ハッカー殲滅作戦(二百七)
偉い人が大声を出した後に、何か答えられる訳も無し。ただひたすらに押し黙るのみ。子系子の兵法より。
「まったく、よりによって『ファルコン』に手を出すとはなっ」
再び陸将が手にしたのは、『重村可南子』と記載された紙だ。
上方には『最高機密』のスタンプがあり、『永久保存』『永久非公開』『複写不可』のスタンプが並んでいる。
それだけでも異様なのに、手書きで『如何なる理由・方法でも』複写不可と追記される始末だ。
写真は『うら若き乙女』の時代で、更新が止まっている。
そして裏面まで続く経歴もだ。書類全体を打ち消すように『死亡扱い・不可侵』と、斜めに大きくスタンプされている。
「申し訳ございません」
これ以上頭が下がりません、という所まで腰を折る。
「申し訳ございませんじゃないんだよっ!」
しかし、再び大声で怒鳴られて、石井少佐はそのまま委縮する。
どうすれば良いか判らないが、取り敢えず『菓子折』でも持って、お詫びのご挨拶に伺えば良いのだろうか。
「わ、私の所に、ファルコンから直電が来たんだぞっ!」
驚いた石井少佐は、バッと頭を上げた。訳が判らない。
非公開の電話番号に、直で掛けて来るとは一体。
既に退役しているんだぞ?
しかし陸将は自分の机の上にある電話を、右手をブルブル震わせながら真っ直ぐに指さしている。
どうやらこれは、『菓子折』だけでは済みそうにない。
石井少佐はチラっと窓の外を見た。もし屋根の上で『キラリ』と光ったら、直ぐに伏せなければならない。
いや、そんな『ヘマ』をするような者ではないか。
すると陸将が腕を降ろして、再びソファーにそっくり返った。少しだるそうにして足を組み、大きく溜息を付いた。
「あのねぇ、『陸軍本部を更地にしてやる』とまで言われてしまったら、我々に残された手は、何があると思っているのかね?」
どうやら窓ガラスをいくら強化しても、無意味らしい。それにしても石井少佐だって、答えを出せる訳もなく。
そもそも『軍医』なのであって、そんな綿密な軍事作戦を立てられはしないのだ。それも『建物防衛』みたいなものを。どうしろと。
石井少佐は渋い顔で目をパチクリさせながら、黙って首を少しだけ傾けた。すると陸将は組んでいた足を元に戻し、何度目か判らないが、再び大きく息を吐いた。
「はぁ。もう『お好きにどうぞ』としか、言えないだろうがっ」
その後は、頭を両手で抱えると、うずくまってしまった。
どれぐらい沈黙が続いただろうか。石井少佐は、そのままの姿勢の陸将をみつめていることしかできなかった。
やがて、そのままの姿勢で指示が来る。
「もう良い。帰りたまえ」「はい」
石井少佐は立ち上がって敬礼したのだが、陸将はそのままである。
「帰り道、気を付けてな」「はい」
一礼しても動かない。頭を抱えたままの姿勢で話し続けている。
「三十三の大佐『ボケ茄子依井』に連絡しとけ」「えぇ? はい」
メモを取るまでもない。頭の中に『依井大佐』と強めに記憶して応接セットから横に移動し始めた。
それでもなお、陸将は頭を抱えたままだ。
石井少佐は再び一礼して、出口の方に回れ右した。そして歩き始めた時に、再び後ろから陸将の声がする。思わず足を止めた。
「君も『大佐』、せめて『中佐』にしないとまずいかね?」
確かに石井少佐は、少佐にしては年を取り過ぎていた。普通四年おきに昇進しないと予備役になる。少佐歴十年のベテランだ。
「いえ。お気に召さらず」
顎を引いて首を曲げ、少しだけ後ろを見た。陸将は明後日の方向を見たまま会話を続けている。どうやらこれは、オフレコのようだ。
「不自由なこともあるだろう? 大佐になって、楽になるか?」
確かにこの年で『少佐』とは、舐められることもある。しかし、今の任務を続けるためには、少佐である必要がある。それは、この任務に就く前に説明され、判っていたことなのだ。
「それは努力で、なんとかします。ご高配痛み入ります」
石井少佐が答えた後に、陸将からの返答がない。数秒後だった。
「確かに、陛下のお耳には入れられない任務だものなぁ。判った」
陸将の独り言に石井少佐はその場で一礼すると、執務室を出た。




