ガリソン(七)
「旨そうだなぁ」
テーブルを見ながらそう言うと、真っ直ぐ冷蔵庫へ向った。風呂上りと言えば、言わずもがな。
可南子も判っている。席を立ち戸棚へ向かう。
「今日はどれにする?」
可南子の声に牧夫は振り返った。
「江戸切子にしようかな」「これね」
阿吽の呼吸。可南子はグラスを取り出して戸棚を閉めた。
そして夫婦二人、仲良く冷蔵庫の前に立つ。牧夫はコーヒーの紙パックを持ち、可南子はグラスに氷を入れて冷蔵庫の扉を閉める。
扉を閉めるのは、まるで可南子の仕事のようだ。
二人はテーブルに戻って来た。これで四人の家族全員が揃った。
「はい。お疲れ様」
「おぉ、すまんね」
可南子がテーブルに置かれたコーヒーの紙パックを両手で持ち、笑顔で牧夫の方に向けている。牧夫は直ぐにグラスを持ち上げた。
まるで酒でも注いでいるようであるが、これでは酔いそうにない。
「女房の晩酌は旨い!」
グッと飲んで、何とも安上がりな一言を吐く。牧夫はグラスを置くと、スプーンを手に取りカレーを一口食べた。
「ちょっと辛いな」
「やっぱり?」
牧夫は辛いのは苦手だ。だからカレーは中辛に、少しビーフシチューの基を投入するのだ。
「あぁ、でも旨いよ。うん」
「そう? よかった」
そう言いながら可南子も一口食べた。
「ご飯まだある?」
「あるわよぉ」
優輝が自発的にお代わりをしに行った。そういう行動は早い。食いしん坊め。
琴美にとって今日は色々あったが、普段の食卓の風景が戻って来た思い、安心していた。
後はそう、父がテレビを消すだけだ。
「今日は大変だったんだってな」
父が琴美の方を見て言った。そうだ。別に忘れていた訳ではないが、今日は危うく死ぬ所だったのだ。
琴美は目の前に『タンクローリー』が迫って来たのを思い出し、カレーを食べるのを辞めた。
牧夫は、娘を心配しての質問だったのだが、手を止めてしまったのを見て反省する。
食べ終わってから聞けば良かったと思った。無事だったのだから、それで良いではないか。
怖いことを思い出して、もごもごしているのを見兼ねてか、それともドキドキしたのは母も一緒だからか、可南子が答える。
「そうよ。ヘリコプターが突っ込んで来たのよ」
「何で国道に?」
「中央分離帯の芝生に、不時着しようとしたんじゃないかって言ってたけど、ダメだったみたい」
口をへの字にして、可南子が言うのを琴美は眺めていた。
「危なかったなぁー。結構近かったのか?」
キョトンとする琴美に牧夫は質問した。
琴美は考える。『タンクローリー』は、ヘリコプターの直撃を受けて、転倒したのかと。そんなことってある?
「部品が飛んで、危なかったそうよ」
「真里谷さんの娘さんも一緒にいたそうじゃない」
「そう。真里ちゃんから聞いたのよ」
「真里ちゃんは無事だったの?」
「先にコンビニに、走ってたんですって」
父と母の会話を聞きながら、琴美は今朝の出来事を目の前で再生していた。
赤い炎が迫って来たのは覚えているが、その先は判らない。
「そうなの?」
父の声に琴美は思わず頷いた。
世の中には、自分の知らないことの方が多い。事故の被害者が、事故の状況について一番詳しいとは限らないのだ。
きっとヘリコプター『も』、落ちて来たのだろう。