チャーミンング・スター(四)
午後三時の会社には、大別して二種類の人がいる。
一つは定時まであと二時間だと思う人と、もう一つは定時まであと二時間しかないと思う人だ。
『臨時ニュースです。気象省からの緊急警報です。四十五分以内に雹交じりの雨が予測されています』
梅雨時の臨時ニュースにしては、インパクトのあるものだった。だから社内放送で流されたのだろう。
牧夫のいる会社でも、部長席の後ろにあるテレビがONになった。
『気象省は十六時前頃に、直径五センチ程度の大きな雹を伴う強い雷雨が、東京とその周辺地域に降ると発表しました』
テレビのアナウンサーが、丁度ニュースを読んでいる所だった。
『こちらが予測範囲です』
画面が切り替わって関東地方の地図になり、画面の下には鉄道の運行情報が流れ始める。
「五センチか。結構でかいな」
「そうですね」
テレビの前に集った人達が、人差し指と親指で五センチの大きさを作る。
しかし誰一人として、正確な五センチを形作った人はいなかった。
「撤収ですかね」
牧夫は言った。牧夫はもう少し仕事がしたかったのだが、それよりも家に残してきた家族が心配だ。
テレビに映る雲は、自宅の方に流れていたからだ。
「そうだねぇ」
高田も頷いた。牧夫の意見に部長の高田が同調するなんて、近年なかったことだ。
そこへ、『取り調べ』を終えた山崎が戻ってきた。
「お、どうだった?」
「はい。問題ありません」
「そうか。それは良かった。お疲れさん」
山崎は高田に一礼した。そして自席に戻ろうとしたが、テレビを見て立ち止まる。
「チャーミング・スターですか?」
「そうらしいなぁ」
山崎と高田の会話を理解できない牧夫は、二人の会話をキョトンとしながら聞いていた。
「なんですか? それ」
腕組みをしながらテレビを見つめる山崎に、その質問を投げたのであるが、山崎は何も答えない。
牧夫は仕方なく、テレビ画面からその答えを探そうとした。
しかし見つかる筈もない。
「よし。解散だ。気をつけて帰ってくれ」
高田はテレビから部下の方に向き直り、雨が降る前の解散を宣言した。それ位は部長の権限で何とでもなる。部長は偉いのだ。
「はーい」
牧夫は短く答えて自席に戻った。そして携帯電話のリダイヤルメニューを開きながら廊下に向かう。
廊下に出たのと、自宅に電話に可南子が出たのは同時だった。
「あぁ、俺。雹降るっていうから解散になった」
「そう。気をつけて帰って来てね」
「またバケツの水用意しておいてくれ」
「判ったわ」
可南子は既に、デカンタ刑事が中断して臨時ニュースになってしまっていたので、ことの重大さを理解していた。
「じゃぁ、よろしくね」「あぁ、ちょっと待って」
もしかして『最後の会話』になるかもしれないのに、牧夫があっさりと『妻との会話』を終了しようとしたためか。
可南子はもう一度、牧夫を呼び止めた。
「何?」
しかし夫の返事は、何とも連れないものだ。
「琴美、大丈夫かしら……」
何だ、そんなことだったのかと思って牧夫は呆れる。
これから自分は、雹の中を自宅に帰らないといけないと言うのに。
「大丈夫だよ。問題ないよ」
「だって、電話もメールも返事がないのよ」
「そりゃそうだよ」
めんどくさそうに答えた。
毎日東京へ来てはいない可南子にとって、東京が一体どのような所かというのを、全く理解できていなかったのだ。
「琴美の大学は、東京ドームの中にあるんだから、問題ないよ。じゃあね」
「本当に? 大丈夫なの?」
「あぁ」
そう言って電話を切った。
信じられないかもしれないが、東京ドームを構成するガラスの厚さは三十センチある。雹ごときで割れることはない。
そんなんでいちいち割れていたら、ドームにする必要性が無いではないか。
それでも牧夫は、琴美にメールを打った。
『たまには母さんにメールしてくれ。心配してるから。父より』
勉強に忙しいのか、大学に入った琴美は、余り連絡をして来なくなった。
最後に連絡を受けたのは、ゴールデンウィーク前だっただろうか。
もっとも内容は『家に帰る』というものだったし、まだ大学生活も始まったばかりで、それ程忙しいとは言っていなかった。
梅雨の季節の今、東京以外の大学は長い梅雨休みかもしれないが、琴美が選んだ大学に『梅雨休み』はなかった。
「さて、帰るか」
パチンと携帯電話を二つ折りにして、牧夫は席に戻ろうとする。
「しまった」
廊下で牧夫は呟く。
IDカードを持たずに、廊下に出てしまった。これでは中に入れない。ハッカーも人の子。ついうっかりということもあるのだ。
「誰かー」
扉の前で牧夫は誰かが出てくるのを待った。
そういうときの待ち時間は、意外と長く感じるものだ。




