顔パス(一)
琴美と楓は研究室を出る。入る時は一人づつだが、出る時はまとめて出られる。重い扉を開けて、二人は廊下に出た。
笑顔に戻った楓が、琴美に話しかける。
「良かったねぇ『電気分解』でもパスしてー」
「いやー、ホントだよー。『オマケ』でも、合格なら良しとしよっ」
「ホッとしたら、お腹減っちゃった。学食行って、何か食べよ?」
「いいねぇー。奢り?」
「えー、この間奢ったじゃーん。今度は私が奢られる番でしょ?」
「いやいや、『言い出しっぺが奢る法則』なんで」
「そんな法則、知らないよー」
二人は笑いながら、廊下を歩いている。
ここは研究室が並ぶ『セキュリティーエリア』だ。やがて目の前に、電子ロック式の扉が現れて、そこで会話が途切れる。
「お先ー」
楓は顔パスで通過して行く。
琴美は首からぶら下げたIDカードを、読み取り装置にかざす。
『ピッ。暗証番号を入力して下さい』
電子音がして、機械音声が流れる。琴美は暗証番号を押し、確定のため、右手ひとさし指の静脈認証をする。
『ピピッ』
電子音がして、扉が開いた。
楓は琴美を待たず、ちょっと先を歩いている。扉が開く音がして、振り向いたが、笑っているだけで、足を止める様子はない。
「薄情者!」
琴美はそう言って、笑いながら追いかける。
「だって、ドアの度にソレじゃーん。いい加減、チップ埋めたら?」
そう言って楓は『左耳』の付け根を指さした。
「えー、嫌だよ。何か、気持ち悪いジャン」「プッ」
楓は思わず噴き出した。琴美は珍しい『チップ無し』なのだ。
「普通さぁ、生まれた病院で埋め込むからー」
そんなことを言われて琴美は、苦笑いするしかない。
大学受験の会場は、地元だった。
共通試験だから、別にどこでも良いのだ。合格発表はメール。入学式で初めて大学に行った。
そこで初めて『セキュリティー』を通過できないことが、判ったのだ。今までそんな人が、いなかった訳ではないのだが、学生では琴美が初めてだった。
しかし世の中には、例外もある。
記念すべき三百カ国目の国交樹立となった、アフリカの『ハイポ共和国』生まれの日本人は、チップを埋め込む施設がないため、帰国するまで『チップ無し』である。
だとしても、厚木国際空港で入国手続きをした時に、チップを埋め込む者が殆どだ。
耳の付け根からマイクロチップを、頭皮と頭蓋骨の間に埋め込む。五分もかからない。それで『個人認証』を行うのだ。
「ハイポ生まれの、ハイポ育ちなの?」
楓は笑いながら琴美に聞く。琴美は髪をかきあげながら、すまし顔で答える。
「そうよ。私、全然覚えていないけど、帰国子女なの!」
「何それっ!」
楓は、やっぱり笑うしかない。目の前には、また『セキュリティー』がある。
「お先にぃー」
そう言って笑いながら、顔認証とマイクロチップのダブル認証を瞬時に行って、開いたドアを通り過ぎる。
「もうー。ちょっとぐらい待ってよー」
琴美がIDカードをかざしている間に、楓は先へ進んでしまい、ドアが閉じる。
『ピッ。暗証番号を逆から入力して下さい』
「はいはい、え? 逆から?」
セキュリティーは、とても厳しいのだ。これでは楓が待ってくれるはずもない。
それでも琴美は、マイクロチップを埋めるのだけは、嫌だった。




