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第9話 冷床にこそ、自ずと咲き撓(おお)るは・・・その泪の際にか。(陸連)

伯爵夫人がアティに落とした衝撃の大きさは、アティの身体を瞬時に凍化させるほどの威力があった。

言葉が見つからず、口ごもり伯爵夫人を見つめ返すことしかできない時間が続く。

アティが理性を働かせて口を開こうとした時、別の方向から言葉が飛んできた。


「お姉さま?」


少し弱々し気な声色のその先に視線を飛ばすと、そこに居たのはアティと変わらぬほどの少女のような、だが、その年頃よりは更にか細く見えるような少女だった。


「ああ。きたのね。キャレラフィーネ。」


伯爵夫人がその令嬢に愛おしそうな温かな視線を向けた。


「紹介するわね。私の義妹のキャレラフィーネよ。

キャレラ。こちらは今日のお客様でオブスライディエ公爵の縁戚の方でね。」


伯爵夫人の言葉を受けて、アティは伯爵家の末娘であるキャレラフィーネ・ユスト・コランディナルに礼を取った。


「アティと申します。本日はご招待いただきまして、ありがとうございます。」


「さあ。これで自己紹介は終わりね。さあ。座りましょう。今日は美味しいお茶葉だけでなく、茶菓子も特別にうちのシェフが腕によりをかけて作った極上の美味しさよ。

 さあ。みんなで楽しみましょう。」




アティはお茶会の参加者を知らされていなかったが、もっと他の家門の令嬢も居るのかと覚悟を持って臨んでいただけに、伯爵家の女性だけだと理解した時には安堵して気持ちが解れていくようだった。

とても小柄で気弱な気配を感じさせる伯爵家の末娘は繊細な微笑みを続け、もっぱら喋っているのは伯爵夫人だった。

アティは伯爵夫人に尋ねたいことで自分の中がいっぱいになっていたが、この場では何も問えない。

そんなもやりとした気持ちで始まったお茶会ではあったが、伯爵夫人との会話はアティにとって爽快そのものだった。

彼女にはその底に悪意が沈んでいないこと、軽妙な語り口は彼女の頭の回転の良さとおおらかさ故なのだということ、伯爵夫人の人となりを感じれば感じるほど、アティの中でこの年上の女性に対して敬慕の念が深まっていく。




「アティ様も皇太子殿下生誕の舞踏会にいらっしゃるとお聞きしたのですが。」


お茶会も半ばに差し掛かった頃、人見知りの気配がだいぶ薄れてきた伯爵家の末娘キャレラフィーネが、遠慮がちではあるが親しみも籠った眼差しをアティに向けてきた。


「はい。ご招待をいただきましたので。」


「あの、アティ様も、今回の舞踏会がデビュタントになるのですよね。」


「え?ああ、帝国ではそうなるのですね。確かに初めての舞踏会になります。」


「ああ。アティ様。私もなのです。」


幼子のように頬を染めながら喜びを薫らせるキャレラフィーネだったが、すぐにその顔が曇る。


「でも、わたしは身体が弱いし、それに。私はあの場所が怖いのです。」


「あの場所?皇宮がですか?」


少し怯えるかのような表情を浮かべるキャレラフィーネの姿は、アティには意外なものだったが、その驚きと同時にこの純真無垢な令嬢をここまで脅かすものはなんなのかという疑問と彼女に対する憐みのような思いがアティの中に広がっていく。


「あの世界は私には呼吸さえできぬほどの、いえ、私はもともと社交が苦手で。」


繋がらぬ言葉を懸命に紡ごうとしているキャレラフィーネの姿の健気さがアティの胸の中にポツリっと滴り、そこから彼女への憐憫と情が入り混じっていくのを感じる。

この思いを彼女に何か言葉で渡してあげれたらとアティはふさわしい言葉を自分に探る、その想いを感じ取ったかのように、いやきっと同じ気持ち故にだったのだろうか、伯爵夫人がさっくりと会話を明快に攫った。



「キャレラフィーネは人の悪意に敏感なのですよ。この子は繊細な心の持ち主でね。

私もあの黒い沼のような社交界は辟易しているから、理解できるのだけどね。

はっきり言えば嫌いだし。

まあ、それでも私は、底なし沼の底に穴を開けて、沼の淀みを空ける剣を持っているけど。

この子は優しいから、全部を自分の身に受けてしまう。

そう、だから、キャレラ。私も家族もあなたに無理はして欲しくないの。デビュタントなんかしなくても。」


小動物のように可愛らしい彼女が珍しく伯爵夫人の言葉を遮るように、自分の言葉を被せてきた。


「おねえさま。ありがとうございます。

でも、わたし、わたし・・・この方となら大丈夫だと思えるんですの。

アティ様。お願いです。私のデュオソロル(ペア姉妹)になっていただけませんか?」」


「え?」


自分の口から飛び出した疑問符が宙に浮くのが見えた気がした。この展開はいったい、彼女はいったい何を?








帝国デビュタントは大陸の中でも独特のスタイルを持つ。

その年に皇宮舞踏会でデビューする年頃の娘達は、舞踏会前にリハーサルのような場に数回参加する義務があり、それは舞踏会に参加するためには必須となっている。

言い換えれば、そのリハーサルの指導単位を全て取得した令嬢のみが皇宮舞踏会でのデビュタントを許されるのである。

もちろん皇宮から招待状が届いた令嬢に、という前提はあり、そうでない令嬢は自らの家門と釣り合いの取れた舞踏会にてデビュタントの機会を得る、というのが通例となってはいるのだが。

だが、ここ近年というか皇太子が成人の儀を迎えてからの皇宮はその垣根を取り除こうとするかのごとくに帝国の貴族令嬢達にその門戸を広げ、特に皇太子殿下の生誕を祝う舞踏会には帝国中の令嬢達が招かれるようになっていた。

それは高位貴族だけに限らず、功績をたてた者それが平民であってもそれが褒賞となるかのごとくにその者の娘が招待されたりということもある故に、一年に一回のその舞踏会への招待は皇太子の意向によるのでは?という噂まで流れる始末。

招待される人数に限りがあるからこそそこに競争が生まれ、令嬢が皇太子に最も近づける好機と捉えられることで更に付加られた希少価値は人々の間に狂騒を生むこととなっていったのである。




そうして純白を纏う無垢な煌めきのデビュタントは、リハーサルの場からもはや闘いの場のような緊迫感と残酷な序列さえ従えて年々薄黒い人間関係の場へと変化していく。

これは家族の愛情の中で純粋培養されて幸福に生きて来たキャレラフィーネには酷な場所であった。


「アティ様。来週からリハーサルの講義が始まりますよね。」


「ああ、そういえばそんなこと言ってたかな」


実はアティはリハーサル等すっ飛ばして舞踏会のみに参加するくらいの軽い気持ちでいたのだが、自分が思っていたよりこれは参加が必要な事案なのだろうかと思い直し始めてもいた。


「アティ嬢。多分リハーサルは参加したほうがいいと思う。」


アティの心を読んだかのように伯爵夫人が諭すような口調でアティに言った。


「そうですわ。なので、アティ様。わたしと組みましょう。

皇太子殿下の生誕舞踏会のリハーサルは人数が多い為、グループでレッスンが多いようです。そしてそのグループは幾つかのデュオソロルの組み合わせで構成されますし、本番でも同じ席を準備される率が高いと。

そして何よりその後の社交活動でもとても親しい間柄となるそうですの。

ね?わたし、アティ様となら、あの場所を乗り切れる気がするんです。

だって、あなた様は・・・。」




キャレラフィーネの話の中身はアティにはあまり意味を成さないものとしか響かない、とはいえ、無口な少女が懸命に言葉を繋ぎながら自分に向けて乞うように話を紡ごうとしている彼女のその健気さはアティの心を揺らすには十分だった。


「キャレラフィーネ嬢。私に何ができるかはよくわかりませんが、あなたさまと共にいることで私が何かお役に立てるのであるならば、どうかご一緒させてください。」


「ああ。アティさま。ほんとうに?」


「はい。せっかくですから、二人で思い切り楽しみましょう。あらゆること、全部を。」


アティは彼女に向けてにっこりと大きな笑顔の花を咲かす。


「ありがとうございます。アティ様。本当に嬉しいです。本当に。あなたさまと一緒に皇宮に在ることができるなんて。わたし、負けませんわ。何にも。決して。あなたとなら。」


キャレラフィーネ嬢の興奮が茶会の場を熱くしていくかのよう。

正直アティには彼女の熱もよく理解できないままだったが、まあこれほどに喜んでもらえるのならよかったことだ、という嬉々とした安堵感に燻られていく自分が心地よくもあったのだった。

 

「アティ嬢。」


場の熱に巻き込まれない筋の通り方でそこに在る伯爵夫人が真摯な顔つきでアティの手を取りぎゅっと握りしめた。


「わが家門の者一同になり代わり、あなたに深い感謝を。これで私達家族は安心して義妹を送り出せる。」


「いえ。そんな私は何も。」


「いいえ。あなたは私たちのルクス(光)故に。どうか彼女を頼みます。」


「はい。私の力を尽くしてお守りします。」


伯爵夫人の言葉に籠る真心に感じ入りながら言葉を紡ぐアティの中には、確かに彼女を守護する(まもる)のは私であるべきで、そうなりたいものだ、という摩訶不思議な衝動が波紋となって広がり始めていた。

と同時に自分の心の中を理解できかねることが心地よくはないけれど、でも何故?という思いは彼女の柔らかな微笑みを受けることで全てが会得されるという理屈ではない現象が自分に起きているのだと、そう悟った時、アティは心が微笑するのを感じた。


うん、これはわたしの中で”よし”となるもの。なら、それでいいわ。

この波は絶対に私を堕とすのではなく沈める意図も無い。

“善の善なる”彼女を私の本能が愛おしく思い始めているのだもの。

ならば私は自分を信じる故にこそ、私はこれに揺蕩おう。





「アティさま。舞踏会の準備のことですけど。」


前途に安堵した故にか、舞踏会のことを好ましく語りかけ始めたキャレラフィーネ嬢に応対しながら、アティは、ああ、そうだと閃く。


「キャレラフィーネ嬢。ご迷惑でなければですが。

舞踏会のお支度のお手伝いから、私にお任せいだけませんか?」


「は、はい。おねえさま、よろしいですわよね?」とキャレラフィーネ。


「キャレラがよいなら、アティ嬢にお願いしよう。」と伯爵夫人もにっこりと。


「ありがとうございます。どうかお任せください。私の持てる力を全て尽くします。

キャレラフィーネ嬢。一つだけお聞かせください。

あなたは、なんの花になりたいですか?」

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