アンダーグラウンド(九)
黒田は、行ってしまった。無常である。
黒井は固まっている。自動警備一五型との睨めっこが、大好き! さぁ! 私の胸に、飛び込んでおいでっ!
と、思っている訳はない。しかし、似ている状況とは言える。
狂ってしまいそうだ、ということ。
どれくらい経っただろう。黒井にしてみれば、長い時間だった。しかし実際には、一分ちょっとだったのである。
「まーた黒田さんがやってるよぉ」
男の声がしたが、黒井は振り返らない。近づいてくる足音だけを聞いている。
そのコツコツという足音は、黒井のすぐ横にまで来て止まった。
「お兄さんが、黒田さんの、新しい相棒?」
にこにこと笑っているが、気の毒そうに黒井を見る。黒井は返事に困った。あんな爺さんと『相棒』だなんて、嫌すぎる。
「俺は、黒松ね。よろしくー」
そう言って右手を差し出したのだが、黒井はその手を取らない。
「よろしくです」
一言だけ発した。それでも黒松は、別に嫌そうな顔にはならず、むしろ自動警備一五型の方を見て頷き、そして気の毒そうに、また黒井を見た。
「止め方、教わってないの?」
黒松に聞かれて、黒井は目を大きくする。
「いいえ」
また一言だけ発して黙る。あいつめぇ。教えてくれよっ!
「あらそうなんだ。止めてみる?」
そう言われて、黒井は目を閉じるだけで、頷きを表現した。
「はい! お願いします!」
この人は、親切な人だ! 咄嗟に思った。黒松は頷き、黒井の耳に口を近付け、ひそひそ声で話す。
「『お座り!』って言ってね」
「お座り!」
黒井は直ぐに叫んだ! それはもう大きな声で。しかし、一機目みたいに、目のライトが消灯しないではないか。
「お座り! お座り!」
必死で叫んだ。そう言えば、昔飼っていた犬に芸を教えた時も、こんなだったっけ。
黒井は心配になって、黒松を横目に見る。黒松は「あれっ?」という顔をしているではないか。
「おっかしいなぁ」
そう言って、笑いながら黒井を見る。見られた黒井だって、首を傾げるだけだ。
「ちょっと待っててねぇ」
黒松が離れて行く。
「え?」
黒井の視界から消えるのが早い。また足音だけが響く。
「黒田さーん! 相棒の生体認証、まだなのー?」
多分奥にいるであろう黒田に、声をかけている。
「あー、わっすれってたぁ」
あ・の・や・ろ・う! ボケてるんじゃねぇっ!
黒井は心の中だけで叫ぶ。
「絶対ワ・ザ・トでしょぉ」
並んで黒松と黒田がやって来た。これで、やっと停止してもらえると思った黒井は、止まったら直ぐにぶん殴ってやろうと、思ったのであるが、ちょっと躊躇する。
黒田がでっかいスパナを軽々と回しながら、遊んでいる。あれで防御なり、仕返しされたら、こっちが怪我しそうだ。
「えー、ワ・ザ・トだよぉ」
日本語として、それはどうなの? という前に、人としてそれはどうなの? と思う。少なくとも黒井は。
「やっぱりだよぉ」
しかし黒松は寛容なのか、苦笑いをしているだけで、黒田を責める様子もない。むしろのんびりとしている。
「お前が止めてやれば、良かったじゃん?」
「あっ!」
言われた黒松が、今気が付いた感を出しながら、右手を頭に乗せた。ポリポリとかいている。
「そうでしたね! いやぁ、気が付かなかったっすぅ」
「ほらぁ、お前だってワ・ザ・トじゃーん」
「いやいや、こっちのは『天然』なんでぇ」
お互いに指を指し合って、仲良く突っ込み合う。
「良いから止めろっ!」
先輩に向かって命令するなんて、生きの良い新人である。誰とは言わないけど。




