イウス・リト
二〇一七年五月 イウス・リト
入学して早一ヶ月。憧れていたこの学院で俺は世界を、俺の服で動かしてみせる。
「リト!相変わらず早いね。」
「そういうミアも早いね。まだ始業の三十分以上前だよ。」
ミアとは中学からの幼馴染みで、一緒にこの服飾学院へ入学した。クラスは違うが教室は隣なのでよくミアは遊びに来る。
「せっかく早く学校来たなら作品制作進めたら?デザイン画とか。」
「分かってないね、リト。私は君を見たくて早く来てるんだよ。」
僕はこの時、晴天であることに初めて気がついた。
始業のチャイムと共にミアは、点呼に遅れちゃうと言いながら手短に別れを告げ、長く煌めくツインテールの髪を揺らしながら、まるで蝶が舞うように教室をあとにした。
この学校に来て分かったことが一つある。それは、高校で服飾の経験がある者とない者との差は大きいようで小さいこと。俺は普通科高校で部活に明け暮れていた普通の高校生だった。入学当初こそ劣等感はあったが、最初の制作課題を一番の早さで進めることができた。担任の先生にもこの前
「本当に服作ったことないんだよね?」
と聞かれた。正直俺は周りの凄いやつについて行こうと必死だったが、気がつくと俺はみんなの一歩先を歩いていた。
「先生!できました」
クラス、いや学年で最初に制作課題を提出した。クラスメイトのざわつきが心地良い。課題もコマ数より大分早く終わり手持ち無沙汰になってしまった。午後の授業はなにをして過ごそうか。
「リトくん、コンテストとか興味ない?」
顔を上げると副担任のシュウ先生が何かを企む小学生のような笑顔で立っていた。
「先生って、元詐欺師かなんかだったんですか?」
「学院長には内緒ね。」
「いや否定してくださいよ。」
先生は目を細め、弾むように笑った。まさしくクラスの太陽のような先生だ。
「で、コンテストっていうのは?」
「ああそうそう、学院に通ってる生徒のみを対象としたコンテストがあるの。」
心当たりがある文言だった。
「それってカレコンのことですか?だとしたら勧めるのは早いですよ。参加するのは三・四年生ばかりですよね?」
カレッジコンテスト、通称カレコン。多くの名だたるデザイナーを輩出しているこの学院で最も大きなコンテストだ。学生の間ではデザイナーの登竜門とも言われている。
「それは一般的な話。リトくん、先生は君ならチャレンジしてみても良いと思うんだ。」
先生が言うには、コンテストはいくつかの選考があり、デザイン、プレゼン、ワンルック作成、スリールック作成の四段階審査になっているそうだ。
「しかもね、一次審査と二次審査は年度内に行われるけど、残り二つの選考は来年度行うの」
「つまり、作成する選考まで進んだとしても、その頃にはある程度作れるようになっているから大丈夫っていうことですか?」
「話が早いね。」
また先生は企むような笑顔をしていた。
昼休み、クラスメイトにご飯を誘われたが今日は断った。
「珍しいね、リトからお昼誘ってくれるなんて。私今日ドレス着てないよ?」
唐突な心を誘惑するような表情を前に、俺は右手で鼻先をなでた。
「何言ってんだか。いつものカレーナンの店でいい?」
健気にうなずく彼女の姿は太陽の日差しに包まれて、いまにも消えてしまいそうなくらい儚かった。そして俺はなぜか不安になってしまった。
「早速だけど、ミアはカレコン知ってるよね?」
「もちろん。知らない人なんてこの学校にいないんじゃない?」
こういう時無意味な前置きをしてしまう自分の癖に辟易した。
「そうだよな。もし俺が今カレコンに応募したとして、上手くいくと思う?」
どこを見ていたら良いのか分からなくてとりあえず水を飲んだ。
「あー、そういうことか。」
ふーんと言う彼女は何かを見透かすような笑みを浮かべていた。
「どんな顔してんだ。ミアまで詐欺師なのかよ。」
「まあまあまあ…」
「世界からツッコミっていう概念消えたのかよ。」
軽口をたたいている間にチキンカレーとナンセットが二つ届いた。
「つまりさ、リトは私に背中押して欲しいんでしょ?」
否定はしないが、ここではいそうです、とは言えない。
「でもさ、実際問題今の俺が先輩方と競えると思う?俺は正直そこまで自分の力に自信がないんだ。」
左の指先は耳を勝手に探していた。
「カレコンって人生で一回しかエントリーできないんだっけ?」
「いや、そんな決まりはないと思う。先輩も二年連続で応募するって言ってたし。」
「なら答えは出てるんじゃない?」
気がつけば話は結末前の一ページをめくっていたらしい。
「ミア、それはどういうこと?」
「え、だってさ、何回もチャレンジして良いなら何回もチャレンジした方が得じゃない?ダメならまた来年頑張れば良いし。どんな成功者も初めから成功していたとは限らない。でもね、成功者は失敗を知らない。だって失敗って言うのは成功を諦めて初めて成立することだから。」
昼休みというものはすぐに過ぎ去ってしまう。お店をあとにした俺とミアは駆け足で教室へ戻った。ミアの教室のほうが手前なので彼女を見送った。
「あ、そうだリト!一つ言い忘れてた。」
足の向きを変え彼女の元へ戻った。
「どうした?」
不思議がる僕をまっすぐな目でミアは迎えた。しかしミアは何も話し出さなかった。
「ミア?もうチャイム鳴っちゃうんだけど、言い忘れてたことって何?」
するとミアは、初めて見た母親の顔のように、静かに、それでも確かな意思のある笑みを浮かべていた。そして俺の左肩を、優しく握った拳で押した。
「ふふ、じゃあねリト」
そう言ってミアは自席に戻っていった。
「なにも言ってねえじゃん。」
そう言いながら優美な蝶を見つめていると始業のチャイムが鳴り出し、慌てて自分の教室に戻った。左の肩が少し暖かく感じた。
授業が始まると同時に担任のカイル先生に呼び出された。
「リトくん、君はもう課題が終わっている。この課題を制作するコマの出席を全て免除する。」
驚いた。厳格なカイル先生がそんなことをいうとは思ってもいなかった。
「ところで、カレコンはどうするんだい?シュウ先生からも話があったと思うが。」
迷うことはなかった。恐怖も、不安も、左の肩にこもった熱が打ち消してくれていた。
「やります。」
そう答えるとカイル先生は目尻を緩やかに曲げていた。
「ではこれからの時間はデザイン発想の時間に費やすと良い。デザイン画の先生と、デザイン発想の先生にはもう話を通しているから今から行くことを勧める。」
なにかを見通しているような先生だと思ってはいたが、さすがに驚いた。この先生はどこまで、何が見えているのだろう。
言われた通り、その後二人の先生の元を訪ね、助言をいただき、今後の予定を立てた。そして、デザインを考える前にテーマを決めることになった。この学院には全国最大級の服飾資料を貯蔵する図書館がある。何冊か気になる本を集めて、空いていた窓際の席に座る。日差しの心地良い席だった。
「リト?まだ学校いたんだ。」
後ろからのミアの声に肩が弾んだ。
「まあ、免除になったけどやることはあるからね。」
なにかを察したかのように一拍おいて、ミアはいいね、と声を漏らした。
「それよりミア、授業はどうしたの?」
俺は免除だが、ミアはたしかまだ提出できるほどの進捗ではなかったはずだ。
「いや、もう授業終わったよ?今十八時。」
その言葉を聞き窓辺に目をやると、淡い赤色に町が飲まれていた。
「よほど熱中してたんだね。リトって昔からそう。熱中してる時は食事も時間も気にせず作業し続けて、ほんと見守ってるこっちが不安になるんだから。」
そう言うとミアは鞄に手を入れ何かを取り出した。
「はいこれ。糖分は発想の要だよ。」
彼女の手元には、購入シールの貼られたブドウ糖タブレットがあった。カイル先生といい、ミアも恐ろしい人だと思った。
「ミア、このテーマでいこうと思っているんだけど君はどう思う?」
テーマはさりげない自己主張。主張は必要であるが、同時に、理解を強要しない謙虚さも必要であることを服に落とし込もうと考えていた。それなりに気に入ってはいるが、なにか物足りなく感じていた。
「あー、待って、そんな感じの考えを表す言葉あった気がするんだけど、なんだっけ。」
ミアは眉間に皺を寄せ、立てた右の人差し指でこめかみをトントンと一定のリズムで叩いていた。調べようかと思い検索ボックスを開いたが、なんと打ち込めば良いのか分からず手が止まってしまった。
「あそうだ、うち来ない?」
「ハニトラにしては大胆すぎるよお姉さん。」
自然と右手先は鼻をかいていた。
「じゃーなーくーてー、その言葉が書かれてる本がうちにあった気がするんだよね。」
彼女の表情を見るに確率は五分五分といったところなのだろう。しかし、ミアは資料の収集癖があるので、もしかしたらという気に俺もなっていた。
「じゃあお邪魔しようかな。明日は休みで予定もないし。」
「えー、お泊まりはまだ気が早いよー。」
片付けをしている俺を、視界の端に捉えながら色気づいた笑みを浮かべる彼女は実に罪深い。
「あんまり俺のこと弄ぶとバチ当たるぞ。」
それは嫌だなーと軽くあしらう彼女は、一緒に本を元の場所に戻すのを手伝ってくれた。
「そんなに綺麗じゃないけど幻滅しないでね。」
家の鍵を差し込みながら彼女はそう言った。ミアの顔が少し緊張しているように見えた。
「でも俺の家よりは綺麗だろ。」
「だよねー。リトって中学の時部室の片付けしてなくて先輩に怒られたりしてたもんね。」
懐かしい話をされ、なびく風が心地よく感じた。中高通して所属していた剣道部では、片付けが嫌で友達によく肩代わりしてもらっていた。小学生の頃はお道具箱汚すぎて先生に怒られたっけ。どの記憶も、当時は嫌だと思っていても、振り返ると悪くない気持ちになる。
ミアの家に入ると女の子らしい香りが自分の訪れを歓迎してくれているように感じた。しかし、その香りとは裏腹に、女の子の家というより服が好きな人の書斎のような空間が広がった。多分うちの学生なら皆が一度は訪れてみたい空間だろうと思った。
「ミアって家具のセンスもいいんだな。このテーブルとか持ち帰って良い?」
「今後床でご飯食べろっていういじめかな。」
それはよくないね、と笑い合いながら荷物を下ろした。すぐに二人で手分けして本を探し始めたが、本の多さに圧倒され、思っていた以上に時間がかかってしまっていた。時計の針は二十一時半を指していた。
「リトー、おなかすかない?」
まっていましたと言わんばかりの勢いで振り返り大きく頷いた。
近くのコンビニでご飯を買い、センスの良い机で食事をした。同じ机を買おうと思ったが、ミア曰くもう廃盤になっているらしく諦めた。
「あと見てない本はこの三冊。」
“イタリアの装い”という本からミアは調べることにしたので、俺は“軍服の歴史と発展”という本を手にした。“ジャポニズム“という本にはなさそうというミアの勘でそうなった。
「ミア、そういえば俺のテーマみたいな考えが軍服の歴史にかんでくるとは…」
「あ!」
ミアの声に言葉が遮られ、一瞬の静寂が訪れた。途端、笑顔で駆け寄るミアの足音が静寂を切り裂いた。
「これだよ!SPREZZATURA!」
初めて聞く言葉だった。しかし、ミアと共にそのページを読んでいると不気味なほど俺が思っていたテーマと酷似していることに気がついた。
「驚いた。こんなにドンピシャな言葉があるなんて。」
ふふん、と得意げに口角を上げる彼女は俺になにか求めているようだった。
「ありがとな。」
「どういたしまして。感謝と謝罪のできる男はモテるよ。」
どうやら求めていた言葉を言えたらしい。彼女は満足げにベッドへ横たわった。
「助かったよ本当に。土日でもう少しテーマを固められそう。」
「それは良かった。けどリトはもう少し休みなよ?今日はもう遅いし帰ったらすぐ寝るんだよー。」
「ミアは課題まだ終わり見えてないんだから今日も作業するんだよー。」
自分に返ってくると思っていなかったのか、驚いた表情を浮かべてすぐ、反対向きに身体を動かした。もう寝るもーん、と言うミアの横で淡々と帰りの支度をして家をあとにした。ひんやりとした夜風が疲れを持って行ってくれた気がした。
二〇一七年七月某日
今日は朝から視野が狭く感じる。駅の階段を上っただけで息が上がる感覚がした。俺はこの感覚を知っている。中学剣道全国大会初戦の前にも同じようになった。視野が狭くなり、景色に黒いガウスがかかったような感覚。気がつくと学校にいた。これまでの道のりが記憶にない。途端、背中に何かが当たり、曇りが晴れた。振り返るとミアが俺の背中をつついていた。
「なんでそんな無視するの?か弱い乙女が泣いちゃうぞ。」
無視?なんの話だと思ったが、多分俺の心は無意識に外の音を切っていたのだろう。
「ごめんごめん、音楽聴いてた。」
「緊張してるんでしょ。今日はカレコンの一次審査結果発表の日だもんね。」
とっさについた嘘は簡単に見破られてしまった。それもそうだ、この時イヤホンは付けてすらいなかった。
「緊張するだろ。発表まであと三十分だよ。」
「学年のみんなが期待してるもんね。」
満面の笑みでそういう彼女にこの気持ちを半分担って欲しいと思った。
二ヶ月前、カレコンに応募しようと決めて数日経った頃。教室に入ると全員の視線がこちらを向いていた。初めての光景に目が泳いでしまった。
「みんなどうした?」
「どうしたもねえよ、お前カレコン出るんだろ?」
クラスメイトに言われて頭が真っ白になった。カイル先生はこういったことを大々的に言わないし、シュウ先生もわざわざクラスメイトに言う人とは思えない。もちろん俺もミアにしか…
「ミアから聞いたの?」
「ああ、この前ミアちゃんがシュウ先生に話してて。二人とも声大きいだろ?嫌でもみんな聞こえちまうよ。」
全く頭の抱える幼馴染みだ。俺は俺に自信がない。知らず知らずのうちに上手くいってしまっていただけ。だから今回の挑戦もひとりでに進めたかった。
教室に着くとこの時間には珍しいほどの人数がいた。
「ええっと、これもミアの差し金?」
「全く、君は私をなんだと思っているの?みんな君の結果が楽しみで早く来たんじゃない?」
信じがたいことだが、信じざるを得ない現実がそこにあった。
「リトくん!時間!」
クラスメイトに言われて時計を見た。時間だ。大勢に囲まれながらメールボックスを確認する。
「ない…?」
誰かのその声に何人もが共鳴するようにざわついた。誰かに心をドブに突っ込まれたような感覚に襲われる。無意識に何度もスクロールしてデータをロードし続ける。
「リト!」
肩の暖かさに呼吸を思い出し顔を上げた。ミアが優しい笑顔で肩を持っていた。
「リト、これURLが張られているらしくて、迷惑メールの方に届いていることもあるらしいよ。」
迷惑メールのボックスを開くとそこには見知らぬアドレスから“おめでとうございます”という件名のメールがあった。クラスはパーティー会場のごとく盛り上がった。
ふと教室の入り口から視線を感じ、全員が動きを止めた。そこにはカイル先生がいた。全員が怒られることを察し、獣に狩られまいと隠れる草食動物のように席に戻ろうとしていた。
「どうしたみんな。十数年ぶりの快挙を祝うのが友人としての勤めなんじゃないのか?」
思いもよらぬ言葉に全員が順々に目を合わせる。そしてミラーボールのような日差しの元、パーティーは再開した。
一次審査を終え、二次審査のプレゼン準備を進めた。カイル先生曰く、一年生が一次審査を通ったのは十三年ぶりだったそうだ。二次審査を通過できたら二十年ぶりらしい。
そしてプレゼン当日の十二月。とても冷たい風が吹いていた。
「今日はリト落ち着いているね。」
「ああ、カイル先生が授業時間をプレゼン練習に使わせてくれて、何度もみんなに聞いてもらってブラッシュアップしたからね。」
シュウ先生とカイル先生のおかげでここまで来ることができたと思う。授業もそうだし、テキスタイル制作の時には適任の先生にアテンドしてくれた。この感覚はなんだろう。俺はまだこの感覚を知らない。指先に流れる血液まで明確に認識できている。なにより心が軽い。
プレゼンは順調に進んだ。聞きに来ていたカイル先生は静かに肩を二回叩いた。
「手応えは?」
声の方を向くとミアがいた。
「審査員みんな俺に惚れたかもね。」
そう言うとミアは
「やるじゃん。やっぱりリトは自信に満ちている時が一番輝いているね。」
と言いながら左肩を優しく叩いた。
そうして間もなく、俺は二十年ぶりの逸材という肩書きを手にした。順調に進むカレコン審査。進級し、三次審査もなんなく通過した。最終審査に向けて取りかかっていた低い雲に覆われていた初夏のある日、ミアが不登校になった。厳密に言えば、消息不明になった。




