アンダーグラウンド掃討作戦(四十四)
「いやいや。今月はまだ『少佐』だよ?」
にこやかに念を押した。どうやら本人は『昇進したこと』を、喜んではいないようだ。むしろ残念に思っている節もある。
「あっ、そうでした。すいません」
本来『お祝いの一言』もあって然るべきなのだろうが、怪我人からもそれはない。
表情を見る限りは、こちらも残念そうにしているではないか。
二人はそれぞれ、思い出に浸ってしまったのだろうか。急にしんみりとしてしまった。互いの顔を見ての『苦笑い』が切ない。
「ビールと枝豆です。お待ちどうさま。こちら栓抜き」
「おぉ。来た来た。さぁ、飲もうじゃないかっ」
良いタイミングでビールが届く。二人の顔が明るくなった。
給仕のおばちゃんがパパっと二人を見る。直ぐに気が付いた。だからだろう。二人に声を掛ける。
「ごめんなさいねぇ。ちょっと団体さんが居てねぇ」
親指で厨房の方を指さした。愛想の良い苦笑いを添えて。
しかし二人の男に『不機嫌』な様子はない。
「いえいえ。商売繁盛、結構なことです」「その通りです」
二人には判っている。さっきから『ゴトゴト』とか『シャーッ』という音が聞こえていた。
ご主人が忙しそうに、鍋を振るっているのが見える。そして出来上がった料理は、店の奥へと消えて行くだけだ。
「栓、開けましょうね」
「あぁ、すいません。お願いします」「ありがとうございます」
瓶ビールを注文する背広の奴らと言えば、それはもう『会社員』と相場が決まっている。
上司と部下が『注いだり注がれたり』をするのだ。『飲みにケーション』とか言われてる奴だろう。
どちらかと言うと給仕のおばちゃんは、『拳で語り合う方』であるのだが、そんな関係も嫌いではない。
しかし一目見て、若い方が左手だけしか使えないと判る。しかもグラスの位置も箸の向きも、『利き手は右手』を示している。
必死に締めたであろうネクタイも、上司の前で曲がったままだ。これではビール瓶の栓を抜くこともままならない。気の毒に。
きっと『退院祝いか何か』のお祝いなのだろう。
おばちゃんは栓抜きで『美味しくなーれ』のおまじないをすると、勢い良くポンと開けた。
そしてニッコリ笑い、上司の方に瓶ビールを差し出す。
「最初の一杯は、お注ぎしましょう」
「あぁ、では『今日の主賓』からで」
ほらね。やっぱり今日は『退院祝い』だ。
上司が部下のコップに先に注げと勧めている。部下想いの、良い上司ではないか。おばちゃんはニッコリ笑って部下を見た。
「いえいえそんな。『昇進祝い』にしましょうよ」
部下は部下で、何とか『上司から』と勧めようとしている。もちろん上司は首を横に振って譲らない。
そりゃそうだろう。『主賓が誰か』なんてのを決める権限も、当然上司が保有しているからだ。
しかしだからと言って、おばちゃんにしてみれば、そんなの『どっちから』でも良いことなのだが。
良いから早くしろとか、そんなことを口にする訳にはいかない。何しろ目の前の二人は、『師匠の店のお客様』なのだから。
『私・の・お・酌・にぃ、何・か・ご・不・満・で・もぉ?』
若い方の男がバタバタし始めた。右手で握ろうとしたコップであるが、それを包帯でグルグルの指先で弾き飛ばす。
机上をスッと流れて行くグラスを、左手で見事にキャッチ。
右肩の動きを見れば『両手で受けよう』としているのが丸判りだが、もちろんそれはままならない。
上司にペコペコお辞儀をしたと思ったら、おばちゃんからも目を逸らし、頭を下げたままだ。
別に、おばちゃんが何を言ったでもなし。
ただ『そう思って』若い方を優しく見つめただけだ。
「はい。どうぞぉ。退院おめでとうねぇ」「恐縮です」
グラスにビールが注がれて行く。重みを感じて部下が顔を上げた。
「はい。昇進おめでとうございます」
ニッコリ笑って上司にもビンを差し出す。
「あっ、これはこれは。美人さんのお酌、光栄です」
「あらっ。こんな『年増』がお好みぃ? はい。どうぞごゆっくり」
おばちゃんは機嫌良くビール瓶を置き、厨房へと戻って行った。




