アンダーグラウンド掃討作戦(百四十二)
船長が医務室のベッドに放り投げられた頃、無線室には更なる緊張がみなぎっていた。本部から、信じられない指令が来たからだ。
『ソウイン タタ゛チニ タイカン セヨ オシ゛ヨウ』
眉をひそめ、渋い顔で『指令』を睨み付けている。文面はカナであるが、それは明らかに『総員直ちに退艦せよ。お嬢』である。
「良い所に来た。本部からのこれ、絶対、冗談だよなぁ?」
長井が苦笑いで、無線室に入って来た中井に問う。
「何だよそれ。誰からのだよって、お嬢さまぁ!」
丁度交代の時刻で、二人の無線技士が揃った所だった。
無線室には本部からの『緊急打電』が、スピーカーを通じて繰り返し鳴り続けていた。二人は揃って耳を傾ける。
しかし何度聞いても、流れるモールス信号が表す『指令』に間違いはなさそうだ。
「嘘だろぉ?」「だよなぁ?」
思わず漏らした乾燥。ん? 漏らしたのに乾燥とは?
訂正。漏らしたズボン。
「それに、それに外は雨だぜぇ? どうするんだよ」
本当にどうするのか、困っている表情だ。中井も当然同意する。
「だよなぁ。誰だって溶けたくはないもんなぁ」
どうやら二人共、この世界『生粋の住人』らしい。雨に濡れると溶けることを、忘れずにしっかりと覚えていたようだ。
「とりあえず、操舵室に報告するしかないだろう」「だなぁ」
「じゃぁ、俺、行って来るから。後はよろしく」「ん?」
軽い感じで長井が無線室を出て行こうとする。しかし扉を開けた所で、それを中井が引き留めた。
「何だ?」「頼む。ちょっと、待ってくれ」
振り向けば、中井は随分と渋い顔をしているではないか。
おでこに右手を付けて顎を引き、左手を真っ直ぐ長井に向けて。どうやら色々と考えているようだ。
しかし、当直時間が終わった長井にしてみればもどかしい。操舵室に報告し終わったら、後は自由時間だ。
飯食って、シャワー浴びて、うんこして、寝る、である。
「操舵室には、俺が行って来てやるよ。なっ?」
そう言われた瞬間に、長井も気が付いた。
手にしている指令が『総員直ちに退艦せよ。お嬢』である。これを船長に報告したらどうなるか。想像すれば直ぐに判ることだ。
うんこは別として、他のことはする暇がなさそうだ。
「いやいや。俺が行って来るよ。お前、無線室頼むよ!」
しかし努めて冷静に、まるで『この船は大丈夫』と言い聞かせるように言ってみせる。
沈みゆく船で無線技士の脱出は、割と最後の方であるからにして。
「卑怯だぞっ! 俺が行くって!」「嫌だよっ!」
二人は仲良く走り始めていた。今時の船には『SOS』を打電し続ける装置が、ちゃんと搭載されていると言うのに。知らんけど。




