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夢の終わりに桜は散る  作者: りん


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10/17

10.




湊は中にある校内マップを確認し、美術学科のエリアへと足を踏み入れた。

一部屋ずつ、扉の隙間から中を覗きながら、翔太を探す。

どうして俺たちに会わずに転校してしまったのか。

どうして美術学科に入ることになったのか。

俺は何も知らない。

知りたかった、会いたかった。


早歩きで校内をまわっていると、ガタガタとドアが揺れる音がした。

音のする方へ行くと、窓が全開の教室を見つける。

4階の教室で、風が通り抜け、揺れるドアが床に小さな振動を伝えていた。

古い蛍光灯がちらつき、床や棚にはキャンバスやスケッチ用紙が無造作に積まれている。

まさに美術室の光景だ。



湊は教室の奥に目を向ける。

机に突っ伏している人物がいた。

静かに近づき、そっと顔を覗き込もうとする。

しかし床に置かれた空のバケツを蹴ってしまい、金属がカランと音を立てた。


「うわっ!!」


「あ!ごめんなさい!」


男はきょろきょろと辺りを見回し、髪と頬にうたた寝の跡を残したまま必死に状況を理解しようとしている。


その焦った表情は、中学時代から見慣れた相棒の顔だった。


「…翔太?」


「…え?あの、すみません、どなたですか」

教室が暗く、湊の顔は見えていないらしい。

湊はスイッチに手を伸ばし、蛍光灯をつける。


「久しぶり、翔太。覚えてる?俺だよ。湊」


「…湊?」

翔太の顔がみるみる青ざめる。


「急にごめん。たまたま大学の人からお前がいるって聞いて、探してて」


「はあ…?ごめん、帰ってくれ」


「どうしてだよ?なあ、お前に聞きたいこといっぱいあるんだよ。話をしてくれないか」

湊はゆっくりと近づく。


「来るな」


「なんで?なんでそんなに俺を嫌がるんだよ」


「…来るな!」

翔太は座ったまま、必死に腕を振って湊を遠ざける。


湊は翔太の両腕を掴み、机越しに見下ろす。

その瞬間、机に隠れて見えなかったものが目に入った。



「…え、は?なんで、お前、車いす」


「み、見るな!!!」

翔太は倍の力で腕を振り、湊を押し返す。


勢い余って湊は棚にぶつかり、積まれたキャンバスや紙束がずるずると床に崩れ落ちる。

蛍光灯が一瞬チラつき、古い木材に触れた紙が火花を散らす。


「…今の音、何だ?」


机の隅で紙の端に淡い光が宿る。

翔太の足元には古い木材がいくつか置いてあり、炎はそれにちょうど触れてしまった。

やがて焦げ臭い匂いが鼻を突く。


「うわっ!」

翔太は必死に火を消そうとするが、炎は床を伝ってどんどん広がっていく。

黒い煙が低く垂れ込め、視界が一気に曇る。


窓の外の街灯の明かりも、煙に遮られ赤黒くぼやける。

4階にいる彼らには飛び降りる選択肢はない。


「翔太!!」

湊は助けようと手を伸ばすが、力が足りない。


「湊、危ないって」


「お前だって動けないだろ!」


「いや、そんなこと言っても…!」


翔太をどうにか運ぼうと苦戦しているうちに火に囲まれてしまった。

2人は壁際に追い詰められ、目を細めながらせき込み続ける。

焦った湊は勢いよく息を吸ってしまい、呼吸ができない。


「僕は、また、逃げるのか」


廊下の火災報知器が鳴り始めた。

段々翔太も呼吸が苦しくなっていく。

視界が暗転していく。




「翔太…翔太?」

湊が軽く肩を揺さぶる。


「…は、あ、あれ」


「大丈夫か?ぼーっと立って」


湊が覗き込むと、翔太は軽く瞬きをして現実に戻ってきたようだった。

胸の前で握っていた拳が、ゆっくりとほどける。


「あ、ああ…」


まだ意識が少し遠くにあるような声が出た。


「…」


「湊」


「ん?なに」


「ありがとう」


「え、何が?」


湊は素で驚いたように目を瞬かせる。

翔太は一瞬だけ目を逸らし、肩をすくめた。


「ううん、秘密かな」


「なんだそりゃ。なんか食いに行くか?」


「そうだね」



翔太は湊の横顔を見た。

あの時と同じ、まっすぐで、どこまでも優しい笑顔だった。




僕のせいで、湊は死んだ。


記憶が戻ったと言えば、湊はきっと僕に謝るだろう。


「俺が、翔太に会いに行かなければ」


だけど、それは違う。

僕も同じように、湊を道連れにしたことを悔やみ続けていく。


だから、もう少しだけ、今日のことは胸の中に留めておきたい。

あんなことがあっても、僕と一緒にいる君がとても幸せそうだから。



翔太は湊の肩に腕を回し、ゆっくりと歩き出した。

駅のホームから聞こえるアナウンスの声が夕焼けに溶けていく。


いつものように翔太は湊に肩を組み、ゆらゆらと駅を後にした。





颯太は胸の奥でざわめく何かを抱えながら、港町をいくつも巡っていた。

波止場の匂い、潮風に揺れる漁船の帆、石畳の細い路地。

それらは確かに美しかったが、心を大きく揺らすものではなかった。

「…違う。ここじゃない」

そう呟いては、また次の町へと足を運ぶ。



「ううん…この辺りは線路自体が海に近いので…。何か他の特徴はありますかね」


「うーん…海以外は特にないんだよね?」


「はい、今ちょっと昔の記憶を思い出そうとしてます」


駅員や観光案内所の職員に尋ねるも、海と桜が見える場所は広範囲にわたり、町の特定は容易ではない。


「なんだろうな…夢ちゃんは昔、どんな所に住みたいって言ってたかとか」


「住みたい…」




夕暮れの縁側、夢がお絵描き帳に落書きをしている。

「いつか住むんだったら」


頬杖をついて色鉛筆を動かしながら言った。

「海が見えて、坂道があって。夏になったら花火が見えるところがいいな!」


笑いながらそう話す彼女の顔。


「それ、この前テレビで見た映画のとこに似てるね」


「たしかに。でも、毎日お祭り行って、毎日おうちで花火やって、超楽しいじゃん!颯太も一緒にやるよね?」


颯太は自然と笑みを浮かべて答えた。

「もちろん、俺も花火やりたい!」


「ていうかさ、今日おばあちゃん花火買ってきてくれないかな…!?」


「え!お母さんに言おうよ!買って来れないか聞こう!」


「やろうやろう!あははは!わーい!」



この町を探している自分の姿と、夢の無邪気な声がぴたりと重なる。

そのときはただの夢物語のように思えた。


あのとき夢が描いた景色。


「あの、海が見えて、坂道があって、夏になったら花火が見えて…、『サマーリフレクション』っていう映画みたいな場所!ありませんか!?」


「ええと…。あ、ここはどうかな」


職員が手元の地図を指さす。

「この町は高低差があり、高台から海が見えるし、映える坂道もあります。1週間後にお祭りも開かれる予定ですよ」


「なるほど、条件もぴったりだ。次はこの辺りを回ってみよう」


「分かりました。ありがとうございます!」





電車を乗り継ぎ、ひたすら歩き、あの日目を覚ましてから、もう1ヶ月ほどが経っていた。


「…どうしたの?颯太君」


「…え?」


「なんか、暗い顔してたから。せっかく良さそうな情報聞いたのに」


「…ずっと、夢のことを探してて、たまに、不安になるんです」


三浦は黙ってうなずく。


「もうこの世界にいないんじゃないか、俺の事を恨んで、出会えても話すことはできないんじゃないかとか、色々考えたらどんどん不安になっちゃうんです」


「…そっか」


三浦は軽く息を吐き、窓の外の遠い海をぼんやりと見つめた。


「俺もあるよ。自分の生前のことを考えたり、これからのことが不安になったり…」


「あれ、そういえば俺、三浦さんの生前のことって聞いたことありましたっけ」


「ああ、言ってないよ」


「どんな人生だったんですか?もちろん、話せる範囲で全然いいんですけど…」


「まあ、話せることそんなにないけどね」


「…?」


三浦が颯太の純粋な顔を見てほほ笑んだ。



「俺、生前の記憶がないんだ」



「え?」


「颯太君にはまだ説明してなかったよね」


「ど、どういうことですか…?」


「もう1つ、この世界の記憶に関するルールがある。自分で死を選んだ人、つまり、死因が自殺の人は、他の人よりも記憶のロックが固くて、自分の名前さえ思い出せない」


「え…」


「俺の本当の名前は三浦透じゃない。この名前は、他の人に付けてもらった名前」


「…」


「俺は、この世界に来て5年くらい経ったけど、まだ何も思い出せない。ということは、多分俺は自ら命を絶ったんだろうなあって考えてる」


颯太は言葉を失った。

電車の揺れが妙に静かに感じられる。


「そ、うなんですか…。すみません、こんなこと聞いてしまって」


「全然大丈夫。いつか颯太君に話そうとは思ってたし、むしろ今まで教えていなくてごめんね」


「はい…」


「『記憶の象徴』が無いわけではないんだ。でも、何かに触れたり、特定のものを見たりするだけじゃ思い出せない。未練とか、後悔とか…強すぎる気持ちが、自分の記憶を曇らせる」



「…あれ」

1つの可能性が颯太の頭をよぎった。


夢は、どうして亡くなったんだっけ。


胸の奥で、ひとつの可能性が音を立ててよみがえる。

颯太はゆっくりとまばたきをした。



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