ムズイ(五)
社史編纂課に来た。しかし、殺風景な部屋だ。
背表紙だけは奇麗な分厚い本が並んでいる。入り口のカウンターには、時代遅れのタイプライターがポツンとある。
いや、時代遅れも誉め言葉に思える。使われている形跡はない。
その隣には、栄養ドリンクの空き瓶に、造花の花が一凛。
当然、生気はない。
昼休みは、とっくの昔に終わっているはずなのだが、部屋にはトランジスタ・ラジオからか、哀愁漂う演歌が安いスピーカーを揺らしている。
何だ? この部屋は。いや、最初に言った通り、社史編纂課だ。
「おーい、宮ちゃん、出番だよぉ」
小豆バーを咥えたまま寝ている男が一人。いや、死んでいるのだろうか? 動かない。琴坂は、男の前に回り込む。
「おーい、宮ちゃーん! なんだ、きったねぇなぁ」
どうやら二本目の小豆バーのようだ。
机に二つの空袋と、一本の棒。こいつ、また咥えたまま寝てしまったのか。口から小豆色のよだれが垂れている。
ビクッっと動いて、スイッチが入ったのか、それからゆっくりと動き出す。まず口に力が入り、小豆バーをしっかりとくわえ直し、そっくり返った上半身を元に戻しながら目を開ける。
「あー、琴坂主任。おはようさんです」
「また小豆バーかよ。お前も好きだなぁ。でも、寝るなよぉ」
そんな忠告を聞いている様子もなく、目を擦る。
「なんすか? 俺、こう見えて、結構忙しいんですけどぉ?」
先ず文句。こいつはいつもそうだ。琴坂は口をへの字にした。
「部長がお呼びだ。さっさと支度しろよ」
「誰部長すか?
琴坂主任、いっつも主語がないっすよぉ。
うちの会社に、何人部長がいると思ってるんすかぁ。
これだから万年主任なんすよぉ。あー、忙しい、忙しい」
全然話を聞いていない。
しかし琴坂も、コイツの話を聞くつもりもない。
「高田部長だよ。高田部長」
「ちっ。あぁそれ、まだやってるんすかぁ」
汚く舌打ちして、眉間にしわを寄せる。あぁ、琴坂も溜息だ。
「そぉだよぉ。本部長だって、まだやってるよぉ」
「本部長、何しに来るんすかぁ?
はぁ。めんどくせっ。忙しいのにぃ。しょーがねぇなぁ。
それじゃぁ、俺も、宮園課長に変身すっかぁ」
足で勢いを付けて立ち上がる、と見せかけて、腹がつっかえて『ガタン』と言っただけ。
椅子を後ろにグイッと押して隙間を広げると、やっと立ち上がる。
後ろの棚に置いてあるこけしが、揺れて倒れそうになるが、踏ん張った。しかし、赤べこの首は激しく揺れている。
「琴坂主任で、何とかならなかったんすかぁ?」
「知らねぇよ。集合になったばかりなんだからさぁ」
「何だぁ。そこはいつも通り、ちゃっちゃっと始末して下さいよぉ。まったく。相変わらず使えないなぁ。
だから『琴坂主任』のままなんすよぉ。早く『琴坂課長』になって下さいよぉ」
「いいからいいからぁ。早く早くっ」
「はいはい」
宮園課長は、琴坂課長に押されて部屋を出て行った。
残された社史編纂課の面々が、ポカンとしている。
「どこ行ったの?」
「古巣じゃね?」
「あぁ。あそこか。鳥島?」
「だっけ? 遠くね? まぁ、いっか」
「だね。別に、暇だし」
課長が急にいなくなっても、平和な部署なのであった。




