チャーミンング・スター(五)
携帯電話がまた震えた。意外と寒がりなのだろうか。
いや、そうではない。琴美は、ちらっとディスプレイを見てスイッチを切った。今は、それ所ではなかったのだ。
琴美は大学で化学を専攻していた。
本当は歴史が好きだったのだが、この世界で『歴史を学ぶ』のは好きになれなかった。
見た目は変わらないのに、この世界の日本人は『弱気な人』が多かった。言葉を変えて言えば、『楽観的』とでも言おうか。
とにかく『それはそれで仕方ない』という考えが、蔓延していた。
日本が薩摩を中心とした『慶応革命』に失敗したのち、江戸幕府が大和朝廷に政権を返還したのだが、徳川慶喜が初代総理大臣になっただけで、時代は大きく変わらなかった。
ロシアが朝鮮半島や北海道に攻めてきた時も、日本は何もしなかった。その頃の日本は、ガリソンを掘り当てて経済的にも自立し、海外領土を必要としていなかった。
海さえあれば、小さな島の一つや二つなど、どうなっても良かったのだ。
それから百年。東京に降る雨によって沢山の死人が出たときも、その『有り余る経済力』に物を言わせ、僅か三年で屋根を作った。
屋根によって覆われた安全な東京に、一層沢山の人が集った。
琴美も『その内の一人』と、数えることができる。
琴美も、半年前までは東京都民ではなかったが、大学に合格して一人暮らしを始めたときに住民票を都内に移した。
「またお母さん?」「今度は父よぉ」
琴美は口をへの字曲げ、困ったという風に答えた。
お節介な両親である。いちいち雨が降る度に、電話をしてこなくても良いではないか。
琴美の隣に居るのは、大学で同じ研究室にいる弓原楓である。
兄が今年気象省に入省して、気象予測官になっているそうだ。妹の楓も優秀であるが、兄とは違う道を歩んでいる。
それは『化学者への道』だ。
今、琴美と楓は東京ドームの上にある『観測用小屋』で、雨が降り出すのを待っていた。
目の前に広がるのは、ガラスの平原と、眼下に広がる東京の夜景である。
見上げれば渦巻く雷雲の底が迫ってくる。ちっぽけな観測用の小屋は『風前の灯火』のごとく感じられる。
「何で人は、雨に当ると溶けちゃうのかねぇ」
「なんでだろうねー」
降り出す前の雨雲を見て、のん気に琴美が言う。楓もそれに答えたが、明確な答えは言わなかった。それを今『研究している』のだ。
意外なことに、二人以外に『この研究テーマ』を選択している学生はいなかった。
過去の文献を探しても、それに該当するものは残っていない。




