第15話 遭遇に咲く邂逅の涙を拭わんと…(弐連)
ベルドゴン男爵令嬢ディラリア。
彼女はいたって平凡な生い立ちを持つ凡庸な令嬢だというのが、社交界における彼女の最初の評価であった。
そう、栗毛の髪に同じくブラウンの瞳を持ち、小柄な彼女は上品な所作でありながらも人に対して謙虚な姿勢を崩さず、それ故にか気性の激しい令嬢達からは少し見下されている感も否めない。
同世代の令嬢達の傲慢な態度にも決して怒りを露わにせず、むしろそれをぐっと飲みこんで微笑もうと努めている彼女の姿勢は良識のある貴い婦人のそれなのだが。
だが、家門の格式の高い傲慢な令嬢達にとってはディラリアは退屈な社交界の憂さを晴らす格好の獲物となっていた。
この哀れな男爵令嬢には特に後ろ盾も無く、むしろその家門は斜陽と噂されている。それに加えて彼女は既に醜聞塗れだったのだから、貴婦人達にとって無価値と判断されたこの男爵令嬢は最も容易に攻撃しやすく揶揄しやすい社交界の玩具、公然と無視することさえ承認されたかのような存在にまで堕ちていたのだった。
そもそもディラリア自身は首都での暮らしを望んでは居なかった。
彼女は社交界にはあまり興味も無く、もし許されるのであればベルドゴン男爵家の領地に引きこもったまま、自然の恵み豊かなその場所で領民達と共に彼女らしく穏やかな暮らしの中で生きていたかったのだが。
だが、過酷な現実が情け容赦なく彼女の周りに忍び寄ってくる。
始まりは領民の間に蔓延り始めた流行り病だった。
あっという間にベルドゴンの領地はその流行り病に蝕まれ、多くの領民が命を落とした。
そしてその時、男爵夫人であるディラリアの母もまた亡くなってしまったのだ。
男爵夫人は夫を娘を心から愛する温厚な夫人であったが、領民のために自ら煎じた薬草を届けるような慈愛深い領主夫人でもあった。
そして男爵夫人を失ったベルドゴン男爵は、虚ろな心を抱えたままではあったが、流行り病で領地が被った経済的損失をなんとかして取り返そうと首都と領地を行き来する忙しい日々を送っていた。
ディラリアは母が心から愛し、父が必死で守ろうとしているこの領地を、領民たちの暮らしを支えるために何かできることはないかと、若い令嬢ながらも書物を読み、執事に教えを乞い、母に教わった薬草の知識をさらに深める努力を惜しまず、母に代わって薬草を煎じて領地を見回って、と彼女なりに懸命に日々を過ごしていた。
だが、そんな日々のも終止符が打たれる。
首都に赴いていた父が倒れたという知らせが届き、急遽彼女も首都へと旅立つこととなったのだ。
そして彼女が領地に戻ることはもうなかったのである。
父を、ベルドゴン男爵家を取り巻く状況は、ディラリアが思っていた以上に深刻なものだった。
なんの利点も後ろ盾もない男爵家の苦境に救援の手を差し伸べるものは皆無に等しかった。
久しぶりに会った父は憔悴しきった顔で寝台に横たわり、「ディラリア、すまない。すまない。」とうわ言のように呟やきながら意識が戻らないままの状態が続く。
彼女はまだ十代の若い令嬢であり、唯一の肉親である父の姿に愕然とするばかりであった。
父の回復をいのりながら、これからいったいどうしたらよいのだろうかと思案する彼女のもとに客が訪れる。
それは、ベルドゴン男爵家の傍系の家門の令嬢が嫁いだコーリャ家という家の者だった。
「突然の訪問をお許しください。」
応接室で彼女に向き合っているのは、パンタルア商団の主であるモルギ・パンタルア。
パンタルア商団はこの国の商団の中では中堅に位置してはいるが、ここ数年で首都にて急速に力をつけてきていると評判の勢いのある商団だった。
ベルドゴン男爵家傍系コーリャ家の令嬢が嫁いだのは、このモルギ・パンタルアの嫡男であった。
モルギ・パンタルアはディラリアに丁寧な口調でこの訪問の意図を話し始めた。
ディラリアはこの厚意を”親類からの情”として受け止めていいのだろうかと戸惑いながらも、父の意識はなく回復の見込みすら立っていない現状で、身内故に男爵家を支援したいといって現れたモルギ・パンタルアは彼女にとって縋ってしまいたくなるほど心強い存在になっていったのである。
そんな日々の中でモルギ・パンタルアはディラリアにある提案をする。
「え?私が社交界に?」
それはディラリアには思いもよらぬ提案だった。
「でも、いまはお父様のご容態の良くないですし、それに、今は、」
父のこと、領地のことを考えれば、とても社交界などに出向く気持ちにはならず、そして今の男爵家には金銭的にもそんな余裕はないことは明白だった。
そもそも彼女は自分にかける金銭があるならば領地の金策に回したののだから。
「いえ。ディラリア嬢。よくお考えになってください。貴女が社交界に出れば、男爵家の領地に興味を持つ貴族の方がいらっしゃるかもしれなのですぞ。
そうなれば、領地に良い影響を与えることも可能になるのでは?男爵令嬢の貴女が社交界に姿を現すことで男爵家に纏わる悪い噂も払拭されるかもしれません。」
「悪い噂ですか?」
「ああ、失礼。やはり、男爵様が重体にて男爵家は破産の恐れがあるのでは?などという噂が一部の貴族の方達に広まっているようで。このままではベルドゴン男爵家との付き合いを辞退する貴族が増えかねないのではと心配しておるのですよ。」
ああ。なんてことだろうか。確かに金策尽きた現状ではあるけれど、きっとお父様はなんとか借り入れをしてこの冬を乗り越えれば春の収穫で多少の挽回が可能だと思って動いていらしたはず。
領民たちがこの冬を飢えることなく生き抜くためにも、どうしてもある程度のお金が必要なのに。
「領地のために。私が社交界に出れば、何かの役に立つのですか?」
「ああ。ええ、賢いお嬢さんだ。その通りです。ご準備は私が全部いたしましょう。」
「そんな、ご迷惑を。」
「いいえ。お任せください。同じ家門の者、ではないですか。ああ。息子の嫁が、ですがね。」
「まあ。ご親切に、本当に感謝申し上げます。パンタルア様。私になにかお返しできることがありましたら。」
「ああ。そうですか。では一つだけお願いをしても?」
「はい。なんでしょうか。」
「実は息子の嫁の家門といいますか、こちらの男爵家の傍系の家に私が目をかけている者がおりましてな。その者に貴女さまのデビュタントのパートナーを務めさせてはいただけないかと。」
「え?あの、ですが。あの」
「ああ、存じておりますとも。デビュタントのパートナーは親しき者に限られると。ですが御父上は病に伏しておられる。その者は嫁の家門の子息でありますので、まあ特に問題はないかと。」
「あっ。それは、ですが。」
モルギの話に押され気味に乗せられるかのように話を聞いていたディラリアだったが、あまりの展開に驚きを隠せない。
「ああ、もちろん、その場限りで構いません。私としましてはその者をゆくゆくは我が商団経営の中核を担う人材として考えておりましてな。その為にもこの機会に少しでも高位貴族方達との人脈を築くことができれば、と切に願っているのです。貴女様のパートナーを務めさせていただくことはそれはとても価値のあることなのですよ。
いかがでしょう?」
モルギ・パンタルアの提案にディラリアの頭の中はぐるぐると何かが渦を巻いているかのように混乱していた。
デビュタントのパートナーに家族以外の男性と並び立つということは、恋人、それも婚約を控えた親しい仲なのだと公言するに近い行動と見られるはず。
婚約?それも一度も会ったこともない男性と?どうしよう、いったいどうしたらいいのだろう
彼女は答えを求めながら、理性と感情の螺旋に引き込まれていくかのような自分をどうすることもできないでいる。
そんな彼女の様子をじっと見つめていたモルギ・パンタルアはにっこりと大きな笑い顔を彼女に向けると更に畳みかけるようにこう告げた。
「どうかなんのご心配のなさいませんように。ご安心ください。貴女さまがこの提案を受けてくださるのでしたら、私もパンタルア商団の主として精一杯の誠意をもって男爵家をお支え致しましょう。家門の抱える金銭的な問題も、御父上であられる男爵さまの治療に関しても最大限のご支援でもって全て解決させていただきますぞ。いかがですかな?決して悪い話ではないかと?」
ああ。なんてこと。これはもう避けることのできない提案としかいいようがないわ。
デイラリアは世間知らずな若い令嬢ではあったが、自分が何を失おうとしているのか、漠然とではあったが理解できないほど愚かではなかった。
結果的に婚約者でもない男性と並び立つことは彼女の社交界での評判をズタズタに引き裂くことは間違いないだろう。
そう、それは彼女のように未婚の令嬢の将来にとって致命的な傷となるはずだ。おそらく彼女にはまともな結婚相手を見つけることも叶わなくなるはずだ。
そこまで考えた時、彼女は妙に自分の頭が冷静に覚めてくるのを感じた。
そうよ、そうねとそこまで考えて、だが、と彼女は思う。
そもそも大切なのは何なの?と自分の評判などいったいなんだといいの。そう、そうよ。大切なのは、私ではなく、お父様と領民の命だわ。
ディラリアはごくんと大きく唾を吞み込むと、自分の返答を待ち構えているモルギ・パンタルアの瞳を見返して口を開いた。
「分かりました。パンタルア様のご提案をお受けいたします。どうか男爵家を父を助けるために力をお貸しください。」




