父はハッカー(九)
『この豚野郎。海外のマッチョと、宜しくやっていたのかぁ?』
突然英語で話し始めた山崎。吉沢を軽蔑するように言い放った。
インターネットを利用する奴らは、全員クズだ。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった吉沢だったが、ニ、三回表情を変えた後、英語で答える。
『ごめんなさい。私『カタルーニャ』にいたので、『スペイン語』しか分かりません』
英語で言い返した吉沢だが、その意味が少々矛盾している。しかし山崎は、直ぐに頭を切り替えた。
『そう。それじゃぁ貴方は闘牛士とよろしくやっていたのね。この赤い口紅を見ると、興奮しちゃうんでしょ。ハイーッ!』
これなら通じるでしょ。とばかりに、スペイン語で話す。
そればかりか、机に置かれていた赤い口紅を取り上げる。
すると吉沢の心に火が点いたのか、負けずに言い返して来た。
『もうカタルーニャでは、闘牛なんて行われていませんわ。法律で禁止されたのをご存知ないんですか? それに『赤で興奮する』だなんて、そんなのロシアでだって、もう流行っていないわっ』
汚い言葉を使ったのは山崎の作戦だ。だから、何を言われても、じっと吉沢の目を見ていた。
山崎ほど男を手玉にとってきた者にとって、吉沢のような小娘の一人や二人、軽く押し倒して『黙ってろ、このクソ女』と吐いてビンタをするくらい、訳ないことなのだ。
相手が黙ってしまえば勝利。と教えられて来た吉沢は、黙ってこちらを見る山崎を睨み返していた。
何故自分が、こんな所で、こんな女に、絡まれなければならないのか。理不尽な思いがあった。
「これは何かしら?」
日本語に戻っている。吉沢の目を見たまま、山崎はスティック状の物を手に取り、それを二人の目線までゆっくりと持ち上げる。
「そ、それは」
吉沢の顔が一瞬で曇り、言葉が詰まる。
山崎は、こういう『生意気な女』が、ボロボロに崩れていく瞬間を見るのが好きだ。
去年の城田もそうだ。散々生意気なフランス語を喋っていたかと思えば、突然泣き出した。
それから一年経つが、未だ山崎とは『目を合わせること』すら、できないでいる。
「何かしらねぇ」
左手に持ったスティック状の物を目掛け、ゆっくりと山崎の右手が弧を描く。そして、語尾の所でプラスティックに『小さな切れ目』が付いた『蓋と思しき箇所』を、白い指でそっと摘んだ。
生唾を飲むだけで答えられない。そんな吉沢の目の前で、山崎はゆっくりと蓋を引くと、中から『金属の部分』が現れる。
「ユゥ・エス・ビィ・ダァ」
山崎の唇が一文字づつ大きく動き『USBDAer』と高らかにコールした。ちょっと艶めかしい唇の動き。
Universal Serial Bus DAta Exchange Rule の略で、パソコンと周辺機器の情報交換を目的に作成された、言わば『コンセント』のことである。
この規格は全世界共通で、例えば戦争をしている国同士であっても、パソコンへの器機接続だけは可能である。
まるでデススターのコンピュータに侵入するR2ーD2の様に。
山崎の笑顔の前に、吉沢はただ立ち尽くすしかなかった。会社に『USBDAer』を持参するのは、禁止されている。
情報漏洩はもちろん、コンピュータウイルスを持ち込む可能性もある。特にインターネットを普通に使う女の記憶なんて、ろくでもないに決まっているからだ。
「これはMemoryなのかしら。それともScaleなのかしら?」
美しい発音だ。その上で、左手に持ったスティックを左右にゆらゆらとさせながら、山崎は吉沢を問い詰める。
吉沢の目を見たまま、山崎は少しだけ顎を上に向ける。
すると肩に掛かっていた髪が、後ろにばさっと落ちて揺れた。