ムズイ(七)
オペレーションルームの前に着くと、二人目の朱美がいた。
普段は庶務の山崎である。
「お疲れ様です」
「どうも。お先にどうぞ」
セキュリティーの所で山崎が富沢部長に挨拶をすると、先を譲られた。
「はい。お先に」
山崎は顔認証をすると、『ピッ』と音がする。
『円周率を十二桁まd (ガチャ)』
山崎が『三・一四一五九二六五三五八九七九』と、入力している最中にドアが開いた。
富沢部長に会釈して、中に入って行く。
富沢部長が溜息をつきながら、チラっと琴坂課長の方を見る。
まるで『馬鹿のせいだよ』と言っているかのようだ。
「お先にどうぞ」
琴坂課長が言ったのと、顔認証の『ピッ』と鳴ったのが同時だった。
『千より大きな(ガチャ)』
富沢部長が、一〇〇九・一〇一三・一〇一九・一〇二一・一〇三一と、素数を入力している最中にドアが開いた。
また迷惑そうに、馬鹿を睨んで中に入って行く。
そんな風に睨まれても、琴坂課長は表情一つ変えない。
それ位のセキュリティ、ハッカーなら通過して当然と、思っているのだろうか。いや、単に鈍感なだけだろう。
最後に琴坂課長が顔認証を行った。
すると『ピロロン』と、さっきとは違う音がして、琴坂課長が笑顔になる。
『お帰りなさい琴坂主任。お待ちしておりました』
「三号機ちゃん、ご苦労様。どうなってる?」
『泳がせております』
「そう。ありがとう」
琴坂主任は監視カメラに向かって手を振りながら、セキュリティーを通過して、オペレーティングルームに入って行く。
その時、セキュリティーゲートの液晶パネルが、テンキー表示から『ハートマーク』に変わったのであるが、それを見た者はいない。
折角、ここの液晶パネルだけ『カラー液晶』だったのに。
その横の扉が『シュッ。パチン』と閉まってロックされる。
扉には変体少女文字で書かれた『薄荷乃部屋』が現れた。
誰がそんなプレートを特注したのか。
それは、今から遡ること十年前、まだ琴坂課長が琴坂主任だったあの日、あれ? 変わっていない。
おっと、今はその時ではないか。この物語は、また今度にしよう。
薄荷乃部屋に、薄荷飴が全員揃った。
主任が一番最後だ。
コーラを買いに行った、あの裏切者も、ちゃっかり端末の前に座っている。
扉の開く音の回数を数えていたのだろう。前を向いたまま、缶コーヒーを後ろに放り投げる。それを主任が『パチン』と受け取った。危ないなぁ。しかし、狙いは正確だ。
「あの野郎、ブラックコーシーって言ったのに、マックスコーヒーじゃねぇかぁ。しかもホットだしぃ」
思わず呟く。もう、何だよぉ。まっ、予想はしていたけどね。うん。知ってる。宮ちゃんは、そういう奴だ。
「部長、コーヒー如何ですか?」
「あぁ、ありがとう」
全体が見渡せる責任者席で、モニターを凝視していた部長が、ちらっと主任の方を見て、マックスコーヒーを受け取った。
一礼して、指揮官席の課長の方に向かう。
「課長、どんな感じ?」
「あぁ、主任か。お疲れ」
モニターを見ながら、真剣な表情で会話をする。
「あまっ」
部長の声がした方に、揃って顔を向けたが、そのままモニターの方に揃って振り向く。
「朱美ちゃん、どう?」
「第三障壁突破まで、あと三十秒です」
左から二枚目のスクリーン上に、大きなデジタル時計が表示され、それがカウントダウンされ続ける。
忙しくキーボードを叩いていて、何とか対抗しているようだ。
「第三障壁耐久度・三十%、二十八、二十六。止められません」
冷静に耐久度を読み上げる本部朱美の声が、スピーカーから響く。
「基幹システム、閉鎖します」
山崎朱美の冷静な声が響くと、宮園武夫が振り返り、課長と主任の顔を窺う。
課長はディスプレイを凝視したままだが、主任が首を横に振った。
やはり、基幹システムは止められない。
「緊急プロトコル起動せよ」
端末に向かった宮園武夫の低い声が、マイクを通じて響く。
閉鎖のコマンドを覚悟していた山崎朱美は、直ぐに切り替えた。冷静にコール。
「緊急プロトコル『サンダー』起動願います」
山崎朱美のリクエストがマイク越しに響くと、宮園武夫が手を動かし始める。
「『サンダー』起動。了承」
起動コマンドとパスワードを入力し、エンターキーを強打。
「三号機ちゃん、よろしくっ」
『緊急プロトコル・サンダー・起動・了解しました』
ちょっとのんびりとした感じもする人口音声が響く。
「サンダー起動確認。第三障壁耐久度・十八、十七、止まりません。十九、あっ、二十二、三十。止まりました」
モニターに表示された第三障壁耐久度が、大きくなっていく。
「第三障壁・正常」
富沢朱美の声が響く。
侵入者は第二障壁と第三障壁の間で、まだウロウロしているが、危機は去ったと言えるだろう。
「チェックメイト」
部長がニヤリと笑う。マイクがオフになっていたのだが、課長には聞こえていたようだ。
「うーん」
課長の呻き声を聞いて、主任がポツリ。
「終わらせますか」
その声に、スクリーンを見たままだった課長は、主任の方を、ちらっと見た。
「そうだな。もう良いだろう」
そして、ニヤリと笑った。主任は頷く。
「後はこちらで始末します」
そう言って自分の席に座ると、物凄い速さでキーボードを打鍵し始める。
カチカチと言う音だけが、薄荷乃部屋に響いていた。




