ハッカー殲滅作戦(二百四十七)
陸軍少佐と言えども、市街戦や建物内での戦闘について、作戦の立案・指揮をしたことはない。
石井少佐は一介の医者である。病院の運営なら経験があるのだが。
もう一人の職業軍人である井学大尉は、パイロットである。それも生粋の。だから、細かい『戦術』なら自信がある。
しかし全体を俯瞰し、『組織として』この後どうするかは決められない。つまり『戦略』については未経験だ。
最初からいた三人はいずれも事務方。所長だって『元研究者』で、軍人ではない。戦闘経験なんてなかったのだ。
石井少佐が『怖そうだから』と、指示に従っているに過ぎない。
だから戦闘訓練を受けた兵士は、各々の判断で戦闘に突入してしまい、組織立った『反攻』を行うことが出来なかった。
手持ちの銃で『ただ応戦しただけ』で、報告も、連絡も、相談もなかったのだ。
もちろん、『咄嗟だった』というのもあるだろう。
どちらにしろ、仕事の『小松菜』が出来ていなかった。この季節『ほう・れん・そう』の出荷は少なく、市場でも品薄だ。
市場で『競り負けた』ので、代わりに『小松菜』を仕入れた。
強いて言えば、それが原因だろう。だから食堂のメニューも『小松菜のお浸し』に変わっていたし。間違いない。
「逃がすなっ! 必ずとっ捕まえろっ!」
少佐は折れたボールペンを放り投げた。しかし、行動を起こす者はいない。顔を見合わせて困っているだけだ。
この中で銃の『安全装置の外し方』を知っている者はいない。
果たして誰が行くと言うのだろう。どこで行われているのかも判らない『銃撃戦』に、首を突っ込む行為をだ。
定時まで生き残っていれば、タイムカードを押して帰れると言うのに。三人はチラリと時計を見る。
手に付いたインクを、大尉が差し出したハンカチで拭いている。
しかし、その間もずっと所長室は静かなままだ。
汚れをふき取ってハンカチを大尉に返す。小さく『ありがとう』と礼を言っているが、そこに笑顔はない。
大尉もハンカチを両手で受け取り、『家宝にします』とは言っていないが、そんな感じで頭を下げた。そして、丁寧に畳む。
少佐が息を吸って、大きな声で叱責をしようとしたときだ。
『ドーンッ、ドーンッ、ドドーンッ、ド・ンッ!』
大きな破壊音が、連続的に響き渡る。
最初は遠くから。段々と近くなりながらである。三回目からは天井がビリビリと揺れ出した。
少佐に動揺はなく、むしろ直立不動のままであるが、三人の職員は顔を見合わせて驚いている。
机にしがみ付き、不安そうに天井を見ていたが、四回目からは肩を竦め、大分近くなった左後ろの方を見る。
『ドガーンッ!』「わぁぁー」「逃げろぉー」「終わりだぁー」
大分近い五回目の爆発があって、三人は頭を抱える。そして我先にと逃げ出す。振り返らずに勢いよくだ。
少佐と大尉を置いて、お構いなしに出口へ向かって一目散だ。
素人目に見ても、少佐の後ろにある壁が『次に吹き飛んで来る』のが確実だと思えたのだろう。
戦闘経験があれば、空爆の最中に『近くに落ちた』からと言って逃げ出したことで、どうにもならないこと位は判る。
塹壕や防空壕の中でじっとしているか、適当な神に祈るしかない。
その辺少佐は、肝が据わっていた。
手塩に掛けたこの『研究所』もろとも、『自沈する覚悟』だったのだろうか。逃げ出した者を追うことも、敵前逃亡で処罰することもなく、ただ前を見つめていた。
大尉は少佐が動かないのだから、動かずにいた。
もちろん天井が崩れて来たり壁が倒れてきたら、体を張ってお守りする覚悟はある。しかし、それがないのは判っていた。
付近は、ガス臭くないのだ。この爆発の原因が『ガス爆発』であると想定している以上、ガス臭くなければ爆発はない。
今の爆発はこの建物ではなく、もう少し遠い建物に違いない。
その答え合わせに、多くの時間は必要ない。等間隔に爆発が起きるとするならば『六回目の爆発』は、もう直ぐだ。




