アンダーグラウンド掃討作戦(百)
「どうぞっ! 次のご予定へっ! お急ぎ下さいっ!」
牧夫が時計を見るのを止めた。すると可南子は、機嫌良く笑いながら二人へ手を振る。
まただ。飛んで来る『何か』の気配を察知したのか、歩き始めた牧夫の足がピタリと止まった。
「じゃぁ、行きましょうか? 奥様」「あら、嬉しいわ。貴方」
走り寄った可南子が、差し出された右腕をパッと掴まえる。そして、ナイフが飛び交う通路へと向かう。
信じられない。この状況で、利き手を預ける程の余裕とは。いやいや、今はそんなことに驚いている場合ではない。
お嬢は走り出すと、二人を追い越して前に出る。
「そこまでっ! お姉様がお帰りですよっ!」
すると今までの激戦が、嘘のようにピタッと止んだ。鳴り響いていた怒号も、一瞬で静かになった。
最後に『あっ』と聞こえたお嬢が自分のわき腹を見ると、そこにナイフ一本突き刺さっている。
「あら、お嬢。大丈夫?」「はい。問題ありません」
傷は浅い。それを引き抜いて、ペコペコしている下級生へ投げ返すと、可南子へ余裕の笑みを魅せる。
その間に左手で『頭が高い。早く下げろ』と、下級生に合図をする優しさまで見せているではないか。中々タフである。
「では、ご機嫌よう」
歩き始めた可南子を見送って、お嬢は止血に掛かる。とりあえず唾を付けて、それから赤チンでも塗りましょうか。
いや、直ぐに四期生が飛んで来て、絆創膏を貼ってくれた。
「あら。どちら様?」
突然、前を歩く可南子の声がして、お嬢は驚いて前を向く。夫婦の前に、誰かが立ち塞がったのだ。
ちょっと待って。折角『無傷』でお帰り頂こうとしていたのに、足止めした馬鹿は何処のドイツだ?
黒豹部隊の指揮系統は、年長者からの『ご指名』が系列となり、暗黙的に続いている。そして年長者は、後進の『教育係』を兼ねているのだ。例外はない。
故に『失態の責任』は、全て『教育係』が問われることになる。
だから、進路を邪魔された可南子は、立ちはだかった者を咎めるでもなく、周りをキョロキョロしている。
つまり『教育係』を探しているのだ。
しかし、誰も顔を上げようとはしない。どうやら見捨てられたのか、それとも自殺志望者なのか。事の詳細は不明である。
「真間真美と申します。コードネームは『銀座のママ』です」
「聞いたことないわねぇ。教育係は誰?」
それは、西ドイツでも東ドイツでもなく、ましてや千葉のドイツでもなく、銀座のドイツだった。それも違う。
実は可南子が昔々のその昔、まだあどけなさが残る美少女と呼ばれていた時代に、瞬殺した『真間真希』の娘である。
いや、『瞬殺した』のに『娘』とは如何に。
「母の仇、果たさせて頂きますっ!」
真間は短剣を両手に持ち、逆手にして身構えた。




