アンダーグラウンド掃討作戦(百十八)
お嬢はさっきから落ち着きがない。扇子を閉じたり開いたり。
それでいて閉じたまま仰いでしまったり、開いたまま机をトントンしてしまったり。
イライラして、遂に扇子を机に叩き付けてしまった。
『バシンッ』
ツツーっと机の上を流れて行って、ポトリと落ちる。
すると今度は、手持無沙汰になってしまったと思うのか、右手の人差し指で机をトントンと叩き始めた。
執事が苦笑いで近付いて来て扇子を拾い、それを机にそっと置く。
するとお嬢は、置かれた扇子をパッと奪い取り最初に戻る。
しかしまぁ、これで三回目だ。執事と言うのも中々に大変である。
「まだなのっ?」「はい。『まだ』でございます」
執事が頭を下げた。このやりとりは、確か、もう十五回目だ。
「どうして返事が来ないのっ!」「悪天候のようなので」
お嬢は再びイライラし始めるのだが、執事にはその理由が判らない。何故ならお嬢は、執事に『一切の理由』を話さないからだ。
それでも執事から見てお嬢の顔は、『悪天候だったらどんなに良いか』であると判る。
何だか返事のない『マグロ漁船』が、沈んでしまっているとでも考えているような、そんな感じさえする。
いやいや。どう考えてもそれはない。
あの『マグロ漁船』は、軍から払い下げられた『軍艦』を改造したものだ。そんな『天気予測』で伝えられた『悪天候ごとき』で、沈むような代物ではない。一体、何を心配しているのやら。
「お嬢様、一体何に『警戒』されていらっしゃるのですか?」
するとお嬢は、扇子をピタリと止めた。執事の方を見て、『理由』が喉まで出掛かっている。が、それをグッと飲み込んだ。
「貴方は、知らなくて良いことです。何も」「失礼しました」
お嬢は頷いて、再び扇子をパタパタし始めたのだが、何を思ったのか、それを急に止める。
パチンと大きな音を鳴らして扇子を閉じると、扇子で執事を指す。
お嬢の鋭い目に、執事は思わず息を呑む。
「今日のことは、絶対に忘れるのよ」「畏まりました」
するとお嬢は扇子を机に『バシンッ』と置いて、初めて頭を抱え込む。執事は『忘れろ』と言われたのに、暖炉の方をチラリと見てしまう。直ぐに前を向く。さっきの封筒は、もう灰になっている。
お嬢はテレックスの他にも、電報を打電していた。
勿論メールもだ。ありとあらゆる通信手段を駆使して、送信した指示の結果を待ち続けているのだ。しかし返事がない。
あの顔は覚えている。忘れたくても忘れない顔だ。
主席で卒業した者だけに与えられる名誉、『校長直々の卒業証書授与式』に、お嬢は緊張していたのを思い出す。
禁断の間『校長室』に入ると、床には『白い足跡』が。
それを正確に踏んで行く。外した場合どうなるかは、床に描かれた『白い人型』が如実に示している。見れば依井教官だ。
その先の大きな机の向こうに、『伝説の校長』が立っていた。
そもそも一人を除き、『校長の姿』を見た者はいない。しかしお嬢は、その『背中だけ』は見覚えがあった。
中庭の訓練場で、お姉様を相手にしていたのを覚えている。
何人で襲い掛かっても、一度も倒せなかったお姉様を相手に、直立不動のまま攻撃を一身に受けている。一歩も引かずにずっとだ。
そして何故か、攻撃を仕掛けている筈のお姉様だけが、ボロボロになっていた。それを何時間、続けていたのだろうか。
その背中が振り返ると、ニッコリ笑って『卒業証書』を手渡してくれたのだ。恐ろしくて、目も合わせられなかった。何を言われたのかも覚えていない。とにかく、逃げるように校長室を後にした。
コードネーム『ゲムラー』。階級は大佐。個人情報で知っていることはそれだけだ。後は何も判らない。
コードネームの由来は判らないが、そもそも『ゲムラー』で呼ぶ者は皆無。勿論『校長』と呼ぶ者もいない。
何故なら『大佐』と呼称すれば、それは『ゲムラー大佐』を意味するのだから。
風の噂に聞いたことがある。軍の中で『海兵隊』の設立に尽力していたと。『尽力』と言っても、それはつまらない軍閥の『派閥争い』なんかではない。
戦艦から強襲揚陸艦、挙句の果てには潜水艦まで。実戦投入間近だった『秘密兵器』まで開発していたとか。
そして函館に向かい、そのまま帰って来なかった。
海兵隊になる筈だった軍艦は民間に払い下げられて、『マグロ漁船』もその内の一隻だ。集められた兵士の多くは所在不明である。




