第一章 日常
アパレル企業に務めるスグのお話。
彼の人生の大きな一部に是非触れてみてください。
物語はとある事件簿から始まります。
西暦二〇二八年三月十四日
警視庁生活安全部
特殊失踪事件第十七号
記 イウス・リト
・件名
BOX社系列従業員失踪事件について
・概要
二〇二五年四月某日
残業している人を羨ましく思っていた時期があった。多分、大人に憧れていた。しかし現実はどうだ。求人では、残業なし定時退社を見つけては食いつき、普通の生活に夢を見る。普通になりたくないという願いは、普通の生活の難しさを知ってから一変した。
「早いところ帰れよー」
エド社長は誰の目も見ず、煙草を吸うため扉に手をかけながら空に放った。この会社はとても小さいアパレルパターンの外注企業。社員は八人で、僕の直属の上司は社長である。社長のことは嫌いじゃないが、好きでもない。しかし感謝はしている。学生時代の僕に光があることを教えてくれたから。
三年前の夏、僕は就活をしていた。卒業年次に入った時から求人票を見ては応募を繰り返していた。しかし結果は大概最終面接で落とされてきた。何が足りないのか分からなかった。そう、当時の僕は視野が狭かったのだ。そして、実力が足りないと考えた僕は資格取得に励んだ。技術検定二級はとうに取得していたため、一級取得を目指した。技術検定一級、学生時代に取得した人はほとんど居ない。僕らの代も、その上の代も、少なくとも僕が入学してから学生時代に取得した人は居ない。圧倒的な実力、僕がこの学年の誰よりも実力があることを示したかった。
「スグ、お前は凄いやつだ。少なくとも俺にはお前みたいなパターンをひけない。間違いなくこの学年で一番だ。きっと全員が受験しても全員落ちた。きっと、そういう次元の試験だ。」
「ああ、ありがとうジオ。そうかもね。」
嘘だ。そうだなんて思ってない。
「そうだよスグ、ジオの言う通り。君はすっごいんだ。」
「ロナちゃんまで、ありがとう。」
言いたいことは分かる。でも、それじゃだめなんだ。凄いやつは山のようにいるし、才能も多くの人が持っている。才能があるやつが凄いのだろうか、僕はそう思えなかった。僕は分かる人には分かる技術ではなく、誰もがわかる技術が欲しかった。しかし僕は試験に落ちた。これは僕がそうでないことを証明することには十分すぎた。結果報告が電子書面でよかった。簡単に見えなくできる。
そんな時でも就活はやめさせてもらえない。来年からニートなんて是が非でも避けたかった。僕は凄いのに、そんな将来は受け付けることができない。以来、僕は手当たり次第に応募した。大手ばかり選んでいたが、中小企業にも応募を始めた。途端、未来の選択肢が無数に増えた。
「やっぱりお前凄いんだって。」
ジオはいつになく満面の笑みで肩をたたいてきた。痛い。
「そうかもね。」
そうなのだろうか。素直に拳をあげることができない自分がいる。理由は誰よりも自分が分かっている。これらの企業全て、別に僕じゃなくても合格している気がしたからだ。実技の手応えも、面接も。小さい企業だから個人面接だったが、そうかわりはないと思う。僕は、僕を認めて、僕を欲しいと思ってくれる大きな企業に行きたいのだ。だから全て、内定の返事は保留にしていた。
そんなある日、担任のカイル先生に呼び止められた。多分、曇りが晴れてきた頃だったと思う。
「スグくん、今時間大丈夫かい?」
帰り際、机の上に広げていた裁縫道具を鞄に仕舞っていると呼び止められた。あまりこういうことはなかったから、少し身構えていた。
「どうかしましたか?」
「スグくん、この企業どうかな。」
知らない名前だった。どうやら、先生の知り合いが社長らしく、新しい人材を探しているのだそうだ。聞けば、かなりの有名ブランドのパターンを制作しているらしく、従業員もほとんどがベテランらしい。先生曰くその社長は、能力のないものは教えても意味がないと思っているのだとか。怖すぎる。
「スグくん、先生この話聞いたときに君を推薦してみたんだ。そしたら面接くらいなら受けてくれるらしいんだけど、どうかな?」
話が急展開過ぎて、頭と現実に時差ぼけしていた。
「是非、僕で良ければ。」
気がつくと首を縦に振っていた。未だに覚えている。なぜかその日の帰路が晴れていたこと、そして、アップテンポの音楽を聴いていたことを。
「はじめまして、社長のエドです。君がカイルの教え子だね。」
第一印象は厳格、だった。皺を寄せた笑顔は優しかったが、未だ闘志が燃えたぎる若い戦士のような瞳だった。かくして、面接という名の世間話が始まり、来週実技試験をすることになった。
そして僕は合格した。その時社長は一言、君は良い、とだけ言ってくれた。数々の有名ブランドのパタンナーが良いと、僕に言ってくれた。そして僕は、他の企業からの内定を断った。
しかし実際働いてみたら残業だらけの日々だった。しかし業務内容には満足している。だから僕はこの企業に尽力している。今日も疲れた。普段なら誰か一人が帰るまでは残っているが、今日はさすがに体力の限界を感じて身支度をする。
「スグくんが帰るなら私も帰ろうかな。」
「そうですね、明日は休みですし。」
僕以外全員ベテランという異様な企業。だから僕は、会社で常に敬語で話している。ちょっと最近疲れているのでお先に、と軽い挨拶をして会社をあとにする。
駅まで徒歩八分の会社に勤める、普通の底辺サラリーマンだ。今日早く上がった理由は体力の限界以外にもう一つある。久しぶりの同級生との飲み会だ。飲み会と大袈裟に言っても集まるのは僕を含めて三人。ジオとロナちゃんだ。学生時代に比べて飲む頻度もかなり減った。大人って、理由がないとなかなか集まれない生き物らしい。今回はジオからの呼び出しだった。かなり急な誘いだったが、普段からそんなことをしない人だからこそ、早急に店を予約した。
“先に奥の席いるから”
とロナちゃんからの通知がメッセージアプリに来ていた。入って早々、広い店で迷子の子供のようにキョロキョロしていた。すると気がついたロナちゃんが手を振ってくれた。
「遅かったじゃん」
小さな身体に似つかわしくない程の大きな瞳で僕を優しく見つめてきた。
「悪いね、今日も残業で」
小走りで席に向かい手荷物を降ろした。ジオは僕に、いつものでいいか聞いてくれた。
「あ、店員さんこいつのビール一つ」
この居酒屋には久しぶりに来た。学生の頃は安さ故にたまり場になっていたが、未だにお世話になるとは情けない。しかし、当時のメンツと集まるならやはりここだろう。
「ジオくん、乾杯の音頭をとっちゃって」
いつものロナからの無茶ぶりだ。懐かしい。ジオはまんざらでもない表情で姿勢を整えた。キリッとした眉をより一層研ぎ、整える程でもない髪を、彼はなでるような素振りをした。
「えー、本日は皆さん晴れて社会人三年目ということで、昔みたいにパーッと三人で楽しみましょう!乾杯!」
グラスを掲げ、疲れを飛ばす勢いで飲み干した。今日は学生時代の親友たちとの久しぶりの飲み会だ。
「スーくんは最近どう?疲れてるように見えるけど」
ロナちゃんはいつも勘が鋭い。勘には救われる時も、心臓を睨まれているように感じる時もある。
「最近ゲームで夜更かししてるからかな」
嘘だ。ゲームなんてしていない。
「ゲームなんてお子ちゃまだなースグは。てかお前、いいもん着てんじゃん」
ジオは本当に服が好きなんだと思う。町中でも、学校内でも、ビビッと来るとブランドやどこで買ったかをよく聞いていた。
「結構したけど買っちゃった」
嘘だ。服なんて最近自分で買っていない。これは先輩がいつぞやのお礼にと買ってくれたものだ。
いつからだろう。見栄を張り、とっさに嘘を作ってペラペラと話すようになったのは。別に困ったこともないし、嘘だとバレて喧嘩、なんてこともない。だからこんな風にのらりくらりと受け答える。それでも楽しいだなんて、理解してくれる人は少ないのだろうか。そもそも俺の
「スグはそう思わないよな?」
ジオの問いかけと居酒屋の喧噪が意識を現実に引き戻した。
「…え?」
まずい、話を聞いていなかった。
「だから、ロナは才能あるんだから、諦めるなんて勿体ないって話」
箸をカチカチと空で鳴らしながらジオは僕に訴える。
「それはそうだね。まだ夢を追ったって遅くないよ」
これは嘘じゃない。本音だ。
ロナと出会ったのは服飾学院に入学して間もない頃だった。デザインの授業中、皆が好き勝手デザインをしている中、彼女は寝ていた。この学院に来るほとんどの人はこの授業のために来ていると言っても過言ではない。それほど楽しみな授業。なのに彼女は寝ていた。なんだか腹立たしくなり起こしに向かった。
「ねえ、なんで寝てる…の…」
自分の発言が間違っていることを嫌でも認識させられた。息が詰まった。
「んー?」
彼女の目は開いていた。しかしその目は僕ではないどこかを見据えていた気がする。僕なんか、眼中にないと言われたような気がした。
「今はちょっと眠いから仮眠とってるの。あと真面目な君に良いこと教えてあげる。もう課題の分は描いたよ。」
度肝がどんな臓器か知らないが、この時初めて内臓をえぐられた。机にあるデザイン画は非の打ち所がない。
「そうみたいだね、ごめん。」
恥ずかしかった。行動もなにもかもが、恥ずかしくてたまらなかった。その後の記憶は曖昧だ。気がつくと僕は廊下にある大きなゴミ箱の前にいた。
「スーくんまでそんなこと言わないでよ。私の子たちを世間は歓迎してくれないの。もう、あの子たちに悲しい思いして欲しくないんだ」
グラスに残った氷を回しながらロナちゃんは応えていた。またあの時の目をしている様な気がした。
「なーんだよー、もっとその子たちのこと信じてやってもいい気がすんだけど…ま、無理強いはしないけど」
そう言いつつ、ジオはきっと期待している。ロナちゃんのことを誰よりも尊敬していたから。
あれは大雨の日の放課後のことだった。
「スグ、俺には何が向いてると思う?」
いつになく真剣な声色に驚きながらも、その姿勢に応えようと思った。
「ジオはデザイン好きだよね、ならやっぱりデザイナーなんじゃないかな。」
ジオはきっと背中を押して欲しいのだと思った。僕もそうして欲しいことが多くあったから。
「いや、MDやるよ」
そう言いながら天を仰ぎ、机に腰掛けていたジオは、なにか吹っ切れたようにも、何かを捨てたようにも見えた。
「ジオ、デザイナーになるっていう話はどうしたの?」
あまり詮索すべきではないと分かっていたが、どうしても知りたかった。あんなにアツい男がなぜデザイナーではなくMDに行くのかを。
「お前も分かってるだろ、ロナの実力。あんな天才的で努力もする人が同級生で、しかも親友。こんな近くに業界を牽引するとまで言われた人が居たら、誰だって諦めたくもなる。そういうもんだ。」
そういうものなのだろうか。僕も確かに、ロナちゃんを目の当たりにしてデザイナーの夢をパタンナーに変えた。だが、デザイナーになると心に誓い、コンテストにも応募していたジオが諦めるなんて。
「スグ、上には上が居るんだ。きっと俺の上には顔すら知らない凄い人が居る。そしてその凄い人を束ねるもっと大きな組織や人物もきっといる。みんな凄いよな。うん。そう思っちゃった時点で俺には無理なんだって思ったんだ。」
正直ジオにはデザイナーが向いていると思っていたから諦めて欲しくなかった。でも、そんな本音は雨音がかき消してくれた。
ジオは、ロナちゃんの才能を前に夢を変えた。それほどの人なのだ。
「ロナは販売の仕事にはもう慣れた?」
ジオは唐揚げを大きな器から数個取りながらロナちゃんに問いかけた。
「慣れたも何も、今じゃ私副店長なんだからね」
驚いた。なんだかんだ世渡り上手なことは知っていたが、まさかここまでとは。とはいえ、君にはそれ以上の才能があることを僕らは知っている。目と目が合ったジオも、多分同じことを思っている。しかし、ここで口にするのは無粋だろうと思い、この日はロナの昇格をジオと二人で祝った。
帰り道、電車の車窓から見える景色はいつもより輝いていた。同時に、闇の深さがこれでもかと僕に主張してくる。この眺めは以前にも見たことがあった。
忘れもしない、三年前の、空気の澄んだ日のことだ。
「スグ、お前はよくやったよ。審査員なんてさ、年食った時代遅れの集団なんだ。それよりこれからの時代を作る…」
ジオは本当に優しい言葉をかけてくれた。その日はとある審査会の日だった。この業界で最も著名なコンテストだ。僕は二次審査で落ちた。最終まであと二回もあるのに、もう落ちた。
「スーくん、君は偉いよ。頑張った。それはあんな審査員たちより、私たち二人のほうが何百倍も知ってる。」
「ありがと」
身の回りの人は優しい。そりゃそうだ、関係が悪化すれば双方損をする。だからみんな、優しい嘘をついてくれる。僕の周りには昔から、優しい人がいてくれる。でも、いつも同時に思うことがある。裏を返せば、僕は実際たいしたことないってこと。でも、その真実は箱にしまって、心の奥底の、取り出せないようなところに仕舞う。そうすると、心の黒い渦は凪を取り戻す。しかし、一人になると心が蝕まれる感覚に襲われる。俺は、凄くなんかないんだ。才能はなかった。そう、強く思い知らされた。蝕む害虫は、いつになっても消えてくれない。
嫌な記憶が鮮明に、でも薄暗く脳裏をよぎった。この景色は他の日にも見た。賞受賞まであと一歩で及ばなかった日、渾身のデザインを褒めてもらえなかった日、後輩の才能に凌駕された日、第一志望の企業に落ちた日…やめよう。俺は知っている。この思考に意味がないことを。
「ああ、もう…」
鍵がなかなか刺さらず悶々とする。なんだか今日はもう何でもいいやと思った。
僕は靴を脱ぎ、どこの電気もつけずにベッドへ向かう。この空間だけは、僕のことを守ってくれるシェルターに感じる。この日のベッドはいつもよりくたびれて感じた。




