東京(三)
寛永寺駅を出ると人工地盤の端である。屋根があるのはここまで。
寛永寺一帯は、東京でも数少ない『屋根のない地域』なのだ。
外が見えるように、斜めのガラス張りになっていて、三時間以内の降雨予測が表示されている。今は『安全』だ。
『天気予報』だった頃は『%表示』なんて、実に曖昧な基準が採用されていたが、今はそんなご都合主義は許されない。
何しろ、命に関わるからだ。
昔の気象予報士は『0%』を必ず『レイ%』と呼称し、絶対『ゼロ%』とは言わなかった。
『零』と『ゼロ』は意味が違う。『零』には『取るに足りない程小さい』という意味があり、『ゼロ』の『何もない』とは少しの差とは言え、確かに違う意味なのだ。
だから『ゼロ%なのに雨が降った』と苦情を言っても、それは本人の勘違いなのだ。
え? まだ『天気予報』やっている地方があるって? だとしたら、耳を澄ませてみて欲しい。『0%』と表示された数値を見て、にこやかに『零%』と呼称している筈だ。
琴美と楓は、そんなことに気が付くこともなく、セキュリティーを通過して外に出る。
良い天気だし、みんな躊躇せずに外に出ている。それが理由だ。
結局『雨が降るか?』なんて、個人の勝手な結論に、左右されるものなのだ。
寛永寺は『世界遺産』なので、外国人観光客も多い。彼らは日本人とは別の、セキュリティーを通過して外に出る。
マイクロチップを埋めていないからだ。
まぁ、埋めていたとしても、東京は外国人が立ち入り出来ない地域が多い。
基本的に人工地盤の下、『アンダーグラウンド』は立ち入り禁止だし、ブロック間の移動は『エレベータ』での水平移動に限られる。
そして、水平移動中は『外の映像をそのまま映す』モードには、切り替わらないようになっている。
「スイマセーン、シシャシン、オネガイシマース」
にこやかに声をかけられて、二人は立ち止まる。
「はーい。良いですよ」
楓が笑顔で答える。琴美は固まったままだ。
「オナガイシマース! シャッター、コーコー」
外国人にカメラを渡されて、楓が頷く。
「OKOK!」
そう言いながら、仁王門にカメラを向ける。既に男性の家族らしき男女大勢が、こちらを見て笑っている。
カメラを渡した男性も、笑顔でその列に加わった。
「A little left. Yes there!」
英語が通じているようだ。言われた通りに動いている。
「ハイ。チーズ!」
途中から日本語になったのが面白かったのか、歯まで見せて笑っている。良い笑顔だ。
「ドウモアリガットー、ゴザイマース」
「Have a good trip!」
日本人が英語、外国人が日本語で話している。それはとても不思議なやり取りであった。
どちらも『覚えた言葉』を使いたい。そんな気持ちなのだろう。
手を振りながら立ち去る観光客に会釈して、二人は歩き出す。
「外国人に話かけられたよー」
楓が嬉しそうに言う。琴美は、ホッとしていた。
「びっくりしたねぇ。でも、英語話せるんだ」
すかさず楓は、親指と人差し指で隙間を作ってポーズ。
「Just a little!」
「いや、私にはいいから!」
琴美は苦笑いで返す。それを見て、楓は笑顔になる。
「あはは。今度『着物』着て来ようかなぁ」
「駄目だよ。そんなことしたら、写真をお願いされてばっかりで、先へ進めなくなっちゃうよ?」
それを聞いた楓は、瞳を輝かせて悪戯っぽい顔になる。
どうやら、本当に着て来る気らしい。どうなっても、知らないよ!
二人は五重塔を横に観ながら境内を歩き、鐘楼を左に進む。そして寛永寺の外に出た。寺町はまだ続く。
その先にある大学の構内にある、国立図書館・別館に辿り着いた。
「遅いよー」
「予想通りだけどさぁ」
ハーフボックスで先に到着していた絵理と美里が、待ちくたびれて待っていた。
「ごめんごめんー」
「外国人に話しかけられちゃったぁ」
謝るのは琴美の役割で、楓は面白いことの報告係だ。
「うっそー。流石、観光地だわぁ」
「だよねぇ。東京じゃ外国人、全然見ないもんねぇ」
四人は揃って頷いた。琴美が待ち人に言う。
「本でも読んで、待っていれば良かったのにぃ」
笑いながらそう言うと、二人は目を丸くする。
「あっ、そうすれば良かったジャーン」
「えぇっ? 『お腹減った』って言ったの、絵理ジャーン」
責任を擦り付け始める。
「あー、ずるーい。何食べたの?」
「そうだよー。こっちは必死に『電車』と『バス』を乗り継いで来たのにさぁ」
「いやいや『バス』は乗ってないから!」
一体この四人は、図書館に何をしに来たのやら。
琴美は、まず『バス路線図』から探さないといけないのか、と思って、ちょっと気が遠くなっていた。




