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第5話 冷床にこそ、自ずと咲き撓(おお)るは・・・その泪の際にか。(弐連)

「えっと。」


突然の訪問にも、公爵は表情のない顔で応えてきたが、そこには初めての頃の怜悧な彼がそのまま在ったが、もしこちらに何か疑念を呼び起こすものが見えればすぐにでも刺すかのごとき冷徹さはもはや微塵も感じられなかった。

だいぶ前に公爵から《自分に対して礼を取る必要は無いし、縁戚の者として迎えているのだから、遠慮なくそう振舞って構わない》と言い渡されていたアティではあったが、執務室でテーブルを挟んで面と向かって座っているこの状態に緊張の糸がなかなか緩まないのは、まあ、彼故にだから、致し方ないことだわ、と少し俯き加減の彼女はチラリっと上目遣いに彼を見た。


彼はとても寛いでいるように見えた。

今日のブラウスは黒い羅紗の生地を使っているようで、いつもながらにシンプルではあるが、胸元を同じ生地で編んだ組み紐で交差させて留めるように仕立てられている。

パンツはいつもの訓練用のものではなく、黒のスラックスで腿幅にゆとりがある仕立てが、今日の彼を優雅に見せている。


洗練されている、というわけではないけれどとアティは彼を見るといつも思う。

上質な香りを醸し出しているのは屋敷の服飾士達の腕がいいからなのか、それとも、洗いざらしの綿を着たとしても彼自身から燻る高貴な香気さは隠せない、ということだろうか等と頭の中が雑念でぐるぐる回り続けている彼女の目に、彼の口がゆっくりと開かれるのが映った。


「不自由はないか?」


彼の言葉がアティの耳に響く。


いつも、と彼女は思う。


彼の言葉には装飾がない。


それはぶっきらぼうな感情の籠らぬ単語のような言葉遣いで。


人によっては誤解を招きかねないような彼の、だが、そこにあるのは決して濁らぬ素朴さ、彼の本質が差し出す善意そのものであるのだ。


そのことを、公爵邸で過ごす内に、アティは彼自身と、彼の周囲の人々が彼に捧げる敬愛の情を何度も目の当たりにする機会から学び始め、気付けば彼女自身もその心根で彼を敬慕するようになっていたのだが。

まだ恋も愛も、それがなにごとかすら知らぬ彼女には、彼に対するそれは家族の親愛に近いものだろうかと心地よい理解となって認識されるままだった。



「はい。むしろ。」

「むしろ?」

「えっと。」


ああ、メイリの顔が、幻が浮かんできて、私に何か言ってるように見えるかも。

アティさま。今ですよ。今です、と妄想の中のメイリの声援が加速していく。


「ああ、もう、分かったわよ。」


メイリの幻に応えた自分は、今、声を出していた?まさか?

でも、でも。

公爵が訝し気に自分を見ているような気がするのは、ああ、これは気のせいではないわ。


「公爵閣下。」

上擦った声もまた自分に違いないけれど、自分の中の羞恥をかき集めて勇気という逞しさに変換しなきゃ、とアティはその勢いに乗ったまま感情に自分を許す。


「メイリを護衛に付けてくださったこと、心から感謝申し上げます。本当に、あの、」

湧き上がって来る気持ちを上手く言葉に紡げない自分がもどかしい、とそれでもまだ足りない、と言葉を探しているアティに、彼が笑った気がした。


「そうか。それは良かった。メイリは騎士としても、人としても良い奴だ。安心して頼ればいい。」


「はい。彼女はとても親身になって側に居てくれます。私は彼女に出会えて幸運だといつも思っています。あの、」


彼がアティの言葉を待っているのを感じて、彼女は思い切って最後まで言い切ることができた。


「私に、お茶を淹れさせていただけませんか。おやすみ前に飲んでいただけたら、きっと良い夜が訪れるはずです。」


「良い夜?」


「はい。自信があるんです。」


アティは公爵が何も言わずただじいっと彼女を見つめているのを、言いたいことを言い切った満足感からにっこりと微笑みでもって見つめ返した。


自分の言葉に自信が戻ってきたアティは得意の提示口調で話し始めた。


「メイリに聞いたんです。疲労で眠りが浅い夜がおありになるんだって。

で、私。お茶をブレンドするのが得意なんです。メイリもそれでよく眠れるようになったって。

だから、ですね」


ついぺらぺらとしゃべり続けてしまった自分に気付き、公爵の沈黙をどう捉えたらよいのかと、アティは脳を回転させながら、言葉を繋ぐ。

「もし、毒見など必要でしたら、私が先に飲んで毒見になりますし、ああ、コバギさんに一緒に居てもらって、それから、」


なんでもかんでも思いつくままに言葉が飛び出るのは、自分にしては珍しく焦りが駒のように自分の感情を弄んでいるからなのかと、窮してきた彼女は沈黙のまま俯き加減の公爵の肩が震えているのに気付く。


「こう、しゃくさ、ま?お加減が?」


「ハッ、ハハハハッ。」


え?笑い?声?


彼女の唇は軽く開いたまま、もう言葉が途切れてしまったけれど、アティはお腹を抱えて笑う彼をただただ見ているだけの自分を感じた。


「ああ。すまない。いや。分かった。お茶だな。」


ひとしきり笑った後、なにかすっきりしたような表情で公爵がアティに言う。


「ぜひ、頼むとしようか。メイリもお墨付きの眠れるお茶というのを。」


「はい。お任せください。いろいろなブレンドを試してお持ちしますね。早速ですが今夜は」


公爵に就寝前のお茶の支度を任されたという、その信頼がアティにはご褒美のような喜びを与えてくれる。


「そうだな。今夜。俺の部屋に来てくれ。その自慢の茶を持って、な。」


「はい。お任せください。では、また後程。失礼いたします。」


嬉しくて、もう頭の中は彼に出すお茶のブレンドのことでいっぱいになりながら、アティは自分の足がいつもより軽く浮き上がっているかのようにさえ感じて来るのを、そのまま堪能することにした。



ダンスのステップを踏みかねないような、そんな喜びが全身から発散された彼女の背中が部屋の扉へ向かうのを見つめながら、公爵はまた笑い出しそうな自分を懸命に堪えていた。


まったく。少女の様な幼さの中に、大人びた振舞いをしてくる突拍子もない面も垣間見えて、いったいどんな危険な女なのかと思わせる、と思い込んでいた俺は、とんだ愚か者だったな。

あれは、まったくもって、ただの無垢な幼い少女でしかない。


今夜はお茶が無くても笑い疲れて眠れそうだが、とまた奇妙に可笑しさが込み上げるのは、彼女の純粋さに安堵している自分がいるからなんだろうか、とふとそんなことまで。

いや、まさか、妹のような年齢の少女故に。まっさらな心が似合う彼女がそうであったことが年長の者としてただ嬉しいのだろうと、彼はそこで分析を締めてみる。


「ああ、そういえば。」と彼女に言わねばならぬことがあったのを思い出した。

大事なことを、俺が忘れるとはな。

今夜、お茶を飲みながら、伝えよう。

彼女はどんな顔をするだろうか。




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