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夢の終わりに桜は散る  作者: りん


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1/17

1.




今日も、いつもと変わらない、なんでもない一日。

このなんでもない一日が、忘れられない一日になるまで。

ただ、生きていた。




「ん…」


ゆっくりと目を開けると、自分が草原で静かに横たわっていることに気づいた。

カーテンを一気に開け放った時のように、日の光が視界に広がり、思わずまばたきをする。


どこまでも続く淡い緑色の絨毯。

さらさらと揺れる草に、立ち上がろうとする気力を吸い取られる。

春の終わりを思わせる穏やかな風が頬を撫で、柔らかな陽射しが空と大地をやさしく包み込んでいた。


「…ここ、なんだ」


声に出した自分の声が、少しだけ遠く感じた。

寝起きのようなぼんやりした頭。

まだ、この状況を理解するには情報が足りなかった。


体を起こし、軽く体を伸ばすと、少しずつ意識が冴えていく。

雲、日光、風、すべてが爽やかで、思わずため息がもれた。



「あれ、ここ、どこだ…俺、今まで何やってたっけ」



ゆっくりと立ち上がって遠くを見渡すと、ビル群が静かにそびえているのが見えた。

道路や横断歩道、普通の街並みがそこには広がっていた。

ここは大草原などではなく、ただの公園だった。

自分はその片隅で寝転んでいただけだったのだ。



「あ…!」


声の方を見ると、ベンチに座った老人が風に飛ばされる紙へ手を伸ばしていた。

風が止んだ隙に駆け寄り、紙をさっと拾い上げる。

ちらりと見ると、それは広告のようなチラシだった。


「ああ、ありがとう」

老人はにこやかに笑みを浮かべる。


「あの…すみません。ここは一体どこですか?」


「ん?…君、さては、ついさっき目を覚ましたのかい?」

老人はまるで全てを知っているかのように、余裕のある表情を浮かべていた。


「そ、そうです。気づいたらそこで寝ていて」


「そうかい…。お名前は?」


「桜井颯太と言います。おじいさんは?あなたは一体…?」


「山崎重雄。名ばかりの、ただのじじいさ」


そう言って山崎は隣のベンチをぽんぽんと叩き、颯太を招いた。


「まあまあ、とりあえずじいさんの話でも聞かないか」

促されるまま、颯太は山崎の隣に腰を下ろした。



「わしには2人の息子がいてな、まあ、揃いも揃って手のかかる子どもでな。小学生の頃は泥だらけで帰ってきて、中学では赤点ばかり、高校では見事に反抗期。長男も次男もおてんばで、何度叱っても懲りない。ほんと、にぎやかな奴らだった」


「はあ…」


「そんな長男が突然結婚すると言い出してな、たしか息子が20の時だったか。大学に行かせてやったのに、家のことも相手のことも考えず突っ走る。そんなやつはいらんと、わしは突き放した」


山崎はどこか寂しげに笑った。

「妻はその後も連絡を取っていたようだが、わしはとうとう、あいつの子どもに会うこともなかった」


「とうとう…?」

颯太がつぶやいた声は届かなかったのか、山崎はため息をつき、再び颯太を見た。


「そうだ。もし、お前さんが良ければの話なんだが…」


「あれ、山崎さん!今日は先客がいらっしゃるんですね」



声のした方へ目を向けると、1人の男性がこちらへ歩いてきていた。

紺のジャケットを羽織り、茶色の髪をラフに流している。

ホイップがかかったカラフルなドリンクを飲みながら歩く姿は、昼休みを満喫する今どきの高校生のようだった。


「この子は、ついさっきこの世界にやってきた子なんだとよ。じじいの暇つぶしに付き合ってもらってたとこだ」


老人の言葉に、男は颯太の方へ目をやり、やわらかく微笑んだ。

「そうなんですね。初めまして、三浦透と言います。よろしくね」


「あ、桜井颯太です」


三浦はベンチの脇の草の上に腰を下ろし、ドリンクをちびちびと飲む。

「そっか、こんなところでお客さんに会うとは」


「お客さん…?」


「俺はね、この辺りの住人の情報を管理する仕事をしてるんだ。突然で悪いけど、これ飲み終わったら俺の職場についてきてくれるかな?」


「え、あ、はい…」

状況がまるで掴めず、颯太はただ頷くしかなかった。




空は、青と水色の中間のような淡い色。

真っ白な雲が少しだけ漂い、当分雨は降らなさそうに見えた。


きっと、この世界は現世とは少し違う。

山崎や三浦の様子を見て、颯太はそう感じていた。


今まで生きてきた世界なら、空の向こうには宇宙があるはず。

けれど、この空の先には、一体何が広がっているのだろう。

そんなことをぼんやり考えていると、三浦の手が視界に映った。


「んん…」

気持ちよさそうに伸びをした後、髪や服を整えて颯太の方を向く。


「颯太君、だよね?そろそろぼんやりするのも飽きたし、いこっか。山崎さん、また」




舗装された道を歩くと、人々がごく自然に暮らしている。

夢にしては、あまりにも鮮やかで現実的すぎた。


三浦の後ろをついていくと、やがて町の中心に白くそびえる建物が見えてきた。

ひときわ高いその施設の看板には、こう書かれていた。


『夢遷記録局』


「ここ、俺の職場。おいで」


その言葉に導かれるように、颯太は建物の中に入る。

カラン、と小さな鈴の音が鳴る。


中は、無機質な書類の匂いと、優しい木の香りが混ざっていた。

床は静かに磨かれていて、職員らしき人が静かに出入りしている。


三浦は部屋の奥の小さなソファスペースを指さした。


「あそこ、ちょうど空いてるからあそこにしようか」



2人はソファに腰を下ろした。

柔らかく沈む座面に、颯太の体から少しずつ力が抜けていく。


「改めて、俺はこの『夢遷記録局』という場所で職員をしている、三浦透という者です。職員とはいっても、ボランティアみたいなものだけど」


「はあ…」


「突然だけど、ここはいわゆる死後の世界。君がここにいるってことは、現世で亡くなったってこと」

三浦の顔が一転して真剣になる。


「そう、なんですね」


「…意外と、驚いてないように見えるけど?」


「さっき、山崎さんの話を聞いていた時に、なんとなく、そんな気がして」


とうとうあいつの子どもにさえ会うことはない。

山崎さんはもう、二度と息子さんに会うことはできない。

その現実を自分で受け入れている。


「そっか」


「そうなんだ、俺、死んだんだ…でも、全然記憶がなくて…」


「問題はそこなんだ」

三浦は大きくうなずいた。


「人は死ぬと、この世界に来たとき、大切な記憶をすべて失ってしまう。忘れたくない、まだ生きていたいという思いが、記憶を奥底に隠しちゃうんだ。だから君も、自分が何者で、なぜ亡くなったのか思い出せない」


「…」


「じゃあこれからどうすればいいのかって話なんだけど、これからの選択肢は2つ。ひとつは記憶を取り戻して、転生の手続きをする。もうひとつは、この世界で永遠に生きる」


「転生…」


三浦は手元の資料を広げながら続けた。

「この施設は、魂の管理や次の人生、いわゆる転生の手続きをしている。新しい命として生まれ変わる手続きだ。でも、その手続きを行う際に、自分の名前や死因、人間関係といった情報が必要になる。だから、転生をするには記憶を取り戻さなければいけない」


「記憶を取り戻すことって可能なんですか?」


「自分の人生を思い出す『記憶の象徴』を見つけるんだ」


「記憶の、象徴…?」


「ある人はサッカーボールを見て、自分がサッカー選手だったことを思い出し、ある人は、ベッドに寝転んだ時に、自分が病気で寝たきりだったことを思い出した。そういう、自分の人生を呼び覚ますトリガーがこの世界のどこかにあるんだ」


「でも、それが何なのかは自力では思い出せないんですよね?」


「そうなんだ。困った話だよな」


颯太はふと、山崎のことを思い出した。

「ということは、山崎さんはもう象徴を見つけたってことですか」


「そうそう。工場で働いてた記憶を、工具に触れたときに思い出したらしい」


「へえ…」


「転生は義務じゃない。記憶を取り戻しても、自分の人生を胸に抱いたままこの世界に留まる人もいる。ただ、正直おすすめはしないな。ここは変わり映えのない場所だから」


「はい」


「ということで、君のことも聞かせてほしい。今君が覚えているのは、自分の名前だけ?」


「俺は、そうですね。自分の名前しか、思い出せません」


忘れたくない記憶、忘れられない思い出。

思い出そうとするたびに、心臓が強く脈打つ。

頭の中は空っぽで、固有名詞は一つも浮かばない。

これは初めての感覚なのか。

それとも、忘れているだけなのか。


「よかったら、君の『記憶の象徴』を探すのを手伝わせてくれないかな」


「…良いんですか?」


「ここで出会えたのも何かの縁だしね。そうだな、まずは…」


少し考えた後、三浦は立ち上がり、軽く手を差し伸べた。

「まだお昼ご飯食べてないでしょ。一緒にご飯食べに行こう?」



自分が死んだ、という事実をまだ受け止めきれないまま、再び三浦の後をついて行った。


外に出ると、やわらかな光に包まれる。

何も知らない世界。

不安と期待が入り混じる中、三浦が颯太の顔を見て明るく笑ってくれた。


別れもあれば、出会いもある。

颯太は小さく微笑み返し、歩き出した。




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