アンダーグラウンド(十三)
鍋の中に、食べ終わった食器を片付ける。
カチャカチャ鳴る音が響き、カランという箸の転がる小さい音を、黒井は聞きながら考えていた。
ちょっとこの世界の人達は、日本国のことを誤解しているような。そんなに酷い世界では、なかった筈だ。
少なくとも自分は、そう思いたい。
「何か、誤解があるみたいなんですけど」
鍋を持った黒井が口を開いた。
他の三人は、何の話だろうと思っているのか、もう、明るい笑顔で首をかしげる。
「確かに、原爆は落とされましたけど、
別に日本も、世界も、滅んでいませんが」
黒沢が「あぁ、その話か」という顔をして、優しい顔になり、黒井の背中を優しく叩く。
「良いんだよ。辛かったことは、色々あるんだろう」
慰められても、黒井は困る。いや、だからね、皆さんってば。
「いや原爆投下から一週間もしない内に、戦争は終わったんですよ」
それを聞いた黒田は、むしろ震えあがる。ブルブルっと、まるで、トイレに行った後のように。そして、やはり憐みの目だ。
「そりゃぁ、そんぐらいあれば、世界も終わるっしょ」
俺だって、知っているんだよ? という言い方。それで黒松と一緒に机を運び、隅に置く。
黒松が黒田に聞く。
「黒田さん、『原爆』って、何ですか?」
きょとんとした顔で聞いている。
それを見た黒井は「え?」っと思って説明しようとしたが、聞かれた黒田が、先に説明を始める。
「あぁ、『原子爆弾』の略称だろうな」
「何だ。言い方の違いですかぁ。同じかぁ」
納得した黒松を見て、黒井も「そうそう」と思っていた。
「『水爆』の方が、一般的なのにね」
不思議そうに、黒松が言う。それを聞いた黒沢も同調した。
慌てたのは黒井だ。ちょっと待って欲しい。説明を。
しかし、黒沢の声に遮られる。
「そういや、日本国から来た人は、みぃんな『原爆』って言うねぇ」
腕組みをして思い出している。あの人も、この人も。言っていた。
黒田が机を下に置いてから、手を横に振る。
「そう言う文化なんだろ? まぁ、ちょっとの違いってのはあるよ」
いやいや、勝手に納得してもらっても、困るのだが。
「でもそれで、報復、したんでしょ?」
黒田の説明で勝手に納得した黒松が、口をへの字にして確認してきた。
いやいや、勝手に報復しないでくれよ! と、思いながら、黒井は鍋から右手を離し、横に振る。そしてまた掴む。
「いやいやいやいや。してないですよ!」
そう言うと、聞いていた三人が『ギョッ』とした顔で黒井を見る。しかし、直ぐに笑顔に変わった。
「ご冗談を。核攻撃されて、報復しないって」
黒松が笑っている。そして、黒井を指さす。
「日本国の人は、大人しいんだねぇ」
また勝手に、黒田が納得している。
黒井は焦る。いやいや、そうじゃないでしょ。当時はこっちだって、大日本帝国だったんだし。同じでしょ。
「本当は、どこに報復したんだい?」
黒沢が、まるで「知っているんだよ?」とでも言いたげに聞く。
「そりゃー、ニューヨークとか、シカゴじゃないすか?」
返事に困っている黒井を余所に、黒松が勝手に答えた。すると、黒沢の顔がキッとなって、黒松を睨む。
「馬鹿だねぇ。そんな民間人しかいない所に撃って、どうするっていうのさぁ」
黒井が慌てて黒沢の方を見る。しかし、言葉を続けたのは黒田だ。
「そうだよ。日本だって、広島が狙われたんだからさぁ。ノーフォークとか、サンフランシスコでしょぉ」
それを聞いた黒井は、もっと慌てた。
この人たちは、何か『凄い誤解』をしている。
「ちょっ、ちょっと待って下さい!」
黒井の言葉で、先走った黒達が一斉に黒井を見た。
「えっと、一応確認ですけど、広島は広島で、呉ではないです」
自分で何を言っているのか判らない。
「え、広島って、呉軍港のことじゃ、ないの?」
黒田には判ったようだ。不思議そうな顔で聞いている。
「違います。広島市です」
黒井が答えても、誰も信用していない。むしろ「何で?」な顔をしている。一番首をかしげているのは黒田だ。
「外したの?」
見当違いなことを聞いてきた。そんな筈はない。
「違いますよ」
「じゃぁ、何で?」
聞かれた黒沢の方を見て、答える。
「知りませんよぉ」
黒井は渋い顔で答えた。俺はアメリカ軍じゃない。
「じゃぁ、ニューヨークとか、シカゴに報復しても、良いのでは?」
黒松が話を戻した。何だか黒田も黒沢も、今度は賛成しているようにも見える。黒井は慌てた。
この世界の人達は、どうなっているんだっ。
「もぅ、そんな東海岸まで、届きませんよ! だからと言って、ロスやシスコに報復とか、してませんからね?」
そう言い切ると、三人は黙ってしまった。
「ロスって、何処ですか?」
沈黙を破って口を開いたのは、黒松だ。黒田に聞いた。すると黒田は目をパチクリさせて、答える。
「メキシコの、ロサンゼルスじゃね?」
「シスコは?」
「うーん。多分、サンフランシスコじゃねぇかな。あそこにさ、アメリカ太平洋艦隊の、母港があるんだよ」
黒井の一言で、話が混乱してしまった。それに負けじと、黒井も混乱している。
アメリカ太平洋艦隊の母港は、ロスの南、サンディエゴの筈だ。
無理もない。
こちらの世界では、アメリカ南北戦争後、テキサスは石油が見つかって経済的に独立し、テキサス共和国になって、現在に至る。そして、テキサスより西側は、メキシコの領土となった。
アラスカも、売却話が出る直前に石油が発見され、帝政ロシア領のままであり、むしろそこから南下政策で領土が拡張し、シアトルまでは帝政ロシア領となっている。
だからアメリカ合衆国の西海岸は、黒井が知るよりも短かった。
「待って。待って!」
黒井は鍋から再び右手を離して縦に振り、全ての会話を打ち切った。もう、この人たち、危ない。
声のトーンを落とし、ゆっくりと説明をする。
「日本は1945年に、広島と、小倉に、原爆を投下されましたが、当時の日本には、原爆がなくて、報復とか、できなかったんです!」




