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第2章 不穏

    二〇二五年十月一日


 「今月いっぱいで会社を畳むことにした。」

え?今なんて言った?

「仕事内容から察している者もいたと思うが、今シーズンの生産が終われば会社をたたむ。」

社長は淡々と事実を述べた。まあ、僕のいる会社は従業員数が数人の小さい会社だ。あまり大がかりなものじゃないが、僕は困る。失業するのか?この先どうすれば…

「以上だ。残りの業務も頑張ってくれ。それとスグくんはちょっと残って」

僕以外は社長の机の周りから自席へと戻っていく。

「は、はい」

驚いて声が裏返る。何かとんでもないミスをした記憶はないが一体…

「君、BOXに興味はあるかい?」

当たり前に興味がある。アパレル業界きっての大企業。なにせ、僕が学生時代の第一志望だ。

「もちろんあります。それがなにか?」

「とある伝で、パタンナーを一人捜していると聞いてね。良かったら試験受けてみたらどうだ」

社長はあのときの目をしていた。鋭く、僕をどこかへ導いてくれるような、闘志に満ちた瞳。

「そうですね、受けてみます」

試験免除っていう訳ではないらしいが、もう一度受けてみようと思う。あの頃と今、僕はどれほど変わることができただろう。期待と不安に見守られながら職務経歴書を作成した。


 試験は全部で四つ。書類、面接、実技、最終面接だ。僕は学生時代、最終面接で落ちた。今回はもうしくじらないようにと心に誓って挑んだ。

“厳正なる審査の結果、貴方を採用する運びとなりました”

欲しい結果は、なんの手応えもないほど簡単に手に入った。僕はもうあの頃とは違うのだと実感できた。初めて自分の目標を自分の力で手にすることができた。ただその事実が何よりもうれしかった。気がつくと僕はジオとロナちゃんを呼んで、薄汚い居酒屋にいた。















  二〇二六年四月一日

私イウス・リト、並びに同捜査課一名の潜入捜査を開始する


















   二〇二六年十一月一日


 BOXに務め始めて早一年。エド社長がくれた、過去のパターンデータをまとめたUSBメモリにはかなり助けられた。元いた会社と業務内容は変わりないが、OEMとメーカーでは勝手が違うことも多くある。しかし、新卒生達が入社する時期までには慣れることができた。

「先輩!今日の夜飲み行きましょ!」

「ごめん、今日は同級生と予定があるんだ。また今度誘ってくれたらその時は行くよ。」

この会社で友達といえる人はできていないが、頼もしい後輩はできた。イウス・リト。今年新卒入社した子で所々至らない点はあるが、まあ新卒の頃の僕もこんな感じだったのだろうと思い、教育に励んでいる。それにしても、セカンドネームがあるなんて珍しい。古風な家系の子なのだろうか。

「同級生ってどんな人たちなんですか?」

「ん?あー、二人居るんだけどね、一人は最近好きな人ができたMD。もう一人はデザインの才能がある販売員。」

「才能があるのに販売やってるんですか?」

「まあ、本人なりにいろいろあるんだろうね。リトは自分の才能を誰よりも信じるんだよ。」

ロナちゃんほどの人がデザイナー以外に就くなんて誰が想像できただろう。あまり深くは聞けていないが、どうやらアパレルの生産の世界が苦手らしい。でも服は好きだから、小さなセレクトショップで販売をしているのだろう。くそ、またPCが落ちた。


 今日は僕が一番乗りだった。遅れてロナちゃんとジオが到着し、いつものように奥の席で乾杯をした。

「で、時にジオくん、今日私たちをここに集めたわけを聞こうじゃないか。」

ロナちゃんは、いたずら好きな狐のような目でジオに訪ねた。

「最初からその話題かー、ロナ、手厳しい!」

いつもの調子で返すジオは、どこか膜が張っている感じがした。

「僕も気になってた。モナちゃんとはその後上手くいってるの?」

ジオは数ヶ月前、同級生のモナちゃんと古着屋でばったり遭遇したらしい。モナちゃんはグランジ系の服が似合う華奢な子だったと思う。その後話が盛り上がり、なんだか良い感じになっているらしい。時々僕ら三人のグループチャットで相談もしていた。ロナちゃんと協力してキューピットになろうと意気込んでいた。

「それがよー、一ヶ月くらい未読無視されててさ…いやでも、そんな変な会話してないんだ。本当に急に…嫌われたのかな…」

耳のたれた子犬のようなジオは初めて見た。そんな彼は見たくなかった。嫌われていないから安心しろ、と言いたくてチャットの履歴を見せてもらった。

ジオの言うとおり、本当に他愛もない会話だった。なんならモナちゃんから話題を振っていた。なぜなんだ。分からない。

「うーん、僕もよく分からないな。ロナちゃんはどう思う?女子から見て何か気づくこととか。」

ジオのスマホをロナちゃんに渡した。数秒後、あー、と言いながら口を開いた。

「嫌っている雰囲気はないからまず安心して良いと思う…あ、いつもモナちゃん何時に寝てる?」

スマホを眺めながらジオに聞く。

「日付変わる頃かな。」

これになにか意味があるのかと聞きたそうな表情を浮かべながらもジオは応えた。

「いつも朝は返信来てた?」

「モナは朝に弱いらしくって、いつもギリギリに起きるから基本来ないかな。来るのは昼休みとか。」

「最後にモナちゃんから返信があったのは九月二十九日の午後十一時四十分。ジオくんが返信したのは三十日の零時十二分。てことはさ、もしかして九月三十日の出勤の時になにかあったんじゃないかな。」

その考えはなかった。少なくとも僕ら二人にとっては盲点だった。

「ジオくんどうする?一旦モナちゃんの家に行ってみる?」

ロナの急な提案に戸惑ったが、なにかあってからでは遅いとも思った。

「そうだね、僕らみんな明日休みだし、もし家に居たら僕たちが馬鹿になってあげる。」

僕がそう言うと、ジオは感謝と共にビールを飲み干した。そうして、僕らは足早に店をあとにしてモナちゃんの家に向かった。ジオは念のため家に向かうことを連絡したが、やはり返事はない。こんなにも電車が遅く感じたのは初めてだった。


 「ここだ。確か部屋番号は三・〇・五…」

酸素が消えたのかと思った。雲一つとしてこの時間を動くものはなかったと思う。扉についている郵便受けにはチラシが無理矢理詰め込まれていた。モナちゃんが無事でないことを現実が淡々と僕らに語りかけていた。

「ジオくん、鍵、開いてるっぽい。」

動けずに居た僕らを置いて、ロナちゃんはドアノブに手をかけていた。入るか?入れば不法侵入という罪にもなる。でももしモナちゃんの身に何かあれば一刻を争う。どうする。

「俺が開ける。」

ジオが僕の思考を劈いた。気が動転しているかと思ったが、彼の目は深く凪いでいた。


 部屋に入ったが電気は付かなかった。各々のスマホであたりを照らしてみた。

「モナちゃんはきれい好きなんだね。」

思わずそう言ってしまうくらい綺麗だった。まるでモデルルーム、理想の女の子の部屋みたいだった。

「あ、ああ。でもなんか、綺麗すぎる。」

ジオは何を言っているのかと思ったが、ベッドを見てその言葉が腑に落ちた。朝弱くて、起きる時間もギリギリの子がベッドメイキングするだろうか。ジオと二人で唖然としていると、ロナちゃんが窓際でなにか見つけた素振りをした。

「ロナちゃん、どうかした?」

「ん、あ、いや、これ」

僕の問いかけに少し驚いた様に反応した彼女が指さす先にはカーテンがあった。そしてそのカーテンにシールの値札が付いていた。値札の付いたカーテン。こんなものつけたまま生活するとは考えにくい。つまり、何者かがカーテンを新調したということなのか?頭には嫌な想像ばかりが浮かぶ。

「モナは、この部屋で誰かに襲われたってところか。」

僕たち二人が言葉にできなかったことをジオがこうもストレートに口にするとは思わなかった。しかし、おかげで話し出しやすくなった。


 三人で調べられる範囲隅々まで調べたが、成果はこれ以上何もなかった。

「ジオ、週明けモナちゃんの仕事先に連絡してみようよ。」

僕の提案にロナちゃんも頷いてくれた。

「そうだね、ジオくん、モナちゃんの勤務先は知ってる?」

「あ、ああ。確かLAMINAってところ。」

LAMINAはBOXが専属契約している縫製工場の一つだ。それなら僕が会社から連絡した方が早いと思い、ジオに提案した。ジオは月明かりに陰りながら僕に託してくれた。


 僕は会社に着くと、受付に訪ねてみた。話は順調に進んだように思えたが、従業員の話になった途端、たらい回しにあった。おかしい。モナちゃんの件を聞こうとすると話が噛み合わなくなる。先日のジオの顔が脳裏をよぎり、世界が不安定になっていった。

「先輩?どうかしましたか?」

一度諦め、自席に向かおうとしたところをリトに見つかった。

「ああ、いや、なんでもないよ。ちょっといろいろ上手くいかなくてね。」

危なかった。僕は初めての後輩にダサいところを見せてしまうところだった。ひとまず昼休み、ジオにこの事を連絡しよう。


 BOX社は日本トップのアパレル企業。抱えるブランドはいくつかあるが、その中で最も有名なのがJ&Y`sであり、僕が今務めているブランドの大元だ。そしてJ&Y`sのチーフパタンナーを務め、技術科のトップを務める方が今、目の前に居る。細身な身体を綺麗に包むスーツと、寸分の狂いもなく七三に分けられた白髪が、今はただ怖い。

「あの、レンさん。今回はどういった要件ですか?」

ガラス張りの会議室。ここに呼ばれたのは初めてだ。冷静を装ったつもりだが、細胞の振動が心拍数を上げていることがわかる。

「いや、これといったことはない。最近調子はどうだ。」

想像以上に世間的な会話にほっとした。再び血液が指先まで巡りはじめた。

「そうですね、少しずつですがこちらの業務にも慣れてきました。」

「さすがだな。ところでさっき、LAMINAの方になにか話をしていたようだが?」

なぜそのことを聞くのか疑問だったが、そんなことをいえる空気ではなかった。レンさんの目に恐怖したからだ。大企業のベテランはあんなオーラを纏うのかと感銘を受けた。

「あ、それはなんと言いますか、少々個人的な質問でして。」

ごまかしたつもりだが、レンさんには見透かされているような気がした。

「個人的か、まあ君のことだ、必要なことなのだろう。」

大人の余裕が垣間見えるような、笑みを含んだ言い方だった。

「そうですね、僕の友人が急に音信不通になりまして。彼女の勤務先がLAMINAだったのでなにか知らないかと思いまして。」

「返事はどうだった。」

急に目を見つめられて足がすくんだ。まるで獣と狩人のような感覚だ。

「あまりしっかりとした回答はいただけませんでした。」

なんなんだこの会話は。わざわざ会議室で話すような内容なのだろうか。あまり私情を持ち込むなと注意され、会議室をあとにした。モナちゃんは一体…


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