何で日常シーンいるのかって話。アクションにですよ
同情してもらえんから。それだけ。
だからアクションハードボイルドむずいんですよね……。
パニックもんも。
だからハリウッド映画の大御所さんになればなるほど
この、日常シーン
一見、本筋と何の関係もなさげなシーンにわりかし全力を注いでる
小説書く人もそうです。
人気のある小説とか読むと、
本筋に入るのは三分の一過ぎてからってのも少なくない。
例えば羊たちの沈黙って映画ありましたでしょ?
あれ、小説はね、なかなか事件起きませんよね? 見たことある人なら知ってると思いますが、しかもその間に沢山いろんなエピソードが入る。
連続殺人鬼のバッファロウビルが現れるのは、物語の十分の一くらいを過ぎたころじゃなかった?
(てか、映画しか見てない人は、あれをサスペンスだと思ってる人多いと思う。小説を見たら、サスペンスじゃなく人間ドラマであることが分かると思います
ちなみに映画は、小説のガワしか描かれてません。
小説の緊迫感あるシーンは、作者の、人間と真剣に向かい合い、真剣に描こうとする姿勢あったればこそだと、読めばわかると思います)
あと、
ジョン・グリシャムとゆー人の作品はもっとスローテンポ。
おばちゃまシリーズにいたっては、おばちゃまがスパイ活動始めるころには物語は五分の一くらい進んでる。
日本のそのジャンルとは対照的な書き方だなといつも思うんですが
じゃ何で彼らはこんな手間をかけるんだと
冒頭で言ってたそれです。
「感情移入してもらうため」
冒頭に出た、スパイ小説やアクションものとは全く関係ない、ほのぼの日常、あるいはコミカルなシーン、それは後から出てくるアクションを「書くための下準備」だとね
読んでいたら分かるんですよ。ああ、このためだったのかと。
てーか、よくよく考えたら当たり前の話なんですよ。
例えば冒頭でいきなり、私こんな不幸な目にあってるんです助けてなんてのが出て来ても
人間、我が身に引き寄せて「わー、可哀想」なんて思えんでしょ。
それはなぜかって、そりゃあなた、「文字の世界」だからですよ。架空の世界だからです。
文字でなんとでも書くことが出来るからです。実際目の前にいないから。
そんなので
「情報を簡潔に伝えることに成功したぞ」と思っても
それは成功してるかも知れないけど
読者的には、
その可哀想な主人公が死のうが生きようがどうでもいい状態になってるわけですよ。
その『可哀想な状態を、読者が我が身のこととして考えられていない』のです。
てかさ、アクションで緊迫感出そうと思うたら
色々要素あるかも知れませんが
一番大事なのって、読者に、「主人公ヒロイン死なんどいて―」と思わせることが出来るかどうかですよね?
ムッズ!
で、今までお話ししたこと、全部やらかした私ですが(そうなんや)
現在進行形でもやらかしてます(そうか)
つまり、
登場する人物が死のうが生きようがどーでもええと思われてしまってる。ような話を書いてしまふ。
作者が見てそう思うんですから、他人さんならそれこそ
「だから何?」状態でしょうー。
理由はそりゃ、普通に下手だからですが、
いくら下手でも、
身内からさ、
「このおっさんの死に方しつこすぎ」なんて言われたら
気分は急降下しますよ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
(ノД`)・゜・。(泣くな)
いやだってさ
そんなこと言われるってことはさ
つまり
「キャラクタに全く感情移入できねーよ」と宣言されてる
のと同じジャマイカ?
その時の、その時の悲しさと言ったら(ノД`)・゜・。
あ、いやそれはさておき、
つまり原因は、
「ハリウッドや向こうの巨匠らがやるような、見てる人の興味を引く日常が書けん」からなんスヨ( ̄∇ ̄;)
でもそれ小説ですよねと
ウェブだったらそんなわけにゃいかんと
だったらこのケースはどうですか?
パシフィックリムって映画。
過去にエッセイでも言いましたけど、
あれ最初は、主人公のとつとつとしたナレーションで始まります。
あんま鬼気迫る感じないです。
こんなことあったんだよあんなことあったんだよ。で、今こうなってんだよと。
まあそれはアリガチと言えばありがちなんですけど
私がびっくりしたのが、
主人公とお兄さんがロボにのり
同調するシーンなんすよね。
ブレインシェイクハンドといって、右脳と左脳を互いに同調させるという
分かったような分からんようなシステムなんですが
その時に互いの思考が脳内に入ってくる。
で、その思考内容をね、
なんと、
家族でテーブル囲んでるシーン入れてくるんですよ
オカンがクッキーみたいなの運んでくる
そんな映像入れてくる。
これ見たときに私ね
「この人らには勝てん」と思った。
そこでそれ、入れてくる?
でもそのシーンが入ることで、
主人公とそのお兄さんに一気に親近感がわいてくるの、さすがとしか言いようがない。
小さいころから仲いいんだな、てのが
あのシーンで伝わるところがね。
なんとまあと思った。今から怪獣と戦いに行くって時にですよ。これもし私みたいなヘタッピが作ったら
どうなってたでしょうね。
冒頭でやたらと怪獣と戦うシーンを入れて、なんかよおわからんけど勝って、なんてやらかしてたんじゃなかろうか。
まあそれも一つの方法ですけど、
「こう言うやり方もあるのか」と
で、自作に取り入れられているかと言われたら出来ていないんですけど(なんだそれ)
まあ結局何が言いたいのかっていうと
どんなド派手なアクションも
「日常シーンの細かい積み重ねが物を言う」ってことで
今、それで四苦八苦してるニコでございますってところで話し終わります( ̄∇ ̄;)
いやー
簡単なようでムズイと言うか最上級にムズイね
読者から
ワアアン(ノД`)・゜・。死なないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇと
言うてもらえるって……
ほんまね、こまかい積み重ねでキャラのイメージが読者の中に出来上がると思うんで、
それ思うとやっぱり
習わぬ経は読めぬとはよく言ったものですが
物語を研究するとかの学科がありますけど、
ああ言うところで学ぶのって意味があるんだろうなぁと思う私なんですよね……。
本能で知っているなんて
某少女漫画のよーには行かんてことです(当たり前だ)
あー、そうそう、余談ですが
今まで食らった添削(娘から)で
一番その
「私いったい何を考えていたんだ(・・?」と思ったのが
登場人物がアメーバのように分裂してる文章書いてしまったことで
つまり、
立ち位置を間違えて書いてしまい
その人物はその場から出て行ってるのに
後ろから見てるような格好になってしまったと言う
今だに我が家では伝説になっております(どんな伝説だよ)
まあ何がびっくりしただろうって
読者ですね
(;・∀・)……
ぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!
てなったデショーネ……スミマセン……