プロローグ
新作です。よろしくお願いいたします!
※本日プロローグと二話までを一度に投稿しています。
「……見つけた、ついに……ついに見つけた」
時間が止まったような放課後の廊下を、ルシールは慌ただしく疾走していた。
夕陽を受けて輝く銀の髪をたなびかせ、まるでほうき星のような余韻を残して駆け抜ける。
淑女としてのマナー違反は承知の上だが、誰にも見つからないように急がなければならない。
息を切らせて自分の教室に到着したルシールは、誰もいないことを確認すると、きつく抱き締めていた一冊の本を今一度確かめる。
茶色の革の装丁の、歴史を感じさせる重々しい雰囲気の大きな本。
金の箔押しで書かれたタイトルを震える手でなぞると、掠れた声で呟いた。
「『魔女の秘薬』の作り方が、ここに記されている…………」
そっと机に置かれたその本の表紙には、「魔女が教えるとっておきの手作りお菓子」という文字が並んでいた。
◇
かつてこの国には、魔女がいた――――
日常生活の困り事から国の重要な事案にまで、魔法の力が介入していたのは遠い昔の事。
平和が訪れて人の暮らしが安定するにつれて、彼女達の力は弱くなり、今ではその姿を見ることはなくなった。
彼女達の数ある功績の中で代表的なものが『薬』の普及だ。
魔女の持ち込んだ処方によって質の良い薬が安価で出回るようになり、民間に広く使用されるようになったのだ。
その一部には魔術が込められているものがあり、意中の相手の心を奪ったり、思いのままに変身したり、空を飛んだり……といった不思議な力を一時的に利用できる、ということがあったとかなかったとか。
それらは『魔女の秘薬』と呼ばれ、おとぎ話のひとつとして今日まで伝わっている。
◇
「どう見ても、ちょっと気合いの入ったお菓子作りの本にしか見えませんけれど……何がそんなにすごいんですか?」
家路につく馬車の中、ルシール付きの侍女アンは、主人が息を切らせて抱えてきた本について忌憚なく意見した。
ルシールと同じくらいの年頃のこの侍女は、どこか訝しげにパラパラと本のページを捲っている。
「あのねアン、これは、カモフラージュなのよ」
「カモフラージュ」
「盲点だったわ。古代魔術書の棚をいくら探してもないはずよ。料理本コーナーの隅の方にある、お菓子の本の棚に入っているのだもの」
「……まあ、お菓子作りの本ですからね」
「これを見て? ……ここの後ろ」
冷めた物言いのアンを気に止めることなく、ルシールは本の裏表紙に書かれた文の一部分を指し示す。
「なになに……『魔女のレシピで、彼の心はわしづかみ!』……?」
「ね? ね? 間違いないわ! 魔女の秘薬の作り方でしょう? やっと見つけたの! これで秘薬を手に入れる事が出来るんだもの」
「お嬢様…………何をするおつもりですか……?」
『魔女の秘薬を手に入れる』というあやしげな言葉に、アンは侍女らしからぬ疑わしげな眼差しを主に向ける。
◇
その夜、甘い香りが立ちこめるキッチンで、エプロン姿のルシールは持ち込んだ本を熱心に読み漁っている。
不思議そうに呟く声に、横で片付けをしていたアンが反応した。
「砂糖に小麦粉と、バター……」
「…………どうかしましたか?」
「やっぱり、普通のクッキーの材料と同じね。『秘薬』なんていうから、もっと『トカゲの黒焼き』とか『竜のウロコ』とか『マンドラゴラの根』とか、それっぽいものが入るのかと思ってた」
「偏見じゃないですか……。それにそんな材料じゃおいしくなさそうです」
「それこそ偏見ね。それに、その方が効き目がありそうだわ」
2人は例の本に載っていた『魔女の秘薬』(クッキー)の作成に取り組んでいた。
軽口にからりとした笑顔を見せるルシールにミトンを手渡すと、アンは真面目な表情で主人の顔を見る。
「……たとえお嬢様の思うような結末にならなくても、きっと良い方向に向かうはずですからね」
「……励ましてくれてありがとう、アン」
「さぁ、そろそろ頃合いです。火傷に気をつけて」
分厚いミトンをはめたアンがオーブンの重たい扉を開けると、籠っていた熱気とより強い香りが逆流してぶわりとルシールの顔に当たる。
縁が少しだけ茶色く焦げてはいるが、ハート型で抜いたシンプルなバタークッキーはとても美味しそうに仕上がっている。
「明日、ちゃんとアロイス様にお渡し出来そうね……」
ルシールはクッキーの上々の仕上がりに胸を撫で下ろすが、明日の事を思うとため息が漏れた。
明日は婚約者アロイスとのお茶会の日。
大好きな婚約者は、ポーカーフェイスで口数は少ないけれど、穏やかに微笑む優しい人。
初めて出会ったあの日から、ルシールはずっとそう思っていた。
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