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失敗と成功の狭間(五十六)

 突然の出来事に硬直している大尉の肩を、諭すように少佐が叩く。そして、寂しそうな小声で呟く。

「どうだ? 海軍へ戻るか?」

 大尉は我に返った。どうして少佐はそんなに冷静で居られるのか、不思議に思っている暇もない。直ぐに答えなければ。


「いいえ! 少佐のお傍に居させて下さい!」

 大尉の頭の中には大海原が広がっていた。目の前の池では収まり切らない、どこまでも続く紺碧の海。壮大な風景である。


「話を付けてやっても、良いぞ?」

 少佐は笑顔だ。その笑顔を見ていると、本当に海軍に戻れそうな気もして来るから、不思議なものだ。そんな説得力を持っているのが少佐という人なのだ。

 しかし次の瞬間、大尉の眼前に空母加賀の後ろ姿が現れた。

 そして着艦時にスロットルをオフにして、操縦桿を一気に上に引き、緊急脱出ベイルアウトした様子がフラッシュバックする。

 あの時、自分の海軍人生は終わったのだ。


「いいえ。海軍は失敗した私なんかを、戻しては」

「何を言う!」

 少佐は少し語気を強めて話に割り込むと、大尉と肩を組むようにして、顔を近付けた。間近で見る少佐の目は、大尉の心の内を覗き込んでいるようだ。大尉はただ驚く。

 そして、不思議にも思う。どうして少佐は、こうも自分を助けてくれるのか。焦りとも言えない何かが大尉を包む。


「着艦失敗じゃ、ないんだろう?」

 小声で言う少佐の目は、優しい眼差しに変わっていた。大尉は目をパチクリして、当時の状況を思い出す。


 あの時、長い改装を終え、久し振りに出航した空母加賀は、洋上で新しいクルーによる訓練を始めていた。

 大尉はいつもの様に厚木基地を飛び立ち、ピッカピカの空母加賀を空の上から確認する。そして着艦体制を取った。

 その着艦は、いつも通りの見事な着艦となる筈だった。しかし機首を上げて足元が見えなくなる瞬間、目に飛び込んで来たのは『フライトデッキクルーのジャケット』だったのだ。

 一瞬の出来事だったが、今でもはっきりと覚えている。あの色は『アレスティング・ワイヤー』を操作するクルーのものだ。


 着艦が無理と判った場合、普通はエンジンを全開にして加速し、正に『タッチアンドゴー』で再び空に帰る。

 しかし、飛び出して来たのが『仲間』であると認識した大尉は、それだとバックファイヤーで黒焦げになると判断した。


 大尉は冷静だった。特に習った訳ではない操作を、平然とやってのけて見せる。スロットルをオフ。機首を上げて機体を失速させると、空に向かってミサイルを全弾発射。

 そのまま、空母加賀の艦尾に機体をぶつけたのだ。


 後で損害額を聞いたが、それはもう忘れてしまった。しかし、覚えていることがある。それは、死者が一人も出なかったことだ。


 大尉が耳を疑ったのは、その次の話だ。

 滑走路を横切ったのは人ではなく、本当に『ジャケットだけ』だったと言うのだ。

 不慣れな新人クルーが、風でジャケットを飛ばされただけだった。もちろんそんな『事実』は、報告書に記載されていない。


「誰も、話を聞いてくれなかったんです」

「あぁ。知ってる」

 そのまま少佐は大尉の肩を叩く。そして、慰めるように、力付けるように肩を揺すった。そして、もう一度大尉に聞く。


「全部知ってる。どうだ? 海軍へ戻るか?」

 口元まで優しい表情の少佐が、大尉を見つめている。

 そんなの反則じゃないか。大尉はそう思い、涙を流し始めた。


「海が、恋しいです。また空を、飛びたい、です」

 そう答えるのがやっとだった。情けなく思いながらも、大尉は鼻をすすりながら泣き始める。

 涙を拭きたいのだが困ったことに、少佐がそうはさせてくれない。


 少佐は、涙でぐちゃぐちゃになった大尉の顔をグッと引き寄せ、世間から大人の泣き顔を隠すように、自分の胸にあてた。

 すると大尉はそこで、今まで押さえて来た悔しさを爆発させて、大声で泣き始める。ずっと悔しかったのだろう。

 確かに大尉は、今までこんなに泣いたことはなかった。


 暫くの間、悔しそうに漏れ出る大尉の嗚咽を、少佐はまるで父親のように頷きながら、ただ聞いているだけだった。

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