第10話 その指数にて咲くは・・・つきづきしい故にか・・・(壱連)
「アティ。名も無きアティ・・・。
あなたにたった一つだけ捧げることができる・・・
あらゆるもので在ることを自身で選ぶ自由を。
何にも誰にも負うことなく、心のままに咲く全てを。
アティ。愛しいものよ・・・どうかその光のままに己の花を咲かすことを。
ルクス。無慈悲なルクスよ。
あなたの光を己が血で浄化するがごとくに、どうか彼女を癒し(すくい)たまえ・・・」
「キャレラフィーネさま。今日はお越しいただきましてありがとうございます。」
「アティさま。またお会いできて本当に嬉しいです。」
コランディナル伯爵家でのお茶会の後から、アティとキャレラフィーネとの交流の時間はどんどん増えていった。
アティは会を重ねるごとに、この華奢な造りの愛くるしい令嬢に対しての自分の感情が保護色に染まっていくのを、心の中で苦笑しながらもこの爽快な感情を好ましく思うようになっていた。
そしてまた彼女を知れば知るほど、アティの中には彼女への好感と共に人間的な好奇心が波打つ。
それほどアティにとってキャレラフィーネは、その見かけだけでは捉えがたい、なんとも表現しがたい不思議な在り方を感じさせる、だが、こうしてはにかみながらこちらに微笑んでいるキャレラフィーネは本当に可愛らしい。
少しピンクがかった銀髪の髪は上半分を両側面から上部に軽く結ってまとめ、白いシフォンのリボンで結んでいる。そして肩から背中にかけてクルリっと可愛らしい巻き髪が揺れる。
今日は胸元と裾が同じシフォンのフリルで飾られた可愛らしいドレスを身に纏い、胸元はクリスタルの花をあしらったブローチで飾られていた。
本当に可愛らしいな、と半ば感心しながらアティはキャレラフィーネに微笑みかけた。
「今日はお好きな”花”のベースからアレンジまで、《コンシリウム》いたしましょうか?」
「フラヌさま。入ってもよろしいでしょうか。」
執務室のドアをノックしたアティにフラヌの返事は早かった。
「ああ。構わない。」
シンプルなドレスを纏ったアティがティーセットとお茶菓子を載せたワゴンを押しながら入って来る。
このワゴンはメイリの発案で屋敷の者達皆が知恵を絞りアティの為に特別に作ったものだったが、アティはそれを知らぬまま、独りで全てを運ぶには重宝するものだと感心しながら今日も満面の笑みでお茶の支度を整えて執務室を訪れるアティであった。
コランディナル伯爵家のお茶会後、アティは舞踏会、リハーサル講義の件も含めて全てをオブスライディエ公爵に報告していたが、そのことに関してミシェリ―ル伯爵夫人から丁寧な報告と令状を兼ねた知らせが公爵家にも届いているのはアティの予想通りであった。
だが、アティは自分の口から公爵に報告することが彼への礼儀であり、また彼へ感謝を捧げる最善だと考えていた故に、アティはフラヌへの報告を欠かさない。
そして彼もまたアティの話が伯爵夫人からのものとほぼ被る内容だと解りきってはいたが、アティが執務室に茶の支度で訪れ、一日の何かしらの報告のような話を紡ぐこの時間を決してなおざりにすることは無かった。
何日も徹夜が続くことすらそれが日常であった公爵閣下の執務室が、いつの間にか決まった時間に業務を終える日常へと変化していくのを、屋敷の者達は表立ってはにこやかな微笑みで見守りながらも、その裏舞台では、彼と彼女のこの在り方に屋敷中が涙を流して抱き合わんばかりの驚喜と歓喜に包まれていたのを知らぬは当事者達のみであったが・・・。
彼女がティーポットからカップに今夜のお茶を注ぐと、その芳香な香りが彼の鼻孔を蕩かすように彼を解す。
フラヌがアティに自分と共に茶を飲むようにと声をかけてからは、彼女はフラヌの前にお茶を注いだカップを置いた後、彼の真向かいに座るようになった。
そうしてまず彼女は今夜のお茶のことを語り始める。
「最近頭痛の症状がおありになるとコバギさんから聞きましたので、今回は脳の血流を促す為にローズマリーをベースにユーカリの爽快さと殺菌性を合わせて、いつものように筋肉の緊張を和らげるカモミールにブレンドさせてみました。」
正直に言えば、フラヌにとって専門外である故に彼女のブレンドするお茶の煎じ具合は彼にはさほど興味を持たぬ分野であったのだが、彼女の茶の効能は確かなものだった。
なによりフラヌはアティが彼の為にだけ茶葉をブレンドしたお茶を淹れてくれるということを少しくすぐったいほど悦ばしく感じていた。
そうしてフラヌと向かい合って座っているアティは彼女のカップから自分の淹れた茶を、その香りを楽しみながらゆっくりと口に含む。
茶の仕上がりに満足してふうっと柔らかに微笑む彼女の愉悦にも似た表情に、フラヌは自分の心臓がドックンと音を立てたかのような衝撃が小刻みな余波となって自分の身体の末端にまで拡がってゆくかのような境地に連れていかれる、そんな感覚に陥る自分を持て余しながらもフラヌはそこに自分の身を任せる。
そして、彼は待つ。
すると一日のことを報告するようにフラヌに語り始める彼女の声が、まるでお伽噺を読んで聞かせるような慈悲深さでフラヌの中に染み入っていく。
それによって彼は無意識の内に自身が癒されていることを己に赦しているのだ。
それは彼が生きて来た時間の中で、彼という人間を成すあらゆる全てが、彼が彼として在ることを赦されたいと切に望んでいるという彼自身すら無自覚のその“際”をだれかが、なにかが見出していく~その珪砂は流れ堕ちて時を流す~一瞬一瞬がルクスの正義なのか、愛なのか、不条理なのか、エゴなのか、慈悲なのか、たまたまの稀有な洒落なのか・・・。
決して答えの無い応え方だろうが。
人々はただただ生きる。
それがどこに向かい何を生むのか、光ですら自由な屈折の行方を持て余すことはあるのだと、心の何処かで理解しながら、けれど、その足を一歩前に踏み出す勇気の行く末を愛しく思いながら。
人々は切々と悠々と在ることを生きたいもの故に。
光がどれほど耐え難い波を生じさせようと、その波がどれほど残酷に彼らを打とうと。
揺蕩おうと決めたのだから。決して沈みはしないと。
「フラヌさま。」
ほんとうに美味いなと口に含んだ茶のまろやかさに少しだけ意識が彼方に漂っていたフラヌは、アティの声に引き戻される。
彼女の瞳が彼をじいっと見つめている。
少し緊張しているようにも感じられるのは気のせいだろうか?
「どうした?なにか困っていることでも?」
フラヌがこちらを気遣うその柔らかな表情にアティは、やはりこれは、と自分の背中を自分で押す。
「公爵さまにたくさんのお気遣をいいただいて感謝の言葉などでは足りぬと思っております。
ですが、私は今日は公爵さまにお詫びを申し上げねばなりません。」
アティはフラヌに真摯な眼差しを向けたまま、きりりっと姿勢を正す。
「・・・まさか。」
フラヌの口から呟きが洩れる。
「え?」
アティは彼の漏らした言葉を拾おうと耳を傾けようとした。
「出て、行くのか?ここ、から?」
フラヌの眼差しがアティの視線を絡めとり、その瞬間アティはその瞳の奥に苦し気な彼を見つけた気がした。
「あ、あの。」
何に動揺しているのかさえ分からぬまま彼女は言葉を失って、彼女はフラヌと居る”今”が珪砂の流れを止めた気がした、だがその一瞬は流れ落ち、先に言葉を落としたのは彼だった。
「すまない。続けてくれ。」
「え・・・。あ、はい。私のほうこそ失礼いたしました。」
アティは自分が彼に伝えようとしていることが正しいのかよく分析できないまま、だが、これは礼儀でり義務であるはずだと自分を叱咤する。
「私は公爵さまにお話ししていないことがあります。
実は私が帝国に参りましたのは皇太子殿下にお会いしたかったのはもちろんですが、もう一つの目的は、この帝都に”花”を咲かせたいのです。」