやり絵を描きたいなと思って、1人で行ったの」


「へえ、偶然だったんだ」


「そうだね」



「ねえ」

夢が言う。


「颯太ってどこに進学する予定だったの?」


「白鷺高校」


「え!そうなんだ。なんで?」


「家からも近いし、バレーもちゃんとやってるとこだし、偏差値もよさそうだったからね」


「へえ…」

夢は曖昧に頷き、指先で自分の袖をいじった。


「夢は?」


「私は、どこだったっけな…」


「大道寺?」


「ああ、そうそう」


「まあそうだよな。絵のとこだもんな」


進路のこと、部活のこと、どうでもいい話。

生きていた頃なら、帰り道に何気なく交わしていたはずの会話。

2人がまだ生きていた時の、幼馴染の関係に戻ったような、そんな時間だった。



夕暮れが近づき、空が少しずつ白く溶けていく。


「…三浦さんから聞いたんだけどさ」


颯太は、言葉を選ぶように1拍置いた。


「自ら亡くなることを選んだ人は、記憶を取り戻した後、また、自ら命を絶ってしまうことがあるって」


夢は驚いた様子も見せず、静かに頷いた。

「うん」


「ごめん、こんなこと言って」


「ううん。私の場合は、今この瞬間の私が思い出して感じたことは、自分があまりにも間抜けだったなってだけ」


「そうなんだ」


「ただの妬みにしょぼくれて、しょうもない感情を絵を描くときにまで引きずって、1回の結果だけ気にして、何してたんだろって今では思うよ。この世界にも、生きていた時も、味方はたくさんいるんだからって気づいて」


颯太は、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。


「そうだね。ありがとう、言ってくれて」


「私は、颯太と出会ったこと、1度も後悔したことなかった。きっとこれからもそう」


「…転生したら、本当に、今までの記憶全部」


「それは考えない約束でしょ」


彼女は真っ直ぐ前を見ていた。


「私も颯太も、前に進むの」


「うん」


名前のない色に包まれながら、2人はしばらく、何も言わずにそこに座っていた。




数日後。

転生の日。


夢遷記録局の最奥。

普段は立ち入ることのない廊下の先に、静かな部屋があった。


天井は高く、壁は淡い石色。

窓はないが、不思議と閉塞感はない。

どこからともなく柔らかな光が満ちている。


部屋の正面には、1枚の扉が立っていた。


古い教会で見たことのあるような木製の扉。

取っ手はなく、触れれば自然に開くのだと、直感で分かる。


「ここが」


夢が小さく呟く。


「転生の扉だよ」

三浦が答えた。


いつもより少しだけ声が低く感じた。


颯太は扉から目を離せずにいた。

思ったよりも、現実的だった。

怖くなるほど派手な光も、終わりを告げる鐘もない。


「意外と、普通ですね」


「そうだね」

三浦は苦笑する。


「こういうのはシンプルなのが1番なんだよ」



夢が1歩、颯太の方へ近づいた。


「…ね」


言葉は要らなかった。


ほんの一瞬、抱きしめる。

長くはできない。

離れがたいけれど、それでも。


「ありがとう」

夢が言う。


颯太が返す。

「俺も」


夢は小さく笑って、三浦の方を見る。


「三浦さん」


「なに?」


「…私を見つけてくれて、ありがとうございました」


三浦は少しだけ目を伏せてから、うなずいた。


「来世でもお幸せに」


夢は扉の前に立つ。


扉に手を触れると、静かに、抵抗なく開いた。


向こう側は、白い霧のような空間だった。

足元が見えないほど深くはない。

ただ、確かに先がある。


夢は振り返る。


「颯太」


名前を呼ぶ声は、もう震えていなかった。

颯太は何も言わず、うなずく。


夢が1歩、扉の中へ踏み出す。


輪郭が、少しずつ淡くなる。

消えるのではなく、この世界からそっと手を放していくように。


最後に見えたのは、安堵したような、穏やかな笑顔だった。

扉は静かに閉じた。



室内には、しばらく沈黙が残る。


三浦が息を吐く。


「…次は、君だ」


颯太はうなずき、扉の前に立った。


「三浦さん」


「ん?」


「三浦さん、最初に言ってました。『都合のいい夢のような世界っていうのも、良いことばかりではない』って。ここにはいつでも来れるから、どうせなら次会うときは来世で会いましょう?」


三浦は一瞬だけ目を見開き、すぐにいつもの顔に戻る。


「そうだね」



颯太は扉に触れる。

冷たくも、温かくもない感触。


「行ってきます」


扉の向こうへ足を踏み出した瞬間、音が遠ざかり、色が薄れ、桜井颯太という名前だけが、ゆっくりとほどけていく。



こうなることは運命で決まっていた。

生まれた時点で決まっている。



三浦は、閉じた扉を見つめたまま動かなかった。


しばらくして、小さく呟く。


「…またどこかで」


扉の向こうで、

2人はそれぞれ、新しい人生へと歩き出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ