ムズイ(六)
「あれ? 琴坂主任、何処行くんすか?」
オペレーションルームとは逆方向に歩いているのがバレて、宮園課長は渋い顔をする。
言われた琴坂課長も渋い顔だ。
「バレた? 全員集合だからさ、富沢部長も呼ばないといけないんだよ。一緒に行こうぜ?」
宮園課長は黙って向きを変えて歩き出す。
「ちょっと、待てよっ! おいっ! 宮ちゃーん!」
コードネームも忘れて、琴坂課長は宮園課長を引き留める。
しかし宮園課長は止まらない。むしろ足を速める。振り返った顔が渋い。
「嫌ですよ。俺、あの人苦手っす。琴坂主任が頼まれたんでしょ? 琴坂主任が呼んで来て下さいよぉ」
琴坂課長は、宮園課長の肩に手をかけて、引き留める。
「そんなこと言わずに! なっ? 頼むよぉ」
「嫌なもんは嫌っす。あの人、俺のこと、昔から嫌っているし」
「そんなことないよぉ。
朱美ちゃんは昔からお前のこと、嫌っていないよぉ。
誰でも同じように接しているだけだって。
なぁ? 大丈夫だって。もっと自分に自信を持てって」
傍から見たら、琴坂課長が宮園課長を、凄く励ましているように見えるだろう。まるで良い奴だ。
しかし、渋い顔のままで、宮園課長から返事はない。琴坂課長は溜息をつく。
「判った判った。コーラ、買ってやっから。なぁ?」
「二本ですよ?」
笑顔になった宮園課長が、ブイサインを出す。それを見て、口をへの字にした琴坂課長は、サイフから千円札を出す。
それを宮園課長が、ピッと奪った。
「じゃぁ俺、琴坂主任の分も買って来るんで、先に行っていて下さい!」
走り出した宮園課長に、琴坂課長が注文する。
「判った。俺、ブラックコーシーね!」
「はーい。いつものですねー」
にこやかに手を振りながら、宮園課長は自販機の方に消えた。
「よろしくー」
宮園課長は気が利く良い奴だ。昔から変わらないなぁ。俺に対する態度も、甘えん坊な所も。
変わったのは、体重だけだろう。
監査部の前で三分待ったが、宮園課長は帰って来なかった。
「どもー、朱美ちゃん、元気?」
富沢部長席にアポなしで来て、しかもフランクに話しかける馬鹿が現れた。
部長席前に居る庶務さんが、慌てて席を立つ。
「すいません。何か御用でしょうか?」
しかし、琴坂課長は遠慮がない。
「部長が呼んでます。直ぐ来て下さい」
椅子に座ったまま書類から目を上げた富沢部長が、顔をしかめて琴坂課長を睨み付ける。
「何ですか? 琴坂負夫さん」
わざと名前を間違えて呼ぶ。本当は『琴坂牧夫』である。
「本部部長がお呼びっす」
富沢部長は高田部長と仲が悪いので、その上役の名前を出さないと動かないのだ。めんどくさい。
「本部長? だから何?」
強気の返事だ。
そんなことより、今見ている書類の方が大事なのだろう。
「いやいや、緊急呼出なので、ここではお話できません」
本当は、まだ何も聞いていないだけなのだが。
「本当は、高田課長の呼び出しなんでしょ?」
疑いの目を向けた。監査部なので当然だが、良く似合っている。
「違いますって。本部長ですって!」
「証拠は?」
「え?」
琴坂課長は目を丸くして固まった。
「証拠は? 緊急呼出の証拠は? 無いの?」
「電話だったので」
勢いに押されて、思わず答える。
「電話なんかじゃ、相手が誰だか判らないじゃない!」
フンっと吐いた鼻息で、机上の書類が揺れた。琴坂課長の後ろに並ぶ監査部員は、首を縮めて小さくなっている。
「黒電話なので、間違いないかと」
恐る恐る答えた。
すると富沢部長は、渋い顔のまま立ち上がる。
「本当なの?」
「はい」
「確認するけど?」
そう言って、端末を取り出すと操作を始めた。
ダメだ。もう止められない。琴坂課長は内心ドキドキしながら、高田部長から本部長に、連絡がついていることを祈る。
「あぁ、パパ? 何か馬鹿が呼びに来たんだけど?」
そう言って、琴坂課長を睨む。
「だからぁ、急に呼び出されても困るのよ。馬鹿に任せておけば良いでしょ? 何で私まで呼ぶのよ! 忙しいのよ!」
琴坂課長を睨んだまま、パパに文句を言う娘のようだ。
「えぇ? 高田課長も呼んだの? あの人、新人の頃から嫌いなのよ! 部長会で話しかけないで欲しいわぁ」
そう言って端末を睨み、通話を切った。ポケットにしまうと、さっさと歩き出す。
「何してんの! 行くわよ!」
琴坂課長に声をかける。慌てて歩き出した。
「何処?」
「えっ?」
強めに言われて、琴坂課長は一言だけ発した。
二人は監査部の部屋を出て行った。監査部に溜息が漏れる。
「だから何処! どこの会議室!」
「あっ、オペレーションルームです」
慌てて答えた。すると富沢部長が向きを変える。
「逆じゃないっ! もぉぉっ、だから、い・つ・ま・で・たっても、主任なのよぉー。ねぇ? 琴坂負夫さん!」
「はい。すいません」
一度見えなくなった二人が、再び監査部の前を通り過ぎる。琴坂課長が小さく頷きながら通り過ぎて、また監査部に、溜息が漏れる。
「返・事・はっ?」
廊下から富沢部長の怒号が聞こえて来て、全員ビクッとなった。
「はいっ!」
琴坂課長の声も、良く聞こえている。
しかし、誰もビクっとすることはなく、むしろ、溜息と苦笑いが監査部を和ませていた。




