アンダーグラウンド(七)
黒田が、ゆっくりとギアを入れる。さっきまで乱暴に放り込んでいたギアを、音がしないように、そっとだ。
多分、エンジンの音の方が煩い。だからそんな音がした位で、大勢に影響はないはずだ。多分。
少しアクセルを吹かし、クラッチをゆっくりと繋ぐ。
ミートポイントを通過して戻り行くクラッチ。エンジン音が少し静かになって、タイヤが回り始める。
何かを踏んでいる音。ミシミシという音が響く。やけに響く。景色が動き始めた。
黒井の姿が、通りの向こうから丸見えだ。まだ曲がらない。
トラックは内輪差を考慮して左折する。ゆっくりとミシミシとなるタイヤの音が、段々速くなる。
黒井は助手席の窓から、じっと暗闇の先を見ている。
今『何か』を撃ち込まれたら、終わる。そんな予感だけが、暗闇の中にある。
今までの思い出を振り返る時間は、果たしてあるのだろうか。
いや無理だろう。終わったことさえ、きっと気が付かぬ。
トラックが左に曲がるにつれ、黒井が見る景色が変わってゆく。
遠くの暗闇を見つめる目の前を、トラックの角が通り過ぎる。その一瞬だけ、何だか『防護壁』がある気がした。
気が付けばそれも通り過ぎ、フロントガラス越しに暗闇を見る。黒田が、ギアをセカンドに入れたのが判った。
トラックは、ゆっくりと走り続けている。
差しっぱなしの電柱が、一本、また一本と、通り過ぎて行く。
その間、二人は無言だった。
山谷堀を渡るのに右折する時も、黒井はまた緊張していた。
今度は運転手の黒田が『防護壁』になってくれるはずなのに、何だか無駄な抵抗なようにも思える。
右も左も暗闇で、何処から何に襲われるかも聞いていない。
だから、ブラック・ゼロの拠点に到着するまでの僅かな時間が、随分と長く感じられた。
誰もいないビルに入る。
元々トラックが入るように設計されたビルなのだろうか。昔の看板も取れて寂れているが、鉄筋コンクリート造りのその建物は、トラックの運転席よりは、安全な気がする。
黒田がトラックのエンジンを止めて、大きな溜息をつく。
流石にホッとしたようだ。黒井は黒田に話しかけようとしたが、黒田が人差し指を口に充てているのを見て、押し黙った。
「乗ってろ」
短い命令。低い声。黒井は頷いた。
黒田はトラックを降り、キーを差しっぱなし、ドアも開けっ放しで、後ろの方に歩いて行く。
黒井は判断に迷った。もし黒田が『何か』に攻撃された場合は、助けに行かなくて良いのだろうか。武器は何もないのであるが。
ちらっとサイドミラーに黒井の後ろ姿が写ったが、直ぐに視界から消えた。何やら金属音がする。
黒井は、何だろうと耳を澄ませる。
『ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ。ピシャン』
黒井は驚いて、縮こまった。咄嗟に目を瞑り、頭を守る。
しかしそれは、シャッターが閉まる音であった。
その前に聞こえた金属音は、シャッターを操作する金属棒が当たる音だったのだろう。黒井にはそれが判らなかった。
「どうした、そんなに驚かなくても、良いだろう?」
無事戻って来た黒田に、嫌な所を見られてしまった。黒井は目を開けると、黒田が笑っている。
「もう大丈夫ですか?」
咄嗟に聞いた。しかし、大きな声は出ていなかった。
「ああ、大丈夫だ」
それでも黒田には、通じたようだ。運転席には乗らず、スモールライトを点ける。
暗視スコープが、白一色に変わった。
黒田と黒井は、暗視スコープを外し、カラーの世界に戻って来た。
そこは、元々トラックターミナルだろうか。しかし、今は何かの整備場のようだ。
溶接用のボンベだろうか。円筒形のものが並んでいて、ホースがとぐろを巻いている。その隣には、油まみれの作業着が似合いそうな、金属加工用の機械が、取って付けたように並んでいた。
黒田はピョンとトラックターミナルに飛び乗ると、その辺に転がっている自動車用のバッテリーを足で蹴り、少し移動させると、洗濯ばさみにしては大きな鉄のそれを挟んだ。そして、電気を点ける。
最低限の光量に調整して、黒井の方を見てOKサインを出した。
黒井は頷いて、シートベルトを外す。そして、ドアを開けてトラックを降りた。そっと扉を閉める。
入れ替わりにトラックに戻って来た黒田が、スモールライトを消し、トラックのキーを抜く。
そしてドアを『バタン』と音を立てて閉めた。
「もう、音立てても、大丈夫なんですか?」
苦笑いで黒井が聞く。脅かしやがって。もう。
「え? OKって、言ったじゃん!」
普段の黒田に戻っていた。悪戯っぽい顔をして、黒井を指さしている。まるで、『ビビリ』だと、言っているようだ。
こういう所が、ムカつくんだよなぁ。黒井は思っていた。
そんな黒井の心境を無視して、黒田が荷台のサイドを手際よく下げ、運転席の後ろから荷台に這い上がった。
そして、シートを外し始める。
それはどんどん剥がれて行き、何が積んであったのかが見えて来る。後ろまで行くと、全体が現れた。
何が出て来るんだろうと思っていた黒井だが、見えて来たダンボールを見て、思わず笑顔になってしまった。
「何で『温泉の元』を、そんなに持って来たんですか?」
荷台に積まれたダンボールを右手で指さし、左手は腰に当てて聞く。『温泉のメンテナンス』って、そういうことだったの?
それに黒田は答えない。ニヤニヤ笑って黒井を見つめながら、荷台の上を、再び運転席の方に戻って来る。
そして、ダンボールの隙間から、腕を差し込んだ。
「ようこそ! ブラック・ゼロへ!」
黒田の声と同時に、ダンボールがはじけ飛んだ。中身は空だったようだ。
そして、金属の棒が二本、その中から現れる。
いや、棒じゃない。腕だ。
万歳をするかのようにダンボールを蹴散らして、胴体の下に折り畳まれていた短い脚が跳ね上がって、武骨なロボットが立ち上がる。
「Auto Security・一五でーす」
黒田の説明と共に目が光った。『ウィーン』と腕が降りて来る。
腕に先に、何やら銃口らしき物が付いている。『ガチャッ』と音がして、ロックされた。
絶対に、危ない奴だ。
『テヲアゲロ!』
黒井は驚いて、直ぐに気を付けの姿勢になり、両手を挙げた。




