第12話 その指数にて咲くは・・・つきづきしい故にか・・・(参連)
「あれは、どこの家門の?」
「いままで見たことがないのはなぜだ?」
「いったい、あの令嬢は?」
大広間には人々の興奮が渦巻き始め、そこから生じた熱がその場を制そうとしているかのようだった。
シャンデリアの光が薄紅色に染まったかのような銀色の髪を浮き立たせている。
前髪から頭頂部へとふんわりと結い上げられた髪から耳の横に垂らされた後れ毛がクルンと揺れている。
デビュタントのレディである証のティアラは小さな真珠で作られた花の連なりで出来ており、所々に散りばめられたクリスタルがティアラを煌めかせていた。
ティアラと揃いの真珠の花が彼女の耳に咲き、同じように仕立てられた花真珠がドレスの胸元を飾っている。
そして、レース・・・あまりにも繊細で幻のようなレースの花がそこに咲いていた。
本来レースは職人による手仕事でありその編み目が精巧であればあるほど人手も時間も費やす為にほとんどが受注生産となっている。
また帝国の服飾にレースが普及してからまだ日が浅い為に職人が育っておらず、レースは大陸貿易からの輸入率が高かった。それ故に帝国においてレースの流通性は低いものとなっていたのである。
だがその繊細な美しさは社交界の貴婦人、令嬢達を夢中にさせる、そのことは国内の市場に狂騒的な競争を呼び起こすこととなった。
こうしてレースは高級品として取引される中で更に宝石とも並ぶほどの希少価値をもつようになっていったのである。
それゆえに帝国社交界においては豪奢なレースを身に着けることは高位貴族の財力の証明のようなものとなっていた。
今回のデビュタントにおいてもそれは言えることで、権勢のある家門の令嬢達のドレスの装飾には、それぞれドレスの裾や袖、デコルテなど部分的な装飾レースが組む込まれていたのを、誰大広間の誰もがその令嬢達の家門と照らし合わせながら値踏みするかのように令嬢達の装いを眺め続けていたのだが・・・。
だが、これは・・・と大広間の誰もが息を呑んだに違いないと感じるほどの衝撃が沈黙と化していた。
銀糸で細かい花が編み込まれた繊細なレースそのものが生地となっているような仕立てのドレス。
照明の光によって銀色に煌めくドレスの裾にはまた幾重にも重ねられたレース、そのレースの端々に散りばめられているのは真珠とクリスタルだった。
ドレスを纏ったレディというよりも、そこに在るのは一凛の花だった。
これからゆっくりと花咲こうとするかのような銀色の蕾。
そして言葉にできないような淡い夢のような感覚がこの空間に在る人々の心をじんわりと震えさせていく。
そのすぐ側でこの美しい銀花を見守りながら、彼女は思う。
この瞬間を味わっている人々の中に、自分達が無意識の感動の只中にいるのだと自覚している者がどれほどいるのだろうか、と。
あの時、とアティの脳裏に伯爵家でのお茶会が思い浮かんだ。
「あなたは、なんの花になりたいですか?」と投げかけたアティの問いに、キャレラフィーネは少し首を傾げて自分の思考を探すような表情の後、おそるおそるアティに言葉を紡いだ。
「あの、花でなくてもよいですか?私、私ですね。まだ貴婦人がたのようにそこまで愛おしいと思える花がないのです。でも。そう、小さな頃から、大好きな大好きな・・・」
ふふふと、あの時のキャレラフィーネの答えの意外性とあまりの愛らしさがアティの心を温かくくすぐる。
そしてこのつきづきしい土壌に咲く銀のレースの美しさはなんて誇らしいことか。
ああ、なんて素晴らしいんだろう。
キャレラフィーネを夢中で見つめている人々も自分自身さえもが妙に可笑しくて、彼女はつい口角が上がり微笑むのを抑えられなかった。
ああ、今、私たちは美しい奇跡に、帝国に唯一無二のシルバーレースが開花した瞬間に立ち会っているのだ・・・。
大広間に籠る異様なほどの熱など素知らぬ態で、彼女は実に淀みない手際でカーテーシーを捧げる。
皇帝陛下、皇后陛下も彼女を見つめたまま言葉が出ない。
ガタリッと、その空間の静寂を破ったのは、皇太子殿下が衝動のままに椅子から立ち上がった音だった。
人々は夢から覚めたかのように物音がした方に、皇太子殿下のほうに意識を向ける。
そこで彼は自制心でもって自分の身体を椅子に引き戻し笑顔を作るが、彼の肘置きに置いた手にはぎゅうっと拳が握り締められていた。
「コランディナル伯爵家のキャレラフィーネ・ユスト・コランディナルでございます。」
優雅というよりは凛とした佇まいで礼を取るキャレラフィーネの、大きくはないけれど涼やかな声が響き渡った。
称賛の眼差しがキャレラフィーネに絡みついたままの大広間で、その隙間を狙ったかのように次に玉座にカーテシーを捧げたのは何の飾りもない純白のドレスを身に纏った令嬢だった。
控えめないで立ちのその令嬢は実務的に作法通りの礼を取ると消え入るかのような小さな声で名を名乗ったが、その声はキャレラフィーネ嬢へ讃美に溢れかえる広間の熱気に呑み込まれて消えていった。
そしてそのままの流れにのって彼女が玉座の前から立ち去った時、デビュタントの挨拶の儀は終了し、皇太子殿下の生誕の儀へと題目を変えたのだった。
次に令嬢達を待っているのはデビューしたばかりの社交界におけるファーストダンス。
婚約者のいる者を除いては、ほとんどの令嬢が家族や縁戚の青年などと踊ることであらかじめ打ち合わせが行われているが、舞踏会においてはそれ以外にダンスの誘いがあることも多く、いってみれば、打ち合わせのパートナー―はダンスに誘われないこと、嫌な相手からの誘いを断る理由等の非常手段と捉える令嬢も多かった。
キャレラフィーネはもともと兄であるコランディナル伯爵をパートナーとしていたが、仕事で少し遅れるという彼は大広間にまだ姿を現してはいなかった。
「うーん。困ったわねえ。」
ミシェリ―ル・ユスト・コランディナルは自分の保護する令嬢達のデビュタントの儀が無事に終了したことに安堵しながらも、夫である伯爵がダンスの間に合わないことをどう解決しようかと思案していた。
「キャレラフィーネ。今夜はおそらくダンスの相手には事欠かないと思うのだけれど。」
伯爵夫人はチラリと自分達に注がれる熱い視線を見渡す。
というか、パートナーになりたがる者が多すぎて、困るでしょうねえ・・・と思案しながら。
「わたし、お兄様以外の方とは。嫌ですわ。」
呟き声ではあるけれど、義妹の意思は強いのよね、とミシェリ―ルはふううっと溜息をつく。
まったく、間に合うように来てくれればよかったのだけれど、と仕事とはいえ少しばかり夫である伯爵をうらめしく思う。
「そうね。あなたの気持ちが一番大事よ。もう少し、待ってみましょう。」
ミシェリ―ルはキャレラフィーネに優しく微笑む。
まあ、彼が来るまでね。なんとかこの場の、あからさまにこちらへやってこようとする輩を遠回しの拒絶で牽制するしかないわね。でも、大広間中の男性がこちらを見つめているような気がするんだけど。
「ミシェリ―ルさま。私もお手伝いいたします。」
伯爵夫人の心の内が読めるかのように、アティがお気の毒にという目線を送ってきた。
「フフフ。ありがとう。アティ。でも、あなたは踊らなくてよいの?」
「はい。私はできるだけ目立ちたくありませんので。もうここからはむしろお付きの者のようにしてここに居させていただけるとありがたいのですが。」
アティは本気でそう願っているかのように見えた。
「今夜の舞踏会に参加するためにはどれほどの金銀を積んでも構わないという輩も多かったでしょうにね。ほんとうにあなたはこういう世界に興味がないのね」
感慨深いような物言いでそう言うと、伯爵夫人はアティに向けて爽快な笑顔を向けた。
「あなたは私に似てるのね。私もこういう場所は好きじゃない、いいえ嫌いだもの。そもそも伯爵夫人なんて全く私の性に合わない。彼が家門を背負ってなければ・・・私がここには居ないってことだけは間違いないわね。」
皇宮舞踏会の真っただ中で、ばっさりとこう言ってのける伯爵夫人に、アティの腹の底から笑いが込み上げた。
「おねえさまったら。もう、正直すぎますわ。」
キャレラフィーネもクスクスと笑いの中にいる。
アティ、キャレラフィーネ、ミシェリ―ルは、心地良い笑いが目の前の憂慮を吹き飛ばしたかのように心が温まっていく気がした。
と、彼女たちは自分達の周りがさきほどよりも更に大きな騒めきに包まれているのに気付いた。
人々の視線が一方に向かっている。
その視線の先を彼女たちは見遣った。
「あ、いけない。これは。」
いち早く伯爵夫人が判断を下した。
「キャレラ。これは、もう覚悟をしてね。」
現状を把握したキャレラフィーネは伯爵夫人の言葉に頷いた。
「はい、おねえさま。わたしは大丈夫ですわ。」
そうして伯爵夫人はキャレラフィーネと共にアティより半歩前に踏み出しながら、彼女に言葉を放った。
「アティ。ここは大丈夫だから。あなたは早くここから去りなさい。」
「でも・・・。」
二人を置いて立ち去ることに踏ん切りがつかないアティにキャレラフィーネがにっこりと笑顔で振り向く。
「アティさま。今日、私は憧れの花として咲くことができました。あなたさまに心からの感謝を。
これから私は自分の責務を果たしますわ。
アティ様はこれ以上目立つことをお厭いなのではないですか?
どうか、ここはもう捨て置いてお行きください。またお会いいたしましょう。」
二人の女性の厚意に胸を打たれながら、アティは頭を下げると足早にその場を立ち去った。
と、たくさんの貴族達が騒めくその大海原の波が別れて引いた先に出来た道をカツカツと靴音を響かせて、伯爵夫人とキャレラフィーネの前に現れた彼はチラリッと彼女達の居る場に目を遣ると、また目線を戻して伯爵夫人とキャレラフィーネに向かって丁寧に礼を取った。
「今宵の最初のダンスを私と共に踊っていただけないでしょうか。」
キャレラフィーネは作法通りに皇太子に向かって小さなカーテシーを捧げた。
「皇太子殿下。光栄でございます。」
そして彼女は彼に向かって手を差し伸べた。
皇太子は彼女のその手を取るとゆっくりとダンスホールの中央へと向かって歩いて行った。
皇宮楽団が最初の曲を奏で始める。
こうして皇太子殿下の生誕を祝う舞踏会の夜は始まったのだった。