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※本日プロローグと二話までを一度に投稿しています。

 





「……ルシール、……今日もとてもかわいいよ」


「……ありがとうございます、アロイス様は今日も素敵です」


「「………………」」



 今日は、ルシールの婚約者であるアロイス・ブレーズ侯爵令息との週に一度のお茶会の日。

 ブレーズ侯爵家ご自慢の庭園の四阿に、ルシールの好む茶葉と流行りのお菓子がふんだんに用意されていている。


 アロイスがルシールの容姿を褒め、彼女は恭しく返礼をする。形式ばった挨拶の後で見つめ合う、ここまでがお決まりの流れ。

 その後の軽い近況報告が済んだら、アロイスは本やチェスの盤面に集中し、ルシールもまた読書や刺繍に勤しむ。


 ルシールは、それぞれ好きなことをしてゆるやかに過ごすこの時間を、疑問に思うことなどなかった。

 時折軽く言葉を交わし、目が合えば彼は控えめに微笑んでくれる。そんなゆったりと流れる空気が大変心地よく、好ましく感じていた。


 しかし、今の心境はこれまでと少し異なる。

 今日ですべてをはっきりさせると、覚悟を持って臨んでいる。


 ルシールは目の前の紅茶をじっと見つめて、彼に気付かれないような小さく息を吐いた。







 ルシール・デュゲ伯爵令嬢と、一歳上のアロイス・ブレーズ侯爵令息の婚約は、2人が幼い頃に結ばれたものだった。

 互いの家の事業に関する結びつきを強化するための、いわゆる政略結婚だ。


 初めて顔合わせをしたのはちょうど10年前、ルシールが8歳の時。

 爽やかな初夏の季節、ブレーズ侯爵家の広大な庭園で席が設けられた。

 サラサラの銀の髪にお気に入りのリボンを結んで場に臨んだルシールは、目の前に現れた人物に栗色の目を丸くする。


 朝の光のような暖かみのある金茶の髪に、底の知れない深海を思わせる深いブルーの瞳。

 美しく、幼いながらも気品溢れるアロイスの姿に、おしゃまなお年頃に差し掛かったルシールは、たちまち心を奪われた。


 物語の王子様のようなアロイスのエスコートで庭を周り、大好きな花がたくさん咲いているのを見たルシールは感激して、すっかり舞い上がってしまった。

 休憩にと立ち寄った四阿で、準備されたレモン水を一口飲んで、その口を開く。



「ブレーズ家のお庭はお花でいっぱいなのですね。特にお池のそばのスズランがとってもいい香りでしたわ。私の家のお庭も好きですけど、こんなにすてきなお池はありませんから、はじめて見たときはびっくりしてしまいました」


「お池には小さなお魚がいましたわ。何匹かまとまって一緒にいたので、家族かもしれませんね。私は水泳はしたことがありませんが、あんな風にスイスイ泳ぐことができたら、さぞかし気持ちがよいのでしょうね」


「アカデミーで教えてくださることもあるようですが、少しドキドキします。だってお水の中ではうかびませんもの。兄さまが持っていたおもちゃのお舟はプカプカ浮いていますけど、私のミュウはしずんでしまいました」


「ミュウというのは私のおともだち、うさぎのぬいぐるみです。噴水のふちに座らせていたら風にあおられてそのまま……。アンが助けてくれなければどうなっていたか、彼女には本当に感謝しています」



 ここまでほぼ一息に喋りきると、またレモン水を一口含む。

 この頃のルシールは、思い付いたそのままが口に出る、おしゃべり機関銃のような娘だった。

 初対面の人間に対してこうなると、相手はドン引きして固まってしまう。そのため今日の顔合わせでは、おしゃべりはほどほどにしておきなさいと、母親からきつく厳命されていた。



 その結果は、ご覧の有り様である。



 は、と気付いた時にはもう遅い。

 正面にはサファイアのような瞳を思い切り見開いて、レモン水のガラスのコップに手を掛けたまま、硬直しているアロイスの姿があった。



「は、恥ずかしい!」



 ルシールはシュバっと素早く両手で顔を覆い隠す。

 指の隙間から見えるブレーズ家の家令やレモン水を準備してくれた侍女達は、皆それぞれ顔を逸らして肩を震わせている。



「やっちゃった……、私、どうしたら……」


「ちょっと、待って……」


「え?」


 恥ずかしさに目が回る思いのルシールに、事のほか静かな声が掛かる。

 ルシールが指の隙間からその声を追うと、向かいのアロイスがほんのり顔を赤くしながらこちらを真っ直ぐに向いていた。



「ええと、……庭を気に入ってくれたなら、嬉しい」


「小さい魚は、メダカというらしい。水泳は……、私もしたことがない。少し怖いけど、夏の暑い日に泳ぐのは気持ちよさそうだ」


「そして、ミュウが助かって本当によかった……。君の友達に何かあれば、私も悲しくなる」


「……あ、ありがとう、ありがとうございます……」



 マシンガンのように放たれたルシールの一方的な言葉に、アロイスがたどたどしく、ゆっくりと返答してきたのだ。


 ルシールはその事にとても感動していた。

 受け流す事も出来たはずなのに、一言一句丁寧に拾い上げて、自分の感情を乗せた言葉を返してくれた。


 見た目が美しいだけではない、なんと誠実な方だろう。

 ルシールはアロイスの事をすっかり大好きになってしまった。

 そう思った途端に『大好きです!』と大声で叫びそうになり、慌てて口を押さえる。

 ルシールがアワアワと動揺する様子を不安そうに眺めていたアロイスが、おずおずと口を開いた。



「あの……、私がなにか、変なことを言ってしまっただろうか?」



不安そうに瞳を揺らしたアロイスにドキンとしたルシールは、その場を取り繕おうと必死で弁明する。



「いいえ、何も! 何でもないのです!」


「……私は、思ったことを言葉にするのに時間が掛かってしまうし、愛想もないから、その……、嫌な気持ちにさせてはいないだろうかと、心配になってしまって」


「そ、そんなことはありませんわ!」



 この人にこんな顔をさせてはならない!

 ルシールの心に使命感のような感情が生まれる。

 ルシールは勢いよく立ち上がって、その口を再び解き放つ。



「アロイス様はたくさんたくさんお考えになって、相手の方に対して真剣にお返事をなさっているだけです! すばらしいと思います! 私へのお返事だってとてもうれしかったもの、嫌な気持ちになんてならないわ! そのご心配はまったく、何も、必要ありません!」



 言い終わると、ストンと崩れるように椅子に腰を落とした。

 また、やっちゃった……と、しょんぼりうなだれるルシールに、微かな笑い声が聞こえてきた。



「ふ、ふふ……ありがとう。まさかそんなに褒められるなんて思わなかった」


「ご、ごめんなさい……」


「何も謝ることはないよ。……私は喋るのが得意じゃないから、君のように……ハキハキと話ができたらいいなって、いつも思っているんだ」


「は、ハキハキ、ですか?」


「……うん。これから社交に出て、仏頂面でノロノロと会話をしてたら……先が思いやられるだろう?」


「いいえ! 先が思いやられるのは私の方です。今日だってお母様からきつくきつく言い含められていたのに、またしても嵐のように場をかき回してしまいました。もう少し静かに会話を楽しみなさいと言われ続けて早幾年……あ、ほら、またですわ……」



 学ばない自分にウンザリした様子のルシールは、口をつぐんで肩を落とす。

 そんな彼女に、アロイスは口ごもりながらも励ましの言葉をかける。



「でも私は、君を見ていると、楽しくてウキウキしてくるよ。……あなたが婚約者で、とても嬉しいと思う」



 アロイスの控えめな笑顔ととびきり甘い言葉に目を瞬かせながら、ルシールの口はまたしても『大好き!』と口走りそうになる。

 が、それをひとまず飲み込んで、この場で伝えたい最適な言葉を思い浮かべ、選りすぐり、改めて口を開く。



「私も! ……私も嬉しいです、とても」



 2人は共に頬を赤くして、穏やかに笑い合う。

その微笑ましいやり取りは、侯爵家の使用人達の心をホンワカと和ませるのだった。

 






「アロイス様、私良いことを思い付きました!」



 初対面のお茶会から数ヶ月、2人の関係は順調に続いていた。

 おしゃべり豪速球のルシールと熟考型無表情のアロイスという正反対の2人だが、会う度に仲睦まじい様子で会話を楽しんでいる。

 何度目かのお茶会を経たある日、ルシールがいつものように意気込んでアロイスに報告を始めた。



「このお茶会は、私にとって、良い『しゅうれん』の場だと気がついたのです」


「……修練?」


「暴発するボップコーンのようなおしゃべりを控えなければと常々考えていた中で、ここでなら私の目指す淑女になれると確信しました!」



『修練』という言葉を聞いて不思議そうに青い瞳を瞬かせるアロイスに、ルシールはニッコリと満面の笑みを見せる。



「ヒントは、アロイス様、だったのです」


「わ、私が?」


「大好きなアロイス様のように、落ち着いた振る舞いを身に付けることが出来たら、きっと素晴らしい淑女になれるでしょう?」



 その言葉に、アロイスの顔がみるみる赤くなっていく。

 そんな彼の様子に気付くこともなく、自分の放った言葉の意味も特に気に掛けず、身ぶり手振りも交えたルシールの独演は続いていく。



「ですからアロイス様には、お手本として落ち着きのある所作を見せて頂きたいのです!」


「オホン! その、……ルシールの言う、落ち着いた所作、というのは……?」


「特別な事は何もありません。今のままのアロイス様がとっても素敵なんですもの。ありのままの立ち振舞いを見せていただければ本望ですわ!」


「……そ、そう……」



 アロイスは急ピッチで撃ち込まれるルシールの言葉を受け、表情は穏やかに繕うものの、感情の方がいろいろと忙しない。

 彼女に聞きたい事は山ほどあるけれど、ひとまずゴクリと飲み込んでおく。



「だ……だったら、にこやかにスムーズな会話を心掛ければ、私にとっても自己研鑽の場となるかもしれないね」


「高みを目指そうとするお姿、さすがアロイス様です。ただ、男性の場合、おしゃべりが過ぎるより、口数が少なくてゆったり構えてらっしゃるほうがステキだわ、という声をよく聞きます。『デキる男のよゆう』と言うらしいです」



 ルシールの言葉に、アロイスの動きがビタリと静止する。

 ややしばらくして動き出すと、やけに神妙な面持ちでルシールに訊ねる。



「寡黙で……余裕たっぷりに構える男が……素敵と、君もそう思う?」


「そうですね。私のように、ところかまわず掻き乱して弾けると困ってしまいますし」


「なるほど……。うん、参考になるな……」



 アロイスは頷きながらこと細かくメモに書き留める。

 彼の変化に首を傾げるルシールだったが、それほどまでに真面目に取り組もうとする姿勢を見習わなければと、一人決意を新たにする。



「……では、次回より早速、それぞれなりたい自分に向かって頑張ろう!」


「はい!」



 2人はいつものように見つめ合い、嬉しそうに笑みを浮かべた。



(ちょっとした提案にこんなにも前向きに取り組んでくれるなんて……好き!)



ルシールは、懸命にメモを見つめるアロイスの横顔を眺める。

 優しく、向上心のある大好きな婚約者に相応しい女性になりたい。

 ルシールの何度目かの告白は、口を押さえる必要もなく、自分の心の内に止める事が出来たのだった。






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