失敗と成功の狭間(五十一)
人気の少ない公園の散策路を、白い軍服に身を固めた男が二人、ゆっくりと歩いている。
左手にお茶の缶を持って、右手を腰の後ろにまわしているのが石井少佐。鋭い目で辺りを警戒中でもある。
その隣で普通に歩いているのが井学大尉。特に周りを警戒している様子はない。来るなら来い。出たとこ勝負の臨機応変型だ。
「大尉、『ゲムラー大佐』の名を、人前で口にしてはいかん」
足元の『砂利の音』が多少ノイズとして乗っているが、聞こえないことはない。
「そうなんですか?」
言われた少佐は、もう一度辺りを見回した。大丈夫。人はいない。
「そうだ。理由は説明できん。それで理解して貰えるな?」
「承知しました」
大尉が頷くと、少佐は歩きながら笑顔になった。一口お茶を飲んで前を向き、ボソッと小さい声で付け加える。
「まだ大尉には、死んで欲しくないからなっ」
言われた大尉は驚いて少佐の方を見た。少佐は前を見たままだ。そしてその横顔は、いつもの『何か考えている顔』である。
「大丈夫です。いつでもお傍に居ます」
大尉の小声は少佐の耳に届いただろうか。すると少佐の目の焦点がパッと近くになり、瞬きと同時に大尉の方を見た。
「よろしくなっ」
少佐は笑顔で大尉に言うと、大尉は立ち止まり敬礼をする。
並んで歩いていた大尉が、いきなり後ろに行ってしまったので、少佐は歩きながら振り返った。
見ると大尉が敬礼なんてしているので、笑顔で『やめろやめろ』とでも言うように右手を振り、鼻で笑ってから前を向く。
それを見た大尉も笑顔になって敬礼を止め、小走りで走り出す。
お茶を一口飲んだ少佐は、横目に大尉が視界に入り、再び問いを繰り出した。
「琴坂琴美と会ったのか?」
「会いました。可愛らしいお嬢さんでした」
大尉は思い出して頷き、言葉を付け足した。いや、『取って付けた』と言った方が良いだろう。
「そうか。嫁にするのか?」
しかし、少佐はそう取らなかったようだ。まぁ、『可愛らしさの基準』というのは、人それぞれだということだ。
「いえいえ。まだ『ちゃんと調査』していませんから」
大尉の冷静な言葉を聞いて少佐は思う。『何だ。食っちまえよ』と。まぁ、大尉がそういう男ではないことは知っている。昔から。
「どんな娘だったんだ? 中華屋では随分『ご機嫌』だったが」
きっと、随分酒を飲んだのだろう。もしかしたら、既に『二件目』だったのかもしれない。
少佐の目に焼き付いている『琴坂琴美』の姿は、飲み屋街を肩を組んで歩く酔っ払いそのものだ。テーマソングは『同期の桜』。
いや、そりゃそうなんだろうけど、それは『大学の同期』って意味じゃないからな? まぁ、良しとしよう。
「それがですね、本人に『質問がある』と伝えたらですねぇ」
思い出して大尉は笑い出す。少佐は不思議そうな顔になって、首を傾げた。
「顔を真っ赤にして、『モゴモゴ』言うだけで、全然会話にならなかったんですよ。もぉ、それが可愛くて、可愛くてっ」
大尉は琴美と出会ってから『最初の五分』に起きた出来事は、全て無かったことにした。
確かに琴美は、男に対する免疫が全然なかった。
だから大尉が『貴方に興味がある』と伝えた所、頭上から湯気を『ボンッ』と吹き出して、顔を真っ赤にして固まってしまった。そんなことでは、質問にもモジモジしていて、まともな返事が来ない。
頑張って会話を繋ごうと、両手で『食べますか?』と差し出した『チーズクリーム餡蜜』は、寒天が三個残っているだけだった。
それを大尉が、恐縮しながらもコーヒースプーンで一つ頂き、笑顔でパクンと口にすると、琴美は『食べてくれたぁ』な、顔になる。
そのまま両手を手前に引きつつ、上目遣いで大尉を眺めながら、うつむいてしまったのだ。今日の会話はそれで全てだ。
「お前、それは絶対嫁にしろっ!」
少佐は右手を大きく振りかぶると、大尉の背中をドンと叩いた。
大尉はその勢いで前に飛び出して行く。まるで空母のカタパルトから飛び出す、戦闘機のようだ。
大尉は両手を広げて『おっとっとぉ』の後、態勢を整えて振り返り笑顔になった。流石、手慣れたものである。
「考えときまーす」
大尉は苦笑いで答えると、照れ臭そうに頭を掻いた。
少佐は『これは脈ありか?』と楽しみにする一方で、大尉は悩んでいた。琴美と出会ってから『最初の五分』を、大尉は無かったことにしただけで、忘れた訳ではないからだ。




