第3話 その土壌は、温床たるや? (参連)
「ルレリ。今日は公式の予定は入っていた?」
彼女はお気に入りのお茶の香りを楽しみながら、カップに口をつける。
「そうでございますね。商団の大陸会議が午後から、と、あとはホルトゥス(庭)の各責任者達からドミナ(女主人)にご相談があるということで、謁見を申し出ておりますが。」
「ああ。それは大事なことね。大陸会議の前に彼らと会いましょう。」
フフフと微笑みながら、彼女はカップのお茶を飲み干すと、テーブルにそれを置いて立ち上がった。
そこは部屋ではなく空間という言葉がふさわしい、とそこを訪れる者は皆そう感じる。
その構築がどういう理論から成り立っているのかは、私などには理解しがたいが、と彼女はいつもながら自分が関わっているというか、自分を見出してくださった方の偉大さに感服するばかりだった。
シュッゥ、リーン。
柔らかな音色が聞こえたかと思うと、一部屋ほどの空間の天井がまるで花弁を開くかのように壁と認識しているもの全てを取り払って違う次元をもたらしていく。
視界が球に転がるように自分自身の感覚が螺旋に取り込まれていくかのような感覚。
これは、本当になんともいいがたいほどの愉悦と畏怖の入り混じった高揚感をもたらす。
ここには、だれもが在ることが出来るわけではないのよ、とあの御方が仰ったことがあるのを思い出しながら、ふううっと大きく息を吐きながら瞼を閉じる。
確か私もまた精進が必要だなと己を律するばかり、とそんなことを考えていると、空間が呼吸するかのように匂い立つのを感じる、と同時に無色透明の膜のように感じていたその場所に淡い色と温もりが籠った。
「これは、ラベンダー?」
自分の口から呟きが洩れた。
と、すぐ側に気配が生じたのを感じてそちらに身体を向ける。
そこにすらりと立っている女性が彼女ににっこりと微笑んだ。
「ドミナ。いらしてたんですね。ご挨拶申し上げます。」
彼女は自分の主である女性に礼を取った。
「ごきげんよう。今日の“花”は気に入ったかしら?」
空間をうっすらと染め上げているような薄紫の花弁の優しい色合いと、そこから生まれた成分が気化して空間に散逸していく~
ああ、これは極上だわ、と彼女はそこに身を委ねたくなるほどの喜悦に震えそうになる。
「はい。これほどの純香は。」
「ふふ、喜んでもらえて良かったわ。さて、あなたがまとめてくれた報告書、いつもながら分かりやすかったわ。ありがとう。提案や質問に解答したものがここにあるから、目を通してもらえる?それで意見を聞かせて欲しいの。その後、各部門の責任者の人たちと話し合いの場を持ちましょうか。」
「はい。ドミナ。」
気持ちを切り替えて書類に目を通している彼女の姿を見入りながら、ドミナと呼ばれる女性は“花”が開くとは彼女のようなことをいうのかしら、とふとそう思う。そうして手元のガラス瓶の蓋を開いて新しい茶葉をティ―ポットに入れ、お湯を注ぐ。と、茶葉の香りがドミナと呼ばれる彼女の鼻孔をくすぐった。
今日のお茶を飲んだ時の彼女の顔を見るのが楽しみね、と自分の中の期待感にワクワクしながらドミナと呼ばれる女性は無意識に胸元のペンダントに手を置いた自分に気付く。
白金の細い鎖の先に星屑のような花弁を模して細工されたアメジストが花開くかのように揺れている。
その裏側はロケット造りになっているのだが、それを知っているのは持ち主である自分と侍女のルレリ。ああ、そしてそれを贈ってくれた彼のみ。
だって、これは・・・と彼女はアメジストをそうっと撫でるように触れた。
彼と私の、約束なのだもの。そう、そして”秘”されるべきもの故に。
私の記憶の中で、ドミナはいつもあのペンダントを身に着けていらっしゃるような気がする、と彼女はドミナから受け取った書類に目を通しながら、おそらくは自分の為にお茶の準備をしてくださっている自分の主をちらりっと見てそう思った。
でも今日のように少し俯き気味で虚ろな表情のドミナは珍しいかもしれない、と彼女は思った。
そういえば、私はこの御方の微笑んでいる顔しか見たことがないのかもしれない、とも。
そうだ。あの時から、いつもこの方は・・・。
「ようこそ。ディラリア様。お待ち申し上げておりました。」
ベルドゴン男爵令嬢ディラリアは昨夜突然受け取った”招待状”を握り締めたまま、開かれた扉の向こうへ一歩足を踏み入れた。
何故、来てしまったのだろう。
こんな怪し気な招待に応じてしまった自分が信じられないと思いながらも、最近社交界で耳にしていたあの噂の館に、本当に自分が招待されたのだろうかと込み上げてくる不安と、心のどこかでそれを信じたいと期待している自分とのバランスに気持ちが揺れている。
「こちらでお待ちください。」
彼女は応接室のような部屋へと通された。上質な座り心地のソファに腰を下ろして待っている間に彼女は部屋の中を見回した。華美な装飾品等はないが、上質な家具が置かれている。飾れられた花は上品にアレンジされており、生けられている花瓶も高価そうに見えた。
彼女は自分の目の前に置かれたティーカップを持ち上げて、その温かい香りを鼻で味わう。
「これは。」
鼻から喉へ、そこから彼女自身へと、頭のてっぺんから爪先へとすうっと燻りながら広がっていくその香りの優しさに、彼女は思わず口から言葉が零れるほどの軽い衝撃を受けていた。そして今度はカップの中に揺れる琥珀色をゆっくりと口に含んだ。
「美味しい。」
そう呟く自分の言葉が心を染めるかのように彼女は緊張して凝り固まっている自分自身が解れていくかのような感覚に包まれたのだった。
ガチャリ。ドアノブの音がしたかと思うと、扉が開く。
「お待たせしてしまってごめんなさいね。」
そう言って颯爽と部屋へ入ってきたその女性は、軽やかな足取りでディラリアの前に現れた。
自分の前に現れたその女性に視線を向けたディラリアは手に持っていたティーカップを落としそうになる。
「あ、あなたは。」
その女性は、にっこりとした笑顔をディラリアに向けると、唖然として自分を見つめるディラリアに向かって声をかけた。
「そのお茶はお気に召したかしら?」




