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第2話 その土壌は、温床たるや? (弐連)

「号外!号外!」

帝国首都ヴィデリクスの街に帝都新聞の号外が舞い降りた。

その日一日、街の人々の話題はその記事でもちきりだった。


「うひゃあ。皇太子殿下には婚約者がいなかったか?」

「ああ。そういえば、だいぶん前に。どっかの国から?」

「いや、病気で亡くなったとか言ってなかったか?」

「いや、療養中とか~」

「じゃあ、これはどういうことだ?」





『マリディクトベリシュ帝国皇太子が、新年の舞踏会に花嫁候補を招待する。

高貴なる皇太子の心を射止めて、帝国皇太子妃となるのはいったい?』


このセンセーショナルな記事は帝国のみならず、大陸中の国々へと配信された。

そしてそれは海を越えてトルティット王国まで届き、帝国に王女を送り出した島国の人々に衝撃を与えたのだった。

「帝国は我らが王女をコケにしている。帝国は我が国を馬鹿にしているのか?」

トルティット王国の世論は帝国への批判で膨れ上がっていた。

「国王陛下。どうか王女をこの国へお戻しください」

トルティット王国王子は父である国王に願い乞うた。

そして彼は家族である大切な王女と王国の名誉の為に帝国へ向けて海を渡ったのである。






さて、ここで時間の流れを遡行してみてもよいだろうか。

少し気になるあの時間へと。時間軸の横軸を円環できればいいのだが。

彼らの元へ。心ごと遡ってみようかと・・・。



2年前、マリディクトベリシュ帝国皇太子とトルティット王国王女との婚姻の話が持ち上がる少し前のこと、一人の少女が帝国の在る場所へと足を運んでいた。

黒いマントで身を包むようにして一枚の手紙を片手に彼女はその館を訪れていた。

扉を開いて出迎えた執事に彼女はその手紙を差し出す。


「先日、ご訪問のお手紙を差し上げた者です。これはその時にお約束していたものです。」

執事は何も言わずにその手紙を受け取ると、彼女を応接室へ案内した。



応接室は決して派手な造りではなく、ありきたりな部屋だったが、置かれている家具は長年使いこまれた上質な木材の醸しだす高貴さに包まれている。

彼女は目の前に出されたカップのお茶の香りに癒されながら、その上品な味わいを自分の舌が喜んでいるのを感じる。

美味しい。こちらに来て久しぶりに美味しいお茶を飲んだ気がするわ、とほおっと気持ちが緩みかけた時、ガチャリっと扉が開いてこの館の主が部屋に入って来た。


大きな身体の人ね、と彼女が最初に思ったのはそれだった。

とてもラフな服装に見えるが、上質な絹で丁寧に縫製されている黒いブラウスと、鍛錬で使うようなシンプルな黒いパンツのいで立ちの男性が大股で部屋を突っ切るように彼女の前に現れた。

彼女は立ち上がり、礼を取る。


「本日はお時間を取っていただきまして」と言いかけた彼女を、彼は軽く手で制してぶっきらぼうな物言いで言葉を放った。


「挨拶はいい。座ってくれ。」


「はい。ありがとうございます。」


彼女は彼の前に座りながら、作法には反するけれど、この流れに乗ってあえてまだ名乗らぬままでいようかとふと思う。


彼の手には、彼女が執事に託したあの手紙がある。


では、読んだのだわ。と彼女は思った。彼はどうするかしら?と。

そして彼女はただニコニコと笑顔を貼り付けながら、目の前に男性をじいいっと見つめ続けた。

彼女はあえてまたカップを持ち上げてごくりと茶を呑み込むと、ゆっくりとカップをテーブルに戻した。


と、痺れを切らしたかのように、彼が口を開いた。


「で?用件は?」


うっすらと琥珀色の肌に黒い服装がよく似合っているわ、と思いながら、彼女は彼のアメジストのような光を放つ瞳を真っ向から受け止めて微笑んだ。


「あの手紙を読んでいただけたのですか?」


「ああ。そうでなければ今ここに、そなたはいないだろうが?。」


言葉の端々に彼の苛立ちが立ち昇り、この場を燻らせるかのようだった。


「私の身元に関しては、ご紹介していただいた伯爵さまのほうに照会済みでございましょう?」


まだ少女のように見える彼女の少し揶揄うような大人びた表情に、彼は少しばかりの驚きを感じながらコクンと首を縦に振ると、彼女の次の言葉を待った。


彼女はその澄み切った空のような瞳を煌めかせながら彼に言い切った。


「皇太子殿下に会わせていただけませんか?」





トントントンと、彼女の目の前の男性は曲げた指でテーブルを打ち続けた。

ちらりと一度だけ彼女を凝視して、また視線を手紙に戻す。


「一つ聞きたい。」


ふいと彼女の方に顔を向けて彼が問うた。


「何故、ここに?俺を?」

頼ってきたのか、と彼の眼差しが問うているのを感じた彼女は微笑みを閉じて、真摯な顔つきでこう答えたのだった。


「あの、方があなたは信に値すると。」


たった一言の言葉であったが、彼にはそれで十分だった。


「よかろう。皇太子殿下と会えるよう手筈を整えよう。だが、条件がある。」


「はい。」

返事をしながら彼が何を言いだすのかと彼女は少し身構える。

だが、もとよりすんなりと要求を呑んでもらえるとは思っていなかったのだから。

どんな要求でも上手くこなしてみせると彼女は覚悟を持って彼の言葉に耳を傾ける。


「皇太子殿下にむやみに女性を近づけることは、のちのち面倒なことになるのは目に見えているからな。そなた、この件でしばらくは帝国に滞在するのだろう?」


「は、はい。」


「では、ここに居ればいい。」


「え?」彼女は自分が仰天に近い衝撃の中にぽおんと放り込まれたような感覚に包まれた。


「こ、ここに?」


「ああ。そうだな。俺の遠い縁戚の者だということに。そうすれば殿下との席も設けやすいし。」


それから先の言葉は無いまま、彼がヒヤリと冷気を感じさせるほどの視線を向けたのを感じ取った彼女は、心の中でその続きを呟いた。

(ああ、そう。ここに私を置けば、監視も出来るってことね)


「閣下のおっしゃる通りにいたしますわ。ただ、ここに籠っているつもりはございません。

私は自分の行きたいところには自由に参ります。それでもよろしくて?」


彼女がさらりとそう言うと、彼はコクンと頷いた。


それを受けて彼女はすうっと立ち上がり彼に向かってカーテーシ―を捧げる。


「わたくしはアティ。寄る辺を持たぬ民、アティでございます。

オブスライディエ公爵閣下。どうぞよろしくお願い申し上げます。」





「こちらをお使いください。」

そう言って執事が案内してくれたのは、とても美しく設えられた客間だった。


白が基調の部屋の壁紙には淡い黄色の花模様が描かれ、家具は落ち着いたクリーム色で統一されている。レースがふんだんに使われた天蓋付の寝台はとても優雅だ。


「こんな立派なお部屋をよいのですか?」


思わずそう尋ねてしまったアティに執事は柔らかな顔つきで答えた。


「公爵閣下から丁重にもてなしをとのことでございます。何かご不自由がございましたら、お申し付けください。それから、お嬢様のお世話をする侍女をと考えておりますが、いかがいたしましょう?」


「ありがとうございます。執事さん。」


「コバギとお呼びくださいませ。」


「はい。コバギさん。侍女は必要ありません。私は自分のことは自分でできますので。」


アティの言葉に彼女の意を汲んだ執事コバギはそれ以上は何も言わなかった。


「では。身の回りのことは、このベルでお申し付けください。」


「ありがとうございます。コバギさん。これからよろしくお願いします。」


こうして、マリディクトベリシュ帝国の剣と呼び名の高い、オブスライディエ公爵の庇護の元、澄んだ空の瞳を持つ彼女、アティの帝国での日々は始まったのである。



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