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※プロローグと二話までを一度に投稿しています。
「……ーる、……ルシール……?」
出会った頃の懐かしい記憶を辿っていたルシールは、何度か名を呼ばれてようやく現実に帰ってくる。
目の前には、思い出の中よりも大きくなったルシールの王子様がいた。
美しい金の髪は長くなり、後ろで軽く纏められている。ポーカーフェイスなところは変わらないが、眼差しは少し鋭さが増し、精悍な顔付きの青年へと成長していた。
そんな彼が、いつの間にか横にピッタリと貼り付いて顔を覗きこんでいる。
「ぅはっ!」
「……どうかした? 具合が悪い?」
「い、いえ! 少し考え事をしてしまって。いつも通り、元気な私ですわ」
すべてを見透かすような深い青の瞳に覗かれて、ルシールはシャキッと背筋を伸ばして笑顔を作る。
アロイスは安心したように息を吐き、珍しくからかうような言葉を掛ける。
「君のことだから、……また何か楽しいことを思い付いたのかと思ったよ。……これまでいろいろ試してきたからね」
「もう……、それは、言わないお約束です」
「でも、君はやり遂げた。しっかりと実を結んでいるのだから……すごい事だよ」
「お恥ずかしい……」
ちょうどその頃を思い返していたためか、妙に生々しい恥ずかしさが込み上げてくる。
ルシールはそれを誤魔化すように紅茶を口に運ぶが、黒歴史ともいえる過去はお構いなしに脳裏を駆け巡っていた。
◇
「ルシール、それは……どうしたの?」
「……お、お気になさらず……」
お茶会を利用して己を高めようと誓いあった、その翌週。
家の庭園で、ルシールとアロイスの修練の場(お茶会)が開かれていた。
席に着いて……というかエントランスで出迎えたときから、目の前のルシールの様子がおかしい。
アロイスは気遣うように彼女の顔を覗き込もうとするが、その表情をうかがうことは出来ない。物理的に。
「その……、ずいぶんと大きな扇だね……」
「……お母様のを、借りまして……」
本日、ルシールは巨大な扇で顔を隠した状態で、アロイスの前に現れた。
その扇は艶やかな黒檀で出来ているとても大人びた品で、彼女の顔をすっぽり覆うほど大きい。日中の庭園でのお茶会にも、ルシールのような子供が持つにも適さないのは一目でわかる。
侯爵家の後継者として、日頃から厳しく教育を受けているアロイスは、客人の格好について疑問をぶつける事が紳士的ではないとよくわかっている。
が、この状況は聞かずにいられない。
意を決して、扇の上から大きな目だけを覗かせているルシールへ言葉を掛ける。
「ええと……なぜか、聞いても……?」
「はい。こうしていると、淑女に見えるかと」
「淑女に」
「先日、当家で開かれたお母様のお茶会に忍び込ん……オホン、目に入ったのですが、皆様こうして扇でお顔を隠してらっしゃいました」
「あぁ……」
「でも何かおかしいのです。落ち着いた淑女にみえるかと思ったら、私がやると扇のオバケみたいでどこかちぐはぐで……。上手くいくと思ったのに……残念です」
「……どうして君は、そんなに淑女にこだわるの?」
「だって、将来アロイス様と結婚したときに、おしゃべりが過ぎるような奥様では、旦那様にご迷惑をお掛けしてしまうかもしれないでしょう? 大好きなアロイス様の隣に相応しい、シャンとした淑女にならなければ!」
「な、なるほど……」
頬を染めたアロイスは少し考えて立ち上がると、すっとルシールの横に跪いた。その突然の行動にきょとんとするルシールに、静かにゆっくりと語り掛ける。
「ルシール、先人に学ばんとするその姿勢、素晴らしいよ。私も見習いたい」
「でも、上手くいきませんでした……」
「……だけど、昨日までの君とは違うはずだ。そうやって前に進んでいく君を、尊敬する」
見上げるアロイスの瞳は、扇など飛び越えてまっすぐにルシールの瞳を射抜いた。
アロイスからの称賛の眼差しが眩しすぎて、ルシールはたまらず眼を逸らす。
「そ、そんなに褒めていただくような事は何も……。あの、その、そんなに見つめられると、あ、穴があったら入ってしまいたい……」
ルシールが手にした扇で顔を全て覆ってしまおうとしたその時、扇の天に一本の指がそっと掛けられた。
「ただ少し、意見してもいいだろうか」
その指にゆっくりと力が掛かり、扇が倒れていく。
半分くらい倒されると、ルシールの赤く染まった頬がすっかりあらわになってしまった。
優しく微笑むアロイスに、ルシールはドングリのような大きな瞳をぱちくりとさせている。
「その大きな扇で隠れてしまうと……、君の顔が見えなくなってしまって……寂しいんだ」
「さみ!」
「……折角の素晴らしいアイデアだけど、……良ければ別の方法を考えて欲しいな」
「ひゃあ……」
憂いの混じった彼の微笑みに、ルシールの心臓はギュン! と射抜かれてしまった。顔全体がリンゴのように真っ赤に染まり、もはや力が入らない。
アロイスはそんな彼女が手にする扇を素早く撤去すると、その小さな両手を優しく握りしめて、いつものように静かに微笑むのだった。
◇
それからのルシールは、おしゃべり矯正のための試行錯誤をくりかえすも一進一退で、良い方法がなかなか見つからない。
思うように結果が出ないルシールは自らを追い詰め、ますます煮詰まっていき、ついには何の策も浮かばなくなってしまった。
それでも週に一度の修練(お茶会)は待ってくれない。ルシールは策もないまま場に臨むこととなる。
◇
「ルシール……」
「……ふい」
庭園散歩の休憩にと、2人並んでベンチに腰かける。
今日は久しぶりに、婚約者が奇想天外な思い付きを試しているようだ。アロイスは少しだけ首を傾げると、ルシールにそっと訊ねた。
「今日はその……どうして口を押さえているのか、聞いてもいい?」
「ふ……」
その仕草をじっと見ていたアロイスは、木の実をいっぱいに頬張るリスを思い出したが、急いでそれを掻き消した。
今日のルシールは、両手を口元に当てて、しっかりと押さえている。アロイスの問い掛けにきゅっと眉をひそめると、ルシールはその手をほどいて、か細い声で答えた。
「こ、こうしていたら……口が開いてもすぐに押さえられますから……」
それだけを言い終わると、ルシールはノロノロとまた口を押さえる。
残された道はこれしかない、と言わんばかりに悲壮感を漂わせるルシールに、アロイスの声色も自然と悲しげなものに変わる。
「ルシール……? 悲しいの?」
「……ご、ごめんなさい! 何をやっても上手くいかなくて、どうしたらいいのか、わからなくなってしまって……」
彼の声を聞いた瞬間、一気に涙が込み上げてきた。
泣いてはいけないと必死に堪えて、ふうっと肩を震わせる。
いろいろ試してきたけれど、どれもこれも上手くいかず、もう何も思い浮かばない。万策尽きるとはこの事だ。
結局絞り出したのが、策などと言えないような、なんとも原始的な方法で――――
ルシールは、大好きな優しいアロイスに気を使わせてしまった事が情けなくて仕方がなかった。
ずっと励まして応援してくれていたけれど、さすがに嫌気が差しただろうか。
ルシールはアロイスの顔を見ることも出来ずに、がっくりと肩を落としたままでいる。
「ルシール」
ややしばらく続いた沈黙を破ったのは、考え込んでいた彼の声。
呼び掛けられたルシールがゆっくりと顔を上げると、そこには真面目な顔で両手を口に当てるアロイスがいる。
「……アロイス様、あの……」
「……うん、これはなかなか効果的だ。口を押さえている事が意識的に働いて、話すことに一瞬の迷いが出る。いいアイデアだよ」
「え……?」
アロイスは声を出しては押さえるを繰り返し、フンフンと頷いている。
口を押さえる事も忘れて、ポカンと呆けているルシールに、アロイスが改まった。
「でも、どんなに有効な方法でも、君がそんなに悲しい思いをするなら、私は賛成できないな」
「アロイス様……?」
アロイスはルシールの口から離れた右手を大切に包み込んだ。されるがまま、ルシールはその真剣さにのまれている。
「私は、君と過ごす時間がとても楽しい。……だから君にも、この時間がささやかでも楽しくあって欲しいと願っている」
「そんな! 私だって、……とても楽しいと思っています! お会いした日はもっと一緒に居たくて、夢にアロイス様が出てくるくらいです。……だけど、失敗してばかりだから……申し訳なくて」
「んん゛っ…………、失敗は、悪いことじゃない。その方法で上手くいかない事がわかったのだから、試す前に比べれば大きな進歩だよ」
「進歩……」
「そうさ。君はそうやって遠回りしながらでも、確実に淑女に近づいている」
アロイスの言葉がルシールの心を震わせた。
堪えたはずの涙が再び込み上げてくるが、先程のものとは種類が違うものだ。
アロイスはルシールの両手をとると、ギュっと握りしめた。
「誰にでも上手くいかない事はある、焦らずいこうじゃないか。思うようにいかないことも、2人ならきっと楽しめる」
「2人で……、楽しむ……」
アロイスの言葉は魔法のようで、ポッキリと折れてしまった心をゆっくりと修復してくれた。彼が言うならきっとやれると、少しずつ勇気が湧いてくる。
「……アロイス様がそういってくださると、なんだかそんな気がしてきました……フフフ」
しょげていたルシールの瞳に、キラキラと希望に満ちた光が戻って来た。落ち着きを取り戻して表情が柔らかくほどけていく。
「よかった……やっと、笑ってくれた」
「ふ?」
せっかくほどけたルシールの顔が、そのままピシリと固まった。
今日初めてのルシールの笑顔にほっとしたのか、アロイスが抱きついてきたのだ。
ぎゅうっと抱き締められるルシールは、彼との初めての距離感に動揺して動けない。
彼の腕の中はアイロンかけたてのシャツのいい香りがする。いい匂い、好き! などと、軽い現実逃避で気持ちを落ち着かせようとする。
そうしているうちにゆっくりと体を離したアロイスは、頬を赤くしてはにかんだように笑う。
「私は、そのままの君も、淑女を目指して頑張る君も、どちらの君も素敵だと思うから、応援したいんだ。申し訳なく感じる事は何もないよ」
「……アロイス様」
「……君は、私が上手く話が出来なくても、嫌になったりしないと言ってくれただろう? 君という光がそばに居てくれる事だけで私の心は満たされるし」
「え、それは、どういう……?」
「…………そうだ、今日は頑張り屋さんのルシールの慰労会にしよう。おいしいお菓子をたくさん用意してあるから」
アロイスは素早く話を切り換えると、何もなかったかのように手を差し伸べた。
たくさんの嬉しい言葉に夢見心地のルシールは、手を重ねると彼の後に続いていく。
四阿へと向かう花の小道で、ルシールはアロイスの手の暖かさをしっかりと感じたのだった。
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